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はじまりの物語(おっさんずラブリターンズの余白の物語)

公安の捜査は警察のそれよりもさらに密やかに行われる。
その日も和泉と秋斗は目立たぬよう黒いセダンに乗り、雨の中テロ組織を張っていた。
建物に入ったきり、ターゲットはまだ出てきていなかった。

冷たい雨だった。
もともと人通りは少ないが通りゆく人は傘を差し、沈鬱に歩いていた。
単独行だったので無線も切り、世界は二人だけのようだった。
和泉が秋斗に「逮捕」されてから結構な日にちが経過していた。

二人とも長いこと沈黙を保っていたが、ふいに建物から目を離さずに和泉が口火を切った。
「真崎、お前、その…学校の時から俺を…た、逮捕するって決めてたみたいだが、決めたのはいつなんだ?」
「和泉さーん、いま、ここでそれ俺に言わせんの?」
「別に言いたくなければいいぞ。ただ、お前学校では反発ばかりしてたじゃないか」
「和泉さんの注意をひくためですよ。わかってないなー。」
「おまっ…それだけのために反発してたのか?」
「だって結果、和泉さん、俺のこと覚えてたでしょ?計算通りですよ」
「チッ…」
そのまま和泉はまた喋らなくなってしまった。
秋斗に絡め取られた糸に今更気がつき、気が付かなかった自分に苛立ちがたった。

一方秋斗は和泉に言わなかった過去に想いを馳せていた。
体育会系で厳しい和泉に時代遅れだろと反発を感じていたあの頃を。
そして、自分が和泉を意識したあの日のことを。

学校が休みの日、朝早く秋斗は広大な構内で、林といってもおかしくない木の密集している所を歩いていた。気になることがあったからだ。
黒猫がいると聞いていたからだ。しばらく歩くと果たして黒猫が低い植え込みから「にゃーん」と現れた。住み着いているのか。
毛並みは夜のそれを映したように艶やかで美しく、栄養状態も問題無さそうだった。
「にゃーん」猫はもう一度鳴き、先導するかのように秋斗の前を歩き始めた。猫は意志を持っていた。
--なんだよ、俺をどこかに連れて行く気か。
表ではクールにしている秋斗は実際は情が深く、動物や弱い者を見るとほっておけなかった。

しばらく歩くと木々が途切れ、そこは道場だった。猫は迷わず中に入って行く。中からは物音がする。
秋斗はそっと中を覗き、驚愕してさっと中の人に見られないよう身を隠し、外から周りこんで
格子窓から再度中を覗いた。
果たしていたのは和泉だった。
ジャージ姿ではあったが、
木刀を手にし、振り下ろしては身体を戻し、振り下ろしては身体を戻していた。
その所作は美しく、無駄が全くなかった。
ジャージの上からも相当鍛えている身体なのが分かる。
大量の汗がついさっき素振りを始めたのではないことを示していた。
--なんて美しいんだろう…
胴着を着ている姿を見たいな…
そんなことを思う自分に秋斗は驚き、
息を殺してその姿をそっと凝視した。

中に入った黒猫はまったく怯むことなく和泉に近寄り、さっきより感情がこもった声で「にゃーん」と鳴いた。
激しく動いていた和泉は猫にすぐ気がつき、動きを止めた。
「またお前か。ここは学校だから住みついても困る。何も出ないぞ。自分の家に帰れ」
言葉と裏腹に優しく黒猫の首の後ろを撫でた。
猫は気を許しているかのようにうっとりしていた。ゆったり座り、尻尾をパタンパタンと床に当てている。
いつも眉間に皺を寄せている和泉もこのときは柔和な顔をしている。

あれは相当慣れている。
ごくり。喉仏の音が和泉に聞こえないよう
秋斗は息を殺し、そっとその場を離れた。

秋斗は知っていた。
あの黒猫はある雨の夕方、学校の前で事故に遭ったのを和泉が見つけて、病院に連れていったことを。
秋斗も和泉よりも離れた場所で事故を目撃し、和泉が猫に駆け寄るのを見ていた。離れてたとはいえ、咄嗟のことで身体が動かず立ちすくんだ自分を恥じた。
幸い重症ではなかったものの怪我をした猫に、いつも冷静な泉が少し動転しつつも、雨や血で汚れるのも構わず、着ていたジャンパーにくるんで病院に連れて行ったのを見た。
そのあと、飼い主も密かに探し、無事引き合わせることができたことも知っていた。

しばらくして、学校の敷地内で黒猫を見かけるようになったと噂をきいて、秋斗は、怪我が治った黒猫が和泉に会いにきてるのではないかと思った。

果たしてそうだった。直感は当たった。
そして、口うるさく、不必要なほど厳しい和泉がこんな休日の早朝に誰よりも鍛錬していることも秋斗は知った。

反発をしてきたけれど、どこか気になっていた存在が自分の中にいよいよ棲み始めたのを感じた。
あの美しい所作が頭の中から離れない。
消え去ってくれない。
今まで本気で好きになったひとはいない。
そんな自分が…。

バレないようにひきかえしながら、色々なことを逡巡し、難しい顔をしながら木々を抜けて寮に戻った秋斗を同期の六道菊之助が後ろから見かけて首を傾げた。

それから数日後の夜のこと、秋斗は菊之助に
「俺、好きかも。和泉教官のこと」
といい、逮捕すると宣言したのだった。

絶対和泉さんにはあの日のことは言うものか。

物思いにふけっていた秋斗は、それでも建物から出てくる人影にすぐ気がついた。
「…動き出しましたよ。ヤツが」
「よし、追尾だ、気がつかれないようにな」
「和泉さん、いつも言ってるけどぬかりありませんよ、俺は」
すぐ仕事の顔を取り戻した二人の男はそっと車を雨の中、車を滑らせるように動かして追跡を始めた。
雨足は弱まることなく車の後をついていった。

FIN





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