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バレンタインの夜に

月曜日だ。今日出勤すれば火・水とお休み。世間のみなさんが始まった一週間を憂いている中、わたしは間近に迫った休日の気配を感じて浮かれております。わーい

それでも世の中がお休みの空気をガンガン醸し出してる土日に働くのは、まぁ、普通に憂鬱。だけど、電車がいつもに増して空いているのは好き。ボタンを押さないと開閉しないたった2両のワンマン電車に揺られながら、もうこのまま終点駅まで行ってしまおうか…そう思うのはいつも日曜の朝。でも、その場限りで手にする自由とお給料を天秤にかけては「よっしゃ」と勢いつけて、重い腰をあげる。立ち上がってしまえば、そんな感傷はすぐに忘れてしまえるということを知っているくらいには大人です。

不思議なのは、土日休みの仕事をしていた時と同じように五日間働いて二日休んでいるはずなのに、平日休みの仕事の方が一週間過ぎ去るのがやたらと早い気がすること。なんでだろ。
…まぁでもこれは職場環境にもよるかもしれない。

土日が休みだった前職は一週間が地獄のように長く、クソ上司に毎分毎秒生命ゲージを削られ、金曜が終わる頃には息も絶え絶えだった。日曜日の夜にはもれなく死にたくなっていた。
あの一年があったから、ちょっとやそっとのことではビビらなくなったと思う…でも、だからといってあの会社のあの上司を許してやろうなんて一ミリも思わないけど。

◇◇

仕事を終えて、信号待ちをしていたら向かいの歩道にイチャイチャしてる男女のカップルがいた。大学生くらいだろうか。土日で人がいないオフィス街とはいえ、よくもまあこんな大通りの信号待ちでそこまでイチャイチャ出来るもんだなと、思わずマスクの中で悪態をつきそうになる。

「イチャついてんじゃねーぞ!!!」

信号が青になった、その時だった。
静寂を破るように突然、向かいから怒鳴り声が聞こえて思わず足がすくむ。歩道でイチャつくカップルを、その声の主は車の中からずっと見ていたのだろうか。車で追い抜きざまに窓全開にして二人を怒鳴りつけたようだった。囃し立てるような明るい声色じゃない…悪意が篭った大声と、わざとらしく響かせる激しいエンジン音が耳の奥に残って久しぶりに体が震えた。

あの上司も、見せしめのように悪意を込めて怒鳴る人だった。

怒鳴る人を見ると、嫌でも思い出してしまう。彼女が怒鳴るポイントがわからなくて、ただただ逆鱗に触れないように息を止めて生きていた一年間を。心臓がどっかにいかないように胸の前で手を強く握った。あの人はここにはいないのに、こうなると体が震えてうまく動けなくなってしまう。

「……いちゃついてんじゃねー、だってぇ」

いつの間にか横断歩道を渡り終えたカップルが目の前まで歩いてきていた。怒鳴られたはずの彼女は嬉しそうに彼の右腕に体を寄せる。彼が持つ紙袋がガサガサと揺れた。ぶつけられた言葉に臆する様子は全くなく寧ろ、ますますイチャついてやろう!と言わんばかりの…幸せそうな表情の二人とすれ違う。

二人の笑顔をさっきの暴言野郎に見せてやりたい、そう思った。それはまるで悪意が愛に勝つわけがないのだと、証明するかのようだった。

すれ違う彼らを横目にわたしも横断歩道へ一歩踏み出す。さっきまでの怯えた気持ちが嘘のように消えていて、なんなら昂る感情のままに駆け出したくなった。見ず知らずの人間に怒鳴られたことなんて二人にとってはノイズにもなり得ない…愛を深めるきっかけにすらしてしまうのだ、この子達は。

なんの予定もなんの奇跡も起こらない、わたしのバレンタインだったけど。すれ違っただけの、なんの関係もない(なんならさっきまで彼らに心の中で悪態をついてたし、怒鳴り声に縮こまってた)わたしを若い二人はあっさりと救いあげてみせてくれた、幸せなバレンタインの夜でした。

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