失敗といえば結婚
1回目の結婚には失敗した。たった2年で離婚した。
短い結婚生活で、しくじったと思ったことが山ほどあった。これは、相手の気分を損ねた、という意味だ。
例えば1回の電話で、3回しくじる、ということがあった。
引っ越したばかりの時、出張中の私にその人から電話がきて、
「お前が出張ばかりで近所に挨拶に行ってないから恥ずかしくて出かけられない」
と怒っている。これはしくじったと思った。
今日の午後帰るからそれから行こうと言ったら
「挨拶の品がないと恥ずかしくて行けない」
と怒る。再びしくじったと思った。
帰り道にデパート寄って買って帰る、両隣と下の階くらいかな、と言ったら
「マンション全戸(※30戸くらい)分」
と怒る。三度しくじったと思った。しくじりにしくじりを重ねた私は、缶入りのクッキーを予備も入れて35個くらい買って帰った。めちゃくちゃ重かった。
今なら教えてあげたい。
君がしくじっているのは、その結婚である。
大きな失敗をしていることに気づかず、小さな失敗の挽回を図っていた自分がいじらしい。
でも、今なら教えてあげたい。
そこじゃない。
この人と私が結婚したことが失敗なんだとようやくわかったのは、結婚して1年とちょっと経った時だった。1回の電話で3回自分を責めるような事態だったから、1年でも結構疲れていたとは思う。
東日本大震災の時に、その人はたまたま関西に長めの出張に出ていたので、私は1人で倒れた棚を起こし、計画停電が始まることにおののき、懐中電灯を持っていないことに青ざめたりしていた。
懐中電灯は売り切れまくっていて、代わりになるものを探してビックカメラの店内隅々を見ている時に、その人から電話が来た。
当時私の携帯は古く、アクションを起こすと充電が砂時計のようになくなるので、この非常時においては、緊急の連絡以外しないししないでほしいとその人には伝えてあった。
「もしもし」
「あ、俺なんだけど、俺さ、ちょっと体調悪くて、今日病院に来てるんだ」
「そうなの?大丈夫?」
「まぁ、心療内科なんだけどさ」
「心療内科?」
「おまえが全然連絡しないから、無事かどうか不安で、俺、心療内科に来てるんだ」
ビックカメラには私と同じように、懐中電灯的なものを探している人がたくさんいた。その中で彼の不機嫌な声を聞いて、私は初めて、自分がしくじったと思わなかった。
珍しく強気な声が出る。
「私は今ビックカメラにいる」
「ビックカメラ?」
「懐中電灯がないの。言ったよね?うち、計画停電の対象エリアなんだけどね。ニュースで見てない?あ、懐中電灯って、そっちで売ってるんじゃない?送ってくれないかな?」
「…」
「あとさ、食べ物も全然売ってないの。ライフラインは無事なんだけど食材がない。都内のコンビニとか今日ちょっと回ってから帰るけど。」
「…あ、じゃあ何か送るわ」
私は電話を切って、ワナワナしていた。
お前が心配で俺が心療内科?私は計画停電でビックカメラ?
数日後、彼から荷物が届いた。大小の懐中電灯が合わせて10個と、お粥のレトルトパックが30個くらい入っていた。
ありがたい。がしかしセンスがない。
何を慌てたのか現状をまったく捉えないものを送ってしまう人。別に悪くない。ただ、この人の前で、私はちみちみとあれをしくじったこれで怒らせたと反省を繰り返していたというのか。それは、割りに合わなかったのでは…!!と強く思った。
その後、彼が帰ってきた時、別れてくれと申し出た。
あれだけ私にイライラしてたのだから、離婚は彼の望むところでもあるだろうと思っていたのだが、彼にとっては青天の霹靂だったようで、すぐに離婚することはできなかった。やり直したいと言いながら彼はあれこれと私を責め、どこにいようと連絡してくるようになり、こわかった。
1秒でも一緒にいたくなかったので、私はすぐに家を探した。その時、友達が言った。
「旦那さんちょっとこわい。うちの近所においでよ。何かあったら助けてあげられる。」
頼もしい友達がいて私は嬉しかった。彼女の家の近くで急いで物件を探して、夜逃げするように家を出た。
ひさしぶりの一人暮らし、解放感と心細さの両方のために、私は彼女と一緒によく飲み歩いた。
初めのうち、例えばどの店に入るか、何を飲むか、何を食べるか、自分で決められなくなっていたことに驚いた。自分の選択のせいで誰かが不機嫌になることを恐れていたんだと思う。誰も怒らない、自分で決めていい、意見が合わなくたっていい、と言い聞かせて、一つずつ自分で選ぶ訓練の時間を過ごしていたら、ポロッと離婚が成立した。視界が本当にクリアになった。
友達のいる街で、新しい友達を増やしながら、私はビール!と言えるようになりながら、1人でいる時間を過ごすことにすっかり慣れた頃、今の夫に出会い、普通に恋をして、また結婚した。
この結婚をして、2年が経った。
私がこの2年でしくじったと思ったことは、米の威力を見誤って米を床にばら撒いてしまったことや、結構貯まってたビックカメラのポイントの有効期限が過ぎてしまったことくらいだ。
夫は、あーあ、と笑いながら、お米は一緒に拾ってくれて、ビックカメラのポイントについては一緒に嘆いてくれた。
機嫌が悪くなるのはむしろ私の方で、機嫌を悪くする、というコミュニケーションを私も身につけてしまっていたことにも気がついた。
何かあったのかと心配して私に接してくれる夫を見て、これは、と思った。
私は絶対に、この人に、自分はしくじったと思わせてはならない
前の人も、きっと、どこかで、誰かに機嫌の悪さをあてられることがあったのだろう。人がこんなに不機嫌になるなんて、自分はしくじったんだと反省したことがあったのだろう。そしてそれを、相手に要望を伝えるコミュニケーションのあり方として理解して、いざ私にそれを向けたんだろう。
でも、こんなのは、コミュニケーションではない。
悲しい一方通行だ。相手はいつか離れていってしまう。
そう言えば、前の人は、彼のお父さんととても疎遠だった。
私は、夫のことが大好きだ。離れていってほしくない。私は不機嫌コミュニケーションは封印した。
失敗といえば結婚だった。でも、その人から逃げて、安全に回復するためにたまたま住んだこの街で、私は愛する人と会い、つらかった記憶や間違えて身につけたコミュニケーションも手放すことができた。
そもそも前の結婚しなければ良かったとは思うけど。
それでも、元気になって良かったと言ってくれる友達、結婚してくださいと言ってくれた夫の笑顔を見ていると、あの失敗があったからこそここにいることを、ラッキー!!!!としか思えない。