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スプラトゥーンでの煽り行為は何故「だめ」とされるのか
!注意!断定口調で述べることが多いです。しかし、この投稿はあくまで「自分の考えをまとめる」目的のものであり、ただの個人の意見です。気分を悪くされる可能性のある方は閲覧しないでください。責任取れません。
はじめに:スプラトゥーンには煽り行為が存在する
私はスプラトゥーンという任天堂のオンラインゲームが好きだ。しかしオンラインゲームの特性か、煽り行為というものが存在する。ネット上では、煽りに憤慨する人たちを沢山見る。さらに運営である任天堂も、この煽り行為を問題視している、と私は考える。先日、デスした味方を煽る目的で「ナイス!」を押す行為(通称:デスナイス)を抑止するアップデートを行った。また、スプラトゥーン無印や2でも、ヒト状態とイカ状態を短時間で何度も切り替える煽り行為(通称:煽りイカ)があったが、3では煽りイカの見た目がマイルドになった。問題視していると考える方が自然だろう。スプラトゥーンの売り出し方を見ても、親子でも楽しめるように作られている印象があるので、そういう考えに至るのも理解できる。
さて、嫌がっている人が多く、また運営が煽り行為をよしとしない方針であるため、煽り行為はやはりやるべきではないだろう。煽りは、やられた人が嫌な思いをしうる行為だからだめ。これは色々考えた結果の、シンプルな結論である。しかし、ストーカーや個人情報の晒しではないため、法には触れない。実害も、精神的な苦痛以外は無い。だからよしとする人もいるようだ。一理あると思った。そこで、法に触れない範囲での煽り行為を良しとする意見についてもう少し深く考えてみた。(ちなみに大前提であるが、法に触れる行為がだめ、これについては今は考えない。煽りをよしとする意見についてのみ考える。)
本題:何故煽り行為は「だめ」なのか
味方の戦犯により受ける苦痛は結果的に相殺されると考えて良いから
多くの言い分はおそらくこうだろう。自分が活躍したから勝てるはずだった試合なのに、あいつのせいで負けた、傷ついた。だから試合後、あいつに煽っても良い(スプラでは、試合後に煽りたい対象のユーザーに対しフレンド申請をするという煽り行為が存在する)。確かに、スプラトゥーンはチーム戦であり、味方のミスにより受ける精神的苦痛はもちろんあるだろう。しかし我慢できることだと思う。何故なら4vs4の戦いで、マッチングしたプレイヤーの誰が味方になるかは完全にランダムだから(マッチングの仕組み上、敵になりやすいプレイヤーはいる)。幾つも試合を行うなら、いわゆる戦犯プレイヤーには確率で考えるといつか必ず当たる。味方に来た場合は精神的に苦痛だろうが、敵に行った場合どうだろうか。むしろ気分良くなるだろう。これが50-50の確率で起こるのならば、苦痛は相殺される。つまり試合を重ねれば重ねるほど、試合の精神的な部分に関しては、快楽も苦痛も起こらない、ずっと感情0の状態であると考えて良い。だからもし苦痛を感じても我慢できるだろうし、我慢すべきなのだ。
自分の過去の失敗を棚にあげているから
また、下手だから馬鹿にして良いという意見も少なくないだろう。これも無論、間違っている。理由は二つある。一つは自分を棚に上げているから。何度も試合に潜るというオンラインゲームの性質上、トライして失敗した経験は自分にも山ほどあるはずだ。真剣に試合に参加し、トライして失敗する行為を誰も馬鹿にできないはずなのである。自分を棚に上げて人の行為を罵るのは、自分勝手としか言いようがないだろう。いやいや自分で失敗したときは自分で自分を罵ってるから自分勝手なんかじゃないよ!という意見も聞こえてきそうだ。しかし、自分はミスは罵られて然るべきというスタンスであろうが、他人は違う価値観を持っている。傷つく人は普通にいるだろう。そこを無視して他人を罵っても良いとするのも、私は自分勝手な考えだと思う。
弱者に寄り添う環境作りが必要だから
もう一つの理由。弱者に寄り添う環境作りが絶対に必要だからである。では、弱者に寄り添うのはなぜか。
自分や自分の大切な人が「弱者」になったとき困らないようにするため
これは、相手が嫌な思いをするからという理由だけではない。自分や自分の大切な人が、いつ弱者側になるか分からないからである。もしくは既に、弱者側なのかもしれない。弱者が苦労するのは自己責任だという人もいる。それは私が思うに絶対違う。弱者になるのには、何も自分の行いが原因ではない場合も少なくないのだ。強盗にあってお金がなくなった、交通事故に遭い半身不随になった、生まれつき障害があった、幼い頃から虐待されてきた・・・そういう境遇の人たちに対し、それでも自己責任と言えるか?私は言えない。もちろん、今の自分がその環境に飛び込んだらどうにか対処するかもしれない。でも、その環境でしか生きてこないと、対処法すら分からないもしくは対処すべきとも思っていない、と推測できるからだ。
多様性が失われ、生き物として衰退するのを防ぐため
また、弱者に寄り添う環境を排除するとどうなるか。一言で言えば、多様性が失われる。これの何がまずいか。まず遺伝的多様性について、これが失われると、どの個体も環境が変化に対応できなくなり、やがて絶滅する。これは種の多様性が失われることにもつながる。社会・経済的な面で考えても、種類がある方が良いに決まっている。他とは批判や協力し合いながら発展していくものだ。排他的になればなるほど、生物として衰退していく。だから排他的な行動や弱者への差別は、私は危険な優生思考であると考える。自分や自分の大切な人が嫌な思いをしないために、生き物として人間がこれからも進化していくために、弱者に寄り添う環境が絶対に必要なのである。
本質的にはいじめと変わらないから
さらに、下手だから馬鹿にして良いという思考には、やられる側が悪いという考えを含む。これは本質的にはいじめを行う加害者と同じ考え方である。いじめは自殺にもつながるため、良くない。でも煽りといじめは同じ言葉じゃないし、煽りなんか所詮、いじめに比べたら大した苦痛を与えないでしょう・・・という考え方もあるだろう。それについては深く考えたが、納得のいく結論は思いつかなかった。苦痛を感じる行為は程度によらず全て悪!と決めてしまっても、それはそれで何かに悪影響が出るだろう。与えて良い精神的苦痛の限度を明確に定められたら良いが、私はその限度をどのようにして設定するのか、結論を出せないままでいる。ここは一旦、煽りを嫌がる人間がやめろと言い、運営の任天堂が煽りはダメという方針なので、やはり煽りはしない方が良いだろう・・・という結論に落ち着いても良いのではないか。
おわりに:煽るのではなくキャラクターを愛でよう!
色々書いてきたが、結局私は感覚的に、煽りは品のない行為だと思う。また、任天堂のデザインしたイカとタコ(やシャケ)はすごく可愛いのだ。せっかく可愛いのに、やられた仕返しなどというマイナスな行為に使って欲しくない。ちゃんと運営の意図を汲んで、しっかりとキャラクターたちを愛でてあげるべきだ。もしもデスしてしまう可愛い初心者イカタコが味方に来ても、画面の向こうには、まだ生まれたての赤ちゃんが座っているかもしれない。ここは、リザルト画面のイカとタコの顔写真の可愛さに免じて、大目にみてあげると良いのではないだろうか。