今からでも向き合ってほしい、ただひとつの過去
衆議院議員選挙が終わった。
私が投票権を持つ選挙区では、かねてから問題行動や発言が多く、信条的にも危ういところがありながら、町内会や老人親睦会など、高齢者から成る各種団体を中心とする岩盤支持層の上であぐらをかいていたベテラン政治家に、ようやく議員を遠慮していただくことができた。私が投じた票も、その目的に寄与できた。
しかし他の選挙区の結果を見ると、いわゆる”裏金”を激しく糾弾されている人、ほとんどの人が反対していることを強引に決定したあげく、それを”民主的”と勘違いして、強権的な態度で威張る人、お年を召され過ぎていてもなお地元からの熱狂的支持がある「お殿様」のような人がしっかり当選している。政治家をひとり選ぶことだけしかできない、選挙の限界を感じる。財界や海外市場などの反応は相変わらずだし、何とも気が重くなってくる。
最近は規模の大きい選挙が近づくと、以下の主張がSNSのタイムラインを賑わせる。
「白票はやめてください。意思表示にはなりません。現状の政権のやり方を追認することになります。必ず立候補者の名前を書いてください。どれほど気が進まなくても、一番当選させたくない人と対立する候補の名前を書いて投票してください。」
著名人も含めて、幾人もがこの注意喚起をしている。彼らは同時に、こう嘆く。
「有名な新聞などのメディアでも、白票は意思表示のひとつと考えているところが少なくないのは嘆かわしい。」
私が知る限りにおいて、”白票のすすめ”を初めてメディアで述べた人は『暮しの手帖』の花森安治氏である。
花森氏は1976年秋に発売された第2世紀44号に「ぼくは、もう、投票しない」という記事を執筆した。
ロッキード事件が社会問題になり、元総理大臣の逮捕が世間を驚かせた頃である。与野党の政治家の態度や、選挙制度の仕組みそのものに失望して、ストライキの意味を込めて、投票用紙に「×」印をつけて投票する、という主旨である。
その時私は中学生だった。最初見た時はびっくりした。×印票が15%、20%と増えていけばどうなるかという妄想に、怖さを感じた。雑誌はいつしか母が処分したが、「×印投票」は私の心に長く残された。
数年後選挙権を得てからは、「公職選挙があれば、必ず投票に行く。×印のような無効票は投じない。」を、自らの姿勢とした。幼いころから親しんできた『暮しの手帖』に対する初めての、はっきりした反抗でもあった。不毛な選択となる選挙は幾度もあったが、意図的な無効票を一度も投じなかったことは、ささやかな誇りとしてよいだろうか。
この記事は2002年に発行された「300号記念特別号」に再録された。大人になってから目を通すと、花森氏の”老い”が文章全体から匂い立ってくるように感じられた。後で知ったことだが、花森氏は1969年の100号編集作業中、出張先の京都で心筋梗塞の発作を起こし、一命を取りとめたという。第2世紀に入ってからは、個人的な”遺言”のような記事をほぼ毎号載せていたが、それはとりもなおさず「老いてしまい、もう先はあまり長くないことの告白」でもあった。「ぼくは、もう、投票しない」はその象徴である。
選挙制度そのものがはらむ問題点や、選挙前後の政治家の態度に対する花森氏の見方は、決して間違っていない。だからといって、×印のような無効票を投じて「ストライキ」とするのは、ただの自己満足に過ぎないのではないか。「立候補者全員が法定得票数に満たない場合、投票率が定められた基準を下回った場合、白票を含む無効票の割合が定められた基準を上回った場合は当選者なしとして、一定期間議会や首長を欠員とする。再選挙を行う場合、前回の選挙に立候補した者は有権者からの信任を十分に得られていないとみなし、改めての立候補を認めない。」というルールでもあれば×印投票でも意思表示になり得るのかもしれないが、そうではないのだから。
1970年代半ばの『暮しの手帖』は、一時ほどの勢いは影をひそめていたが、まだまだ発行部数も多く、社会に対する影響力も強かった。平和主義リベラル派で、ユニークな観点で世の中を評する花森氏には、未だファンが大勢いた。その花森氏が「×印投票」の話を書いてしまうと、たとえ一個人の信念に過ぎなくとも、社会に誤ったメッセージを与えてしまいかねない。リベラル・穏健派の信条を持つ後続ジャーナリストで、花森氏の影響を受けた人も決して少なくないだろう。その世代も既に現役の一線から退く時代になっているが、日頃穏健な主張をする側のメディアが「白票意思表示」を言い出すのは、花森氏が残した負の遺産と思う。
この記事は大橋鎭子社長がその権限をもって、掲載を見送る判断を下すべきではなかったか。二人の責任問題でもある。
花森氏も大橋氏も世を去って久しいが、『暮しの手帖』は現在でも発行を続けている。花森氏の伝説的な著作や、愛らしいイラストをあしらったグッズも販売されている。
『暮しの手帖』の名前を使い、花森氏の業績を後世に伝えるミッションを背負って雑誌を作り続けるのならば、現在の編集部で今一度この記事に向き合い、何らかの見解を出してもらえないだろうか。
花森氏の考え方の否定になっても構わない。人間、誰しも完璧ではない。そして誰しも、いつかは老いて衰える。それを真摯に受け止めてほしい。
幼い頃の淋しさに寄り添ってくれた『暮しの手帖』に、ただひとつだけお願いしたいことである。