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36年の空白

<はじめに>
この記事は既に放送を終えているテレビドラマを話題としていますが、現在再放送中の作品をこれから初めて見る方もいらっしゃるということを鑑み、念のため「ネタバレ」タグをつけておきます。


Come, come, everybody

2024年11月18日より、連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」(以下「カムカム」)の再放送が始まった。(平日12時30分よりNHK総合)

この作品は主人公のひとり・雉真(きじま)るいが竹村平助と出会う回から本格的に視聴を始め、以降最終回まで録画を残している。が、それ以前の回はいろいろ噂には聞いていたものの、本編はほとんど見ていなかった。今度は第1回から気合いを入れて録画をセットしている。

私にとって序盤の回は「若き日のアニー・ヒラカワの姿」という位置づけになる。

「きゅうりって英語なんですか?」
「私は、うちのお菓子が大好きです。でも、お菓子食べよる人の顔を見るのはもっと好きです。」

と、”あのアニーさん”が無邪気に屈託なく話す場面は結構衝撃的だった。

…と書き始めると、「このnoteクリエーター(というほど大層なものは全く書けていないが、noteにおける定義に従う)は熱心な朝ドラ(連続テレビ小説)ファン」という印象を与えてしまうかもしれない。実際これまでも「おかえりモネ」「ブギウギ」に言及する記事を書いている。

しかし!
私はもともと、朝ドラは見ない主義である。
理由は至ってシンプル。

”人生のほとんどの時期においてその放送時間は、通学や通勤のために費やすべき時間だったから。”

「藍より青く」

私が初めてはっきりと存在を認識した連続テレビ小説は「藍より青く」だった。当時小学生で、春休みや夏休みの時期に少し見ていた記憶がある。主人公や演じた俳優さんの名前も既に忘れてしまったが、大和田伸也さんが主人公の夫の海軍少尉役で、主人公が子供を身ごもっている時に出征命令が来て、そのまま戦死してしまい、生まれた子の顔を見ることはかなわなかったという筋だけは、はっきりと記憶している。戦後ひとりで子供を育てる主人公は次第に年を重ねていくのに、仏壇に飾られた大和田さんの遺影(失礼な表現ご容赦)は若いまま。戦争というものへの理解が少しずつ深まっていく契機のひとつになった。

その後の作品は学業が忙しくなり、見ようとさえ思わなくなった。作品内容も、もともと若者向けではなかった。「おしん」(1983年度)が大人気を博した時は、世間の反応が全く理解不能だった。当時の文部大臣が主人公の幼少期を演じた子役さんを庁舎に招いて、いろいろ話しかけてはご満悦だったと報じた新聞記事を見て「あー、みっともない。」とため息をついた。今でいう”老害”と思った。その大臣は次の選挙で落選して、政界を引退したと記憶している。罰が当たったのだろうと、冷ややかに見ていた。「視聴率60%超え」とあおる新聞記事に対して、局のベテランディレクターが「もし本当に60%もあるのならば、朝の通勤ラッシュなど成り立たないはず」とかみついていた記憶もある。当時の視聴率調査は世帯別しかなかったから、夫や子供が家を出た後で妻や老いた親が家庭でテレビをつけるパターンを見逃していると、今ならば冷静にツッコミを入れられるが、当時は「我が意を得たり」の気分だった。

「ロマンス」・「心はいつもラムネ色」

そんな私にとって唯一の例外が、次の1984年度だった。この年だけは放送時間が通学時間と重ならなかった。

上半期は榎木孝明さんが主演の「ロマンス」。映画(活動写真)黎明時代を舞台にした”活動屋”の物語である。詳しいストーリーはこれまたすっぽりと忘れているが、主題歌の「夢こそ人生」(作詞:岩谷時子、作曲:山本直純)だけは今でも強く印象に残っている。この曲を聞いてから家を出る習慣ができた。

後年、この作品の制作を担当した人のインタビューを読む機会があった。「おしんの次は何をやっても文句を言われるだろうから」と開き直り、主人公を若い男性にして、初めて歌詞つきのオープニングテーマ曲、すなわち主題歌を作ってもらったという。

下半期は「心はいつもラムネ色」。戦前戦後の大阪で、漫才作家として活躍した実在の人物をモデルとした物語だった。

しかし、その次からまた見なくなった。再び通学時間と重なったのみならず、自分の人生で最も厳しいステージに突入して、それどころではなくなった。「青春家族」とか、タイトルを聞かされたら当時数回程度見ていたと思い出す作品もあるが(最終回、誰もいなくなった空き部屋にキャストの家族写真がポツンと飾られていたラストシーンはなぜか覚えている)、まともに見てみようと思い立った作品は全くない。いつしか連続テレビ小説の存在自体が私の意識から消えていった。「あまちゃん」人気もスルーした。

「エール」

再び見る気になったのは、「心はいつもラムネ色」から36年経過した、2020年上半期の「エール」の途中からだった。コロナの流行で時間ができたことに加えて、「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)を取り上げてくれるかもという期待が後押しになった。私自身はもちろんリアルタイム世代ではないが、幼稚園のときの先生がリアルタイムで親しんでいたであろう年輩の方で、お遊戯の時間は「とんがり帽子」をオルガンでよく弾いていた。それゆえ、懐かしい一曲である。

「エール」は、そこそこ面白い作品だった。喫茶バンブーのおかみさんの天然ボケなど、幾度か笑わせていただいた。
一方、がっかりさせられる場面も少なくなかった。そもそも企画立案動機が不純だし(私は一貫して五輪招致反対派。コロナの際、スポーツに携わる人たちがいかにわがままで傲岸で、スポーツマンシップと対極にあるかを、嫌というほどに思い知らされた)、制作陣の思い入れが「栄冠は君に輝く」一曲に偏っている気配が鼻についた。その割に、戦後まもない時代東京から西宮市まで行くのには夜行列車が基本という歴史的事実すら押さえられていない。何よりもあの時代を生きた人たちの、ピンと背筋が張ったたたずまいへの敬意を欠いた作劇姿勢が気になった。

たとえば、主人公の友人の歌手・佐藤久志が1936年ごろ、レコード会社のオーディションを受けようとする。その新聞広告記事の活字は、あきらかに戦後かなり経ってからのもの。オーディションはレコード会社社長の息子の合格が既に決まっている「出来レース」で、後からそれを知らされた佐藤は怒りをぶつけるが、社長の息子は佐藤を一発殴って

「おつかれ~。」

と薄ら笑いを浮かべて去っていく。

とほほほ。
あの時代の人ならばそういう場合、「いや、失敬、失敬。」と言うはずである。一気に冷めてしまった。

「エール」で一番よかったのは、最終回の古関作品コンサート。劇中の粗や、もやもや感を全て吹き飛ばす熱演だった。「あさイチ」の枠を少し分けてもらって、45分くらいじっくり聴かせてほしかった。一方で、今の時代を生きる人たちがいくら工夫を凝らしても、あの時代の”本物”にはとてもかなわないということを、したたかに思い知らされた。この回は録画を残している。

「おかえりモネ」・再び「カムカムエヴリバディ」

「エール」を見終えた時は、「今どきのドラマって、こんなもの?」が率直な感想だった。次作は関心が向く題材ではなかったので、最初からパス。そのまま朝ドラ界から再びフェードアウトする心づもりだった。

しかし、その次の作品がNHK気象班監修の「おかえりモネ」(以下「モネ」)で、朝ドラ界に引き留められた格好になった。この作品は繊細な硝子細工のようで、努々おろそかに語るなかれである。「モネ」は現代劇ゆえ、今でも登場人物が実際に生きているかのように錯覚することがある。先日下関市の唐戸市場に行った際、場内に入るや

「ここ、みーちゃん(永浦未知)が好きそう。」

と真っ先に思い、ドラマの話やん!とすぐに気づいて、自分にツッコミを入れた。

「おかえりモネ」永浦未知・後藤三生のプロフィールパネル。
気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ内に展示されている
実在の地元青年プロフィールパネルを模している。
(宮城県気仙沼市、2022年1月)

「エール」や「モネ」が放送された頃は既にSNSの時代になっていて、ネットには「朝ドラの枠で放送しているから見る」という”朝ドラファン”が想像をはるかに超えて大勢いると気づいた。歌舞伎などの「見巧者」よろしく丁寧に論評する人、”推し”の俳優が出演するから見るという人、ドラマに題材を取ったイラストや漫画を描く人、本編で描かれなかったサイドストーリーを紡ぎ出す人。玄人はだしの作品や、本編以上に笑える傑作も少なくない。

…もはや伝統芸能の域に達しているではないか。最初はそれこそ浦島太郎気分だった。

その一方で、ただ悪口を言いたいだけの”小姑”的な人、自分の推し俳優の演じる登場人物が作中でよい思いをしないと怒り出して不満をぶつける人、年度下半期に放送される大阪放送局(JOBK)制作担当作品を持ち上げ、上半期に放送される放送センター(JOAK)制作担当作品を殊更に貶める「BKびいき」の人が少なからずいるという現実も知った。「ひょっこりひょうたん島」愛にあふれる著作も出している方が極端なBKびいきで、SNSでAK作品を叩きまくっていて、ああそういう人だったのと、いたく失望させられた。

「モネ」が終わると、クールダウンする時間が少し欲しくなった。日曜日をはさんですぐに次の作品という長年の慣習は好きになれない。「カムカム」の序盤をパスしたのはそれゆえである。しかし一旦見始めたら、たちまち魅了された。

この作品はNHKラジオ英語講座を軸に据え、「ジャズ」「あんこ」「時代劇」「野球」をキーワードにして、親子三世代100年の物語を紡ぐという触れ込みになっているが、他にも隠されたキーワードがある。

ひとつは「落語・漫才」。
作中の随所に織り込まれているギャグが落語的、お笑いが権威化する前の時代に人気を博したのどかな漫才的で、品性を失わず、テンポよく笑いを取ってくる。

竹村平助「ほんで、そのカーペットカラーのやつにしたんかいな。」
和子「シャーベットカラーや。じゅうたん巻き付けていくんか。」
(中略)
和子「娘とショッピングいうの、いっぺんやってみたかったんや。今日は、ほんまに楽しかった。ありがとうねえ。」
平助「うちは子供おらんからなあ…まあ、子供ができとったとしても、るいちゃんみたいにべっぴんさんには育たんかったやろけどな。」
和子(ひと呼吸おいて)「そら、そやな。」

美咲すみれ「何よ、あなたさっきから全然飲んでいないじゃない。」
大月ひなた「あの、未成年です。」
すみれ「さっさと成長しなさいよ!気が利かないわね。」

伴虚無蔵「あのアニーなる刀自(とじ)、メリケン生まれとは到底思えぬ。」
ひなた「刀自?年輩の女の人のことですか?すっと言うてください。」

再放送で見た初期の回でも、和菓子処「たちばな」の職人や主人公橘安子の母親や祖父母が、ラジオの落語番組を聞いて笑う場面が描かれている。

もうひとつは「連続テレビ小説」。
中盤以降は各年代に放送されていた連続テレビ小説を劇中に登場させて、入れ子形式でリスペクトを捧げる構造を取っている。るいの夫となる大月錠一郎や、るいの叔父・雉真勇の妻、雪衣(ゆきえ)が熱心な朝ドラファンという設定にしている。SNSでは柳田直和さんという漫画家の方が「ジョーさんと幽霊雪衣さんの朝ドラ談義シリーズ」をたびたび披露して、私も大いに笑わせていただいた。前述の「夢こそ人生」も劇中でかかり、懐かしさに思わず涙した。

雉真るいは母親のお腹の中にいる時に父親が戦死して、彼女は生まれた時から父親の姿を直接知らないという設定や、橘安子の祖父役に大和田さんをキャスティングしたのは、「藍より青く」を意識していないだろうか。

「カムカム」の撮影は「モネ」の放送開始前後に行われたはずだが、橘家でラジオを購入したら職人たちが天気予報を聞いて驚きの声をあげるとか、橘安子が後に夫となる雉真稔からラジオ英語講座のテキストで勉強するように勧められるとか、るいが成長してクリーニング店で働き、そこで人の温かい情を知り心の傷を癒していったなど、「モネ」をどこか彷彿とさせる演出が複数登場したという偶然にも、改めて感心する。

加えて、主題歌もよい。近年作られる歌はベテランシンガーが出すものも含めて、聞いていてしんどくなるものがほとんどだが、この曲は一心に祈りを捧げるように歌われている。
「この世界が終わるその前に」「きっといつか儚く枯れる花」「不穏な未来に手をたたいて」など、きれいごとを並べ立てる応援ソングとは一線を画す言葉が織り込まれている。

「カムカム」で唯一惜しまれるのは、放送回数がかなり削られてしまったこと。「エール」以降の作品はコロナの影響を受けて放送期間が変則的になっていたが、通常放送期間に戻す際のしわ寄せをまともに受けた格好になった。最も尺を削ってはいけない作品なのに。最後のほうはまさに「駆け足」だったし、生まれて間もない頃の大月ひなたを竹村平助・和子夫妻がかわいがる場面を作ってもらえなかったことは、今なお心残りである。事情が事情だし、「土曜日に週まとめを放送」の原則にとらわれず、土曜日も本編にあててよかったと思う。

外に行くほど難しい

連続テレビ小説では、戦前から戦中戦後を舞台にする「準時代劇」作品が多い。その時代考証成果表現のことである。

「カムカム」で作られた竹村家(クリーニング店舗および住宅)のセットの精巧ぶりには感心した。私の祖父が生前東京都内の下町で営んでいた医薬品販売店舗兼住宅を思い出しながら見ていた。

一方、竹村クリーニング店がある小さな商店街のセットにはどこかぎこちなさを感じた。この時代の商店看板は、屋号の下に住所と電話番号の記載が標準仕様だったはず。しかし、適当な住所や電話番号を書いてしまうと実在する人が使っているものと重なり、迷惑がかかる恐れが生じるため、まあ仕方がないのだろう。

表通りのセットには、さらに違和感を覚えた。るいが大阪にやってきた回では「Come, come, everybody」の歌にあわせて深津さんがダンスを披露する場面がある。映像としてはとても可愛らしく仕上がっているが、町のたたずまいはどう見ても戦前の風景をベースに作られている。大阪は空襲の被害がひどく、終戦の時は難波の高島屋屋上から梅田まで、焼け野原ごしに見通せたという。従って1960年代前半に存在した建物はほとんどが戦後の建築であり、表通りは鉄筋コンクリートの低層ビルが既に主流だったと思われる。この場面は読書好きのるいが頭の中で描いた空想と解釈しているが、平助の自転車とぶつかる時に背景をくすんだビル街に変えて、現実に引き戻される表現にしてほしかった。ダンスの後半でるいが百貨店で買い物をする振り付けがあるが、後で給料をもらった際に和子から「貯金はええけど、全部はあかん。少しは使いなさい。」と促される場面との整合性が取れなくなってしまわないだろうか。若いころのるいは、本以外にはほとんど物欲を持たない人として描かれているのだから。この記事を書くにあたり録画を見返して、今さらながらに気がついた。

ロケ撮影ではさらに「写ってはいけないもの」が入り込んでしまう。ジャズ喫茶の仲間たちでドライブに行く回は淡路島でロケをしたというが、道路や海辺の護岸設備がその時代にはありえないほど立派すぎる。昔の田舎の海岸道路は、かろうじて舗装されている程度ではなかったか。ドライブが楽になったのは1970年代半ば以降だろう。

消費される”戦争体験劇”

時間的制約から解放された現在、連続テレビ小説に対する私のスタンスは一貫している。自分の興味を引く題材ならば見る、ピンと来なければはじめから一切見ない。見ると決めた作品は、腰を据えて鑑賞する。優れている点、心が動かされた点は大いにほめる一方、疑問を持った点は「もうすこしがんばりましょう」のスタンプを押すが如く、きちんと指摘する。近年のドラマファンは「何でもかんでもほめて甘やかす」姿勢の人が主流になっていると聞き及ぶが、忖度やお追従だけでは”ほめ殺し”と変わらない。

この原則に従い、「カムカム」以降の作品は「ブギウギ」しか見ていない。「朝ドラだから、題材が何であっても見る」層とは一線を画したい。

連続テレビ小説の「準時代劇」は、あの時代の再現劇を通じて戦争と平和について考えてもらいたいという狙いがあるのだろうが、今の時代に漫然と取り上げてしまうと、その思いとは裏腹に「娯楽消費財」として、たちまち使い捨てられる危惧がある。野坂昭如氏原作の「火垂るの墓」のアニメ映画は大ヒット作となったが、登場人物のセリフは今なおSNSなどでギャグとして使われている。連続テレビ小説の準時代劇も、否応なくその流れに乗せられる。そうこうしているうちに”新しい戦前”的な社会体制が着々と構築されつつある。

準時代劇が制作放送されるたびに、あの時代を生き抜いた人たちの姿や残した業績が次々と衆愚のエンターテインメント欲の餌食にされてしまう危うさを感じる。朝ドラファンの”見巧者”さんたちは、その問題についてどこまで自覚なされているだろうか。





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