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神様だとは言わないが

このところ「カスタマーハラスメント」「クレーマー」に関する記事やニュースを目にする機会が増えてきた。当方の常識では計り知れないことを言ったり、暴行恐喝などの犯罪に相当するような行為に及んだりする人は、実際少なからずいるらしい。

私自身も幾度か目撃したことがある。
まだ「セクハラ」すらも定着していなかった頃、およそ30年前と記憶しているが、東北地方のあるJR主要駅みどりの窓口において、大声で散々怒鳴り散らしている老人を見かけた。申し込み用紙に記入しようと入ってきた人や、並んでいる人たちは一瞬驚いた表情を浮かべ、すぐに目をそらしていた。

老人は、駅員の説明にどうしても納得できないのか、怒鳴り続ける。駅員の説明と怒鳴り声が堂々めぐりとなる。後年、「どんなに強い怒りでも、15分以内に収まる」という話を目にしたが、例外はある。

とうとう、助役クラスと思われる上役の駅員が場をおさめに来たが、老人はその人にも怒鳴り散らした。上役の駅員は若い駅員とともに、半ばなだめるように、半ば羽交い絞めにするように、老人を隣接の旅行センタースペースのほうへ連れていった。

2020年ごろ、いつも使っている路線バスに、いかにもセレブ風の白い服を着ているご高齢の方が乗車した。この人が、まるで召使をあごで使うかのように、運転手を大声で怒鳴りつけていた。この時代は既に「カスハラ」という言葉ができていたが、「降りてください」と言われることはなく、やがて静かになった。

恥をさらすが、私自身もキレたことが幾度かある。レジ袋の圧着が取れず、いくらずらそうとしてもうまくいかなかった時や、初めて入ったカレーハウスでスプーンの置き場所がわからなかった時(ひとつひとつ紙ナプキンに包んでいて、銀色が直接見えない格好だった)など、店員が器用に手際よく処理して、ニコッと笑顔を向けられると「ムカッ」と来ていた。これは明らかに、幼稚園から小学生時代に不器用ゆえ、ひも結びや工作がなかなかできず、教師に「3歳児」などと黒板に書かれてからかわれたり、母親に「またそんな汚いもの作って」と嫌そうな顔をされたりしていた、劣悪な生育環境ゆえである。私の脳の中で、この種の笑顔は「そんなこともできないの」という侮蔑のサインとして登録されていて、遭遇した時にはただちに警戒モードを発令せよという”脳内マニュアル”ができていた。一般のクレーマーがキレやすいところに関しては、ひと通り不満を述べたら自ずと怒りが収まっていくタイプである。すなわち他の人とは異なるところに”地雷”が埋まっている形ゆえ、店員はさぞ驚いたと思われる。

その頃は私自身も、自分がやりたいことを何一つ認めてもらえないまま中年まっしぐらになってしまう!と焦っていて、イライラが止まらなかった。今振り返れば、なぜあれほど苛立っていたのだろうと不思議に思える。もちろん今は、接客の人には敬意を持ち、丁寧にふるまうよう心がけている。

カスハラやクレーマーの話題がクローズアップされる背景として、スマートフォンの性能向上により、客観的証拠を記録しやすくなったこともあげられるだろう。すなわち「水かけ論」や「責任のなすりつけ合い」に陥る事例が相対的に減少して、現場から声を上げやすくなったとみられる。

その一方で、近年は犯罪として認定されうるほどに極端な行為の報道が、やや過熱気味であるようにも思える。それはかえって、サービス提供側の不手際に対して、顧客側が正当な声をあげづらくなる雰囲気を醸成してしまわないだろうか。それでは40~50年前に逆戻りである。

この問題において、よくやり玉にあげられる往年の名セリフがある。故・三波春夫氏の「お客さまは神様です。」近年はご子息の三波豊和さんが「父は、お客さんは何をしてもよいという意味で言ったのではありません。」と、わざわざコメントなされている。それもまた、エキセントリックにすぎると思う。

客は金銭を支払っているのだから、無謬的に偉いと考えている人は、メディアが騒ぐほどには多くないのではないか。目立つほどにわがままな客の裏で、とかくぞんざいに扱われやすい層は確かに存在する。華奢な体格の中学生くらいの男子や、地味でおとなしそうで、なおかつ足腰に不自由していない中高年女性など。(明らかに腰が曲がっていたり、支払いの手元がおぼつかなかったりする場合は、万引きされる恐れがないことを確認した上で、逆に心遣いの対象となる。)

「デートの時、レストランの店員を見下し、威張るような態度を取る人は、将来のDV予備軍だから結婚相手に選んではいけない。」という、若い人向け指南もよく見かけるが、その背後には思春期時代、まじめに買い物をしようとしたら店員に軽くあしらわれたり、小馬鹿にされたりなどの経験が潜んでいないだろうか。子供のころに受けた仕打ちの恨みを晴らさんと威張る人を相手にする店員からすれば、名前も顔もいきさつも知らない”接客の大先輩”の尻拭いをさせられている形である。

逆にスーツネクタイ姿の人や、”その筋”を思わせるような威圧感を放つ人に対して、ほとんどの店員は及び腰になる。やはり30年ほど前だが、東北地方と関東地方の小さな町の中心駅で列車を待っている時、いかにも「それ風」の出で立ちの人が立ち食いそばのスタンドに来て、カウンターをバン!と叩きながら、「おばちゃん、ビール!いつもの!」と大声で注文する場面を見かけた。いずれの駅でも毎度のことのようで、店員は「もう、他のお客さんもいるんだからね!」と言いつつも、顔色ひとつ変えずにビール瓶の栓を抜き、麺をゆで始めた。それができる”接客の神様”が、この世の中にどれほどいるだろうか。まして今は若い人を厳しく指導することが憚られる時代である。”タメグチ”、見下し、取り違え、渡し忘れ、順番後回し、常連えこひいき、「後出しジャンケン」のようなルール違反指摘、万引きなどの不正行為と誤認…など、顧客がクレーマーになる引火点を下げるような行為に及ぶサービス業従事者が、役所など公共機関窓口まで含めて今後増えていくのではないかと、心配になってくる。

「お客さまはあくまでお客さまであり、神様ではない。我々と対等だ。」という、接客業の方の声も見かけた。

何も、神様と思えと言っているのではない。対等と胸を張りたいのならば、客の見てくれや押しの強弱に対してぶれることのない”敬意”を心の中に育ててから、その職についてほしい。トラブルを極力少なくする工夫も怠らないでほしい。

そして、自らの誤認や不注意で顧客に嫌な思いをさせた時はきちんと謝ってほしい。逆に当方の不注意や不案内で、図らずもルールを乱してしまった際に、「失礼しました」と謝ったら「了解」のサインを、わかるように出してほしい。いずれの場合も、ムスッと無言を貫く人が実に多い。

以前はスーパーマーケットに買い物に行くと、箸や小袋などをつけるかつけないかの質問を、うんざりするほど投げかけられた。「Yes No Questionに、しっかり答えてほしい」という不満もSNSで見かけたが、そもそもQuestionが多すぎた。コロナが流行して、マスクの生産が間に合わなくなった頃、少しでも飛沫を防止するという目的ができてようやく、この種の質問が減ってきた。さらに、セルフレジの導入がかなり進んだ。バーコードの読み取りから客にやらせるフルセルフレジは、小さな商品など慣れないとなかなかうまくいかない場合があり、かえってクレーマーを生産したり、顧客がしびれを切らしたりのリスクがある。読み取りは店員が行い、支払いやポイント還元を機械で行うセミセルフ式が、店員にとっても顧客にとっても一番安心と思う。

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