自分事でないから平気
あー、放送しちゃった…
数年前、往年の人気アイドルが自らの家族についての告白を行った。
自分と、その子供についてDNA鑑定を依頼した結果、実の親子ではないという結果が得られたという。すなわち、元配偶者(芸能界の人)の不義密通が科学的に立証されたことになる。
正式な夫婦で、不義密通などとんでもないという道徳観念を持つ人たちの中にも、他人の子を育ててしまったケースがある。子供が生まれた際に、産院で取り違えが起きたがゆえである。子供が成長するにつれ、家族や親戚の誰とも似ていない、ABO血液型レベルでそもそも親子関係はありえない、などの事象が現れて発覚する。配偶者に、身に覚えのない浮気や密通を疑われ、家庭が修羅場になった事例もある。
いずれの場合も、子は大きなショックを受ける。「実の親は誰なのか知りたい、一度でも会いたい」が人生最大の目的となり、それに生涯を捧げる人もいる。「親と血がつながっていること」は、潜在意識レベルで、自らの存在と尊厳の根源をなしている。
昔の親は、子が言うことを聞かないと「あんたは、橋の下から拾ってきた」と暴言を吐いて、力ずくで言うことを聞かせようとした。藤子不二雄マンガには、主人公が親からそう言われて自信をなくす場面がよく登場する。それもまた、親子関係が自らの存在と尊厳の根源をなしていることを逆手に取った脅しつけである。
某大河ドラマ第27回・第28回を見て、そんなことをつらつらと思わされた。
あらすじは、2024年5月末に発売されたガイドブック後編で把握していた。これ、本当に放送するのだろうか、放送して構わないのだろうか…心がざわついた。他のガイドブックに掲載されている写真を見ると、その時点で撮影もかなり進んでいたようで、今さら変更は効かないと悟った。
なので
「あー、やっぱり放送しちゃったの…」
が、率直な感想である。
元のあらすじには、もっと過激な展開や、クレームがつきそうなセリフも書かれていた。それらを微調整するのが精一杯だったのだろう。
視聴者は現代を生きる
科学技術が発達する前の時代を生きた人たちの、血縁に対する考え方は、現代とはまた違っていたかもしれない。不義によりできた子を実子として育てるケースも、もしかしたらそう珍しい話ではなかったかもしれない。よほど似ていないなど、ひと目でわかる特徴が現れない限りは、怪しいと思っても納得せざるを得なかっただろう。乳幼児の死亡率が現代とは比較にならないほど高く、「幼子は神の子」とされていた時代は、たとえ不義の子であっても健康ならば、とにかく家を存続させるために育てざるを得なかった、とも想像でき得る。
他方、昔は家柄がその人の存在と尊厳の根源をなしていた。いわゆる後ろ盾の強弱で、人生が大きく左右された。親がそれと知らされないままに、血縁関係にない子を実子として育てるケースが明るみに出たら、大問題にも発展しかねない。それを考えると、血縁関係に対する倫理観は昔から一定レベルで担保されていたとも想像できる。
脚本の先生や制作統括など、某大河ドラマスタッフは以下の3点において、重大な勘違いをなされているのではないか。
(1)大弐三位は、少なくとも左大臣の実子ではない
「大弐三位」こと藤原賢子の生母・藤原為時女(紫式部)は「藤原宣孝室」と記録されていて、賢子は宣孝の実子と考えられている。一方、紫式部を「御堂関白(藤原道長)妾」とする記録は、その信憑性が疑われている。式部が残した和歌や日記も、道長は物語執筆用紙のスポンサーにすぎず、仕事上付き合わざるを得なかった偉い人、というニュアンスの解釈がなされている。二人の対面は、式部が彰子づき女房として宮中に上がった頃からだろう。万一、妾という記録に間違いがないとしても、それ以降に関係を結んだのだろう。もちろん、賢子はその時既に生まれている。
道長が賢子の実父という新説?は、時代考証担当がその責任の下に即切り捨て、台本を出演俳優に渡す前に、制作スタッフを強く諫めるべき発想である。聞き入れてもらえないようならば、考証役の途中降板をも視野に入れる覚悟を持っていただきたかった。
もし、これを認めてしまうと、賢子は藤原彰子の異母妹ということになってしまう。いくら何でも、それはまずいのではないか。
(2)見せる相手は「現代を生きる人たち」である
前述した通り、遠い過去を生きた人たちの血縁に対する考え方や、不義密通への対応は、現代人の価値観と異なっている可能性はありうる。しかしテレビドラマを見る人は、あくまでも現代を生きる人たちである。近親婚や不義密通を基本的タブーとみなし、血縁関係の有無を科学的に立証できる能力を持つ社会を生きている。誰もが、血縁上の親を実親とする価値観を身につけている。そこを軽く考えすぎていないだろうか。
今どきの若い世代は、年齢差の大きい婚姻に強い警戒感を抱く人が多いと聞き及ぶ。それゆえ、宣孝と紫式部との婚姻にほぼ愛情はなく、打算でくっついた的な描き方をしたのだろうが、不義密通に対する警戒感・忌避感が以前より薄まっているということは決してない。そこも読み違えている。
宣孝には北の方もいるし、妾も何人か記録されているし、紫式部が詠んだ和歌から、記録に残らない妾もいたのではないかと推測されているし、成人している実の子もいるし…と、甘く見ていたのではないか。まひろが懐妊したと聞いた宣孝に「多分、左大臣との子であろう。そこまで含めて、わしの子である。」と鷹揚な態度を取らせることが免罪符になる、と都合よく考えていたのではないか。賢子の出自に対する尊厳など、考慮するにも値しないということか。
(3)石山寺は修験の場である
第27回では、まひろが家族と石山寺詣でに行く場面が描かれた。すると、なぜか道長が唐突に現れ(左大臣なのに?体調が優れないのに?)、そこで関係を結んでしまい、懐妊につながった。
あのねえ…
あれだけ石山寺の世話になり、宣伝もしてもらいながら、その扱いは失礼に過ぎると、誰も指摘しなかったのだろうか。
後年、武士の時代になると有名寺院でも風紀の乱れが起こるようになったと聞くが、平安時代中頃ならばまだ、修験の場としてまともに機能していたはずである。
まさかとは思うが、「石山寺起筆伝説」を採用しないので、その代わりに…と考えているのならば、見当違いもいいところ。SNSの石山寺公式アカウント管理者さんも、さすがにあきれていた。視聴者も「石山寺が連れ込み宿?」と、目を剥いた。「まひろに仏罰を!」という主張には、笑いつつも深く同意した。
ガイドブック前編を読んだとき、紫野の「紫式部墓所」の紹介で、「紫式部は物語を書いたがゆえに、地獄に落ちたと噂された。それを救うために、閻魔大王に仕えている小野篁の墓の隣に埋葬されている」と記されていて、「どうして、物語を書いたことが大罪扱いされるの?」と驚いたが、このまひろならば死後地獄に落ちたとしても、さもありなんと思わされる。
石山寺は恩を仇で返されるような恥をかかされたのだから、大河ドラマ展は途中打ち切りにして、「恋するもののあはれ展」だけ予定通り継続するとか、京阪石山坂本線のラッピングを取りやめるとかの”仏罰”を制作スタッフに与えてよろしいと思う。
「天才罰」??
この展開を面白がる視聴者の皆さん、今一度胸に手をあてて考えてみてほしい。
もしあなたが、母親の不義密通により生まれた子で、父親と血縁関係にないという物語を書かれて、その認識が世間に定着したらどう思う?
あなたの父親または母親は、幼い頃のあなたを可愛がってくれた祖父母いずれかの不貞により生まれた子と、事実に反することを言われたら、怒り出さない自信はある?
ほとんどの人は、こう答えるであろう。
「だって、私とかお母さんとか別に有名でもないし、才能なんかひとつもないから、物語の題材になるわけないよ。だから平気。」
それは「自分が無名であること」「才能がないこと」に胡坐をかき、「決して自分事にならない」という自信のもと、絶対安全な環境から他人の苦悩を楽しむ行為に他ならない。歴史上有名な人物、稀有な才能を持った人物の子女だってひとりの人間であり、誰にも侵されない尊厳を持った存在であったという意識が、すっぽり抜け落ちているのではないか。
近年「子育て罰」という言葉をよく見かけるが、それにならえば「天才罰」「才能罰」だろうか。
現代の人気芸能人やスポーツ選手でも、好む好まざるにかかわらず、私生活を切り売りさせられる。私生活まで公に取り沙汰されることが有名になった証とみなす人も少なくないだろう。そこに関心を持ち、うわさ話のネタにする人たちは、「自分は無名だから絶対安全」という思い込みを資本にしてつかの間の享楽におぼれているのではないか。
「大河ブランド」を自覚せよ
このところSNSでは、ドラマ脚本批判派と「ドラマはドラマとして楽しんでいる」派の分断が、もはや取り返しのつかないところまで深まっている。ブロック機能が結構安易に使われていることにも驚かされる。一般視聴者や、いちいちノイズに構っていられない国文学研究者ならばまだしも、平安時代の風俗生活に関する一般向け著書を、商業ベースで世に出している人が、それをやったらおしまいではないか。
そりゃあ、純粋にドラマとして楽しむことができればどんなによいことか…(嘆息)。とてもそのような気分になれないほどに粗が目立つから、苦言を呈しているのである。
「楽しんでいる」派の人たちは、批判派が「史実と異なるとあげつらい、自分の希望する展開にならないから怒る」とみなしている。もちろんそういう面もあるが、苦言のごく一部に過ぎない。
前述した通り、登場人物に対する敬意を根本的に欠くような脚色を平気でしたり、特定の人物や家系を必要以上に貶めたり、わざわざ棘のあるナレーションや、陰湿なうわさ話のセリフを入れたりするから、よろしくないと言っているのである。
それを、他の映画作品などを引き合いに出して「史実に忠実だとかえってわかりづらくなりますよ」と言うのは、全く話がかみあっていない。批判派はそのレベルを問題にしているのではない。
大河ドラマは、熱心なドラマファン以外にもたくさんの人が見る。海外向け放送まである。
たとえば、吉高さんと岸谷さんは、番組宣伝も兼ねて福井県越前市武生を幾度か訪れている。紙すきの職人さんたちに話を聞き、地元の名産品をたくさん紹介してもらっている。
今、武生の職人さんたちに道隆一家や『枕草子』の印象をたずねてみたら、どう答えるだろうか。
「道隆って、皇子を産めのお父さんだよね。」
「『枕草子』は、何か気取っているみたい。作者も生意気そうだし。」
「中宮さまは、最初は可愛かったけれど、このごろは何かどろどろした感じになっちゃって…」
「主上も、ちょっとだらしがないね。」
という意見が多数派を占めるのではないか。それは立派な風評被害である。日本の古い文化に関心を持つ、海外の若い人にまで、そのような先入観が侵入してしまうのは由々しき事態である。
「大河ドラマ」は放送局が長年培ってきた老舗ブランドである。潤沢な制作費が割り当てられ、主役級の実力俳優が幾人も出演して脇を固め、映像や美術が丹念に作られる。だからこそ、「歴史的事実を反映しているドラマ作品」という信頼を勝ち得ている。他のテレビドラマや、自分から「見たい」と思い立ち、金銭を能動的に支払った上で鑑賞する映像作品とは、立場が根本的に異なっている。
放送局に対してはこのごろ「偏向!」「受信料を強制的に取るな!」という批判が強まる一方、地方では今でも、邪心なく信頼しきっている人が多い。そこにオーバーな脚色を加えたドラマを投入する危険性について、「楽しんでいる」派の人は、もっと自覚を持っていただきたい。大河ドラマは「今度の(!)本能寺の変は、誰がやるのかな~ワクワク」と、呑気に言っていられる人たちだけのものではない。
裏からあぶり出される天才ぶり
物語は半ばを過ぎ、主役のまひろは30歳を迎えた。現代ならば40代中盤ぐらいに相当するだろうか、立派な中年である。しかし、ここまで来てもなお、まひろのたたずまいや言動からは「将来の紫式部」感があまり漂ってこない。もちろん、いずれ強引に紫式部にしてしまうのだろうが。
清少納言は、いろいろ改変されたり、関わった重要人物を抹消されたり、数多の有名エピソードをパスされたりもあったが、それでもなお、『枕草子』およびその解説書籍で語られてきたイメージと大きな乖離がみられなかった。『枕草子』は古典の中では現代人の感覚に近く、解像度の高い作品で、清少納言のキャラクターもまた現代人にわかりやすいがゆえであろう。
対して紫式部は、なまじ半端にドラマ化されたことで、さらに謎めいた存在になった感がする。行ったこともないはずの須磨や明石の焼き塩の描写とか、どこから思いついたのだろう。(塩屋という地名は、まさにその焼き塩に由来する。なお清少納言は、幼い頃父に連れられて周防に下向する際、往復の船で須磨沖を通っている。)二代続けて不義密通の子が生まれるなど、神をも畏れぬようなプロットは、何を契機にしてひらめいたのだろう。もしかしたら「死後地獄に落ちた伝説」は、単に物語を書いたからではなく、そのプロットゆえに起こったものだろうか。
ドラマのまひろが、道長のためならば不義密通も、家庭放棄も辞さない、「お勉強だけできて社会性は今ひとつ」のキャラクターになったことで、逆説的に紫式部の天才性が浮かび上がってくるかのようである。
『源氏物語』は、作者の実体験に基づいた私小説ではあり得ないということの証明にもなっている。作者は普段から様々な人のふるまいを冷徹に観察して、聞こえてくる噂話のひとつひとつについて、なぜそのようなことを言い出してくるのか吟味して、考察を加え、それに自らが持っていた漢籍や和歌の豊富な知識を援用して、あの長編を綴っていったのではないかと想像している。本ドラマの失敗(と、あえて言う)の本質は、『源氏物語』を現代人が書くような、実体験型私小説と誤解したことにあると思う。
誰も幸せにならない
第28回では、皇后崩御の場面が描かれた。皇后は「私は、家のことだけを思って生きて参りました」と主上に告げ、愕然とさせる。
それを言わせてしまったら、この回の登場人物は誰も幸せにならないではないか。主上と皇后に加えて
道長…体調不良で昏倒
女院…息子の好きなものを知らない(たとえ聞いても、納得のいく返答は得られないだろう。この時点の主上ならば「中宮、子供たち、命婦のおとど、椿餅」と言うのではないか)
行成…道長と、彰子立后を承知しない主上との板挟み
源明子…道長のうわ言「まひろ…」を聞かされる
まひろ…弟に「姫は、殿によく似ている」と邪心なく言われて心を痛める
彰子…自分の立場がよくわかっていないまま、浮かない顔で入内。主上による面接試験で失言する
赤染衛門…彰子の教育が全然効果をあげていない
なのだから。
唯一の救いは、『枕草子』の「三条の宮におはしますころ」の段が、ほぼ忠実に映像化された場面だろうか。横向きの姿勢で、顔は見せなかったが御匣殿らしき人物が脩子内親王に薬玉をつける様子や、皇后が詠んだ歌も披露された。それならば最初から「中宮には妹がいる」ことをはっきり示せばいいのに。
大きな区切り
第28回最後の紀行コーナーで、今春お参りに行った皇后定子鳥戸野陵が紹介された。写真撮影した、京都駅方面を見はらすアングルも映った。それを見て、私にとっても大きな区切りを迎えたと思った。前日(7月20日)放送の「土スタ」で主上の現代人姿を初めて見られたし。戦隊ヒーローものに出ていたらしい。
ウイカ少納言も、史実に照らし合わせると次回あたりで退場するだろうか。その先の時代については、主要人物の人間関係も未だ十分に把握できていないし、熱を上げて見るに値しないかもしれない。
それでも、録画は続けるつもりである。紫式部も為時も没年は明確に記録されていないが、どこまで描くつもりなのか。また、藤原隆家が指揮をとった「刀伊の入寇」も取り上げるつもりなのか。そのあたりに関心がある。道長以外はあまりよい描かれ方がされないであろうこと、および『枕草子』を殊更に貶めるふんいきが作られるであろうことは承知の上である。
青ざしをひとつ手に取り
ふと思ふ
せめてこの子は強く生まれよ
亡き殿の御歌のごとく
いつもいつも
君をば深く頼むやはわが