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忘れがたきうどん店(8) う道



志村坂下

中山道(国道17号)志村坂を武蔵野台地から荒川低地に下っていくと「志村坂下」である。今は坂下が町名になっているが、かつては志村長後町(長後一丁目・二丁目)と称していた。もともとは荒川沿いの湿地帯で、広野の中に多数の小河川がうねるように張り巡らされていた。人の営みは中山道沿いに小集落が点在する程度にすぎなかった。江戸時代には徳川家の将軍一行が鷹狩りに訪れる際の休憩所として近隣の寺院が使われていたと伝えられている。

1923年の関東大震災後、大きな工場が多数進出して、工業の町に変貌した。戦後は宅地化が進み、小川は全て暗渠化された。1980年代以降、工場の郊外移転が進んで跡地に大きなマンションや団地が建てられる流れが定着している。今では工業地帯独特の黒ずんだ空気感はかなり薄められたが、それでも武蔵野台地側と比べると工業の町の面影は色濃く残されている。今でも製造業のオフィスや小さな工場は少なくない。

1955年に志村坂上から延伸された都電志村線はこの地を通り「志村坂下」停留場も設けられたが、都営地下鉄6号線(都営三田線)建設に際しては諸事情により当地を迂回して西へ向かうルートが採用され、1968年の地下鉄開通後はメインルートから外された。それでもしばらくの間は国際興業バス・都営バスの多くの系統が都心方面と直結していたが、1985年に国鉄埼京線が開通して浮間舟渡駅ができると人の流れが変わり、中山道の路線バスはほとんど撤退してしまった。現在は池袋駅西口から舟渡町を経由して高島平駅まで行く国際興業バスが20分に1本程度運転されるのみである。浮間舟渡駅からも地下鉄志村三丁目駅からも微妙に距離があり、交通面では取り残され感が拭い切れない。

一方2006年に環八通りの整備が完了して、広い敷地を利用したショッピングモールやディスカウントショップの姿が目立つようになり、地方都市郊外感が増している。国際興業バスも環八を通り赤羽駅へ向かう路線のほうが本数が多い。

そんな街に知る人ぞ知る讃岐うどんの店がある。
名は「う道」(うどう)
2014年の開店という。

鉄道の駅からはかなり歩かされるが、前述の国際興業バス池21系統高島平駅行きの「志村坂下」バス停が最も近く、約200m、徒歩2分。(環八の赤羽駅西口行き志村坂下バス停は中山道交差点から300mほど東に離れたセブンタウン小豆沢前にあり、う道まで約500m。)

志村坂下停留所。う道は左端薬局前の道に入って次の交差点にある。
出井川(でいがわ)支流の暗渠。このあたりの河川暗渠マニアも多い。
「う道」のある交差点からは武蔵野台地との高低差が観察できる

週3日営業

「う道」は上階に住居がある小さなビルの1階で営業している。営業日は基本月・水・土の週3日。(臨時休業あり)以前は木曜日も開けていたらしいが、店主の事情により削減したという。

営業時間は11時30分から14時までだが、麺がなくなり次第終了する。この点も香川県のお店と同じ。小さな交差点の角にあり、営業日には常に数人から十数人が並んでいる。椅子も用意されているが、座って待つ人はあまり見かけない。お店の人がメニューファイルを持って頻繁に見回りに来て、あらかじめ注文を取るので、わざわざ座るまでもないという心理が働くのだろう。いわゆる回転のよい店である。日によっては開店5分くらい前にお客さんを入れることもあるので、混雑しそうな日には早めに出向くとよい。

「う道」外観
メニューは角に面した窓にも掲げられている(価格は2023年2月現在)

メニューはぶっかけがメインだが、讃岐風の生しょう油うどんのほか、武蔵野の肉汁うどんにも対応しているあたりが特徴的である。並盛りでも麺の量は結構多く、初めてのお客さんには「少なめにしますか」と声をかけてくれる。

あの名店を彷彿とさせる

店内はテーブル大2、小1とカウンター。テーブル席には10人、カウンターには5人が着席できる。店内は極めて清潔に保たれている。有名人サインなどのグッズが一切掲げられていないあたりもすっきりした印象を与える。

店内飲食スペース

卓上の調味料は濃口醤油(だし醤油ではない)、食塩、七味唐辛子。薬味類は全てお店側の盛り付け、完全フルサービスである。

卓上の調味料

このお店の売りは大きなかき揚げ天ぷらである。直径15cmはあるだろうか。ごぼう、にんじん、たまねぎをメインとした野菜かき揚げ。ちくわ天もある。ぶっかけを頼むと丼からはみ出すほどに盛りつけられる。

かき揚げぶっかけうどん(810円)

麺には光沢があり、気持ちよくすすれる。噛むとはじめもっちり、中はしっかりとしたコシ。だしは讃岐風をベースとしつつ、イリコにあまり主張させず独特のうまみを加えている。天ぷらはよい油を使っていてもちろんサクサク、胃に優しい味わいである。

直径20cmほどの丼

麺やだしの性格といい、おしゃれな器といい、店内のたたずまいといい、高松市八栗の人気上昇店「おうどん 瀬戸晴れ」を彷彿とさせる。「う道」の店主は元高校教員で、香川県のお店で修行した上で開店したという。「瀬戸晴れ」の店主と同じ店の修行かどうかはわからないが、「瀬戸晴れ」のうどんがお好きな香川県や近県の人にも多分気に入ってもらえるだろう。このお店は「瀬戸晴れ」より先にできていることも特筆される。もっとも23区の辺境、交通不便な台地のキワなので、遠方からの旅行者はたどり着く前に都心の人気店にトラップされてしまいそうだが。ちなみに車で来る場合自前の駐車場はなく、近隣の時間制駐車場を探す手間がかかる。価格もかき揚げぶっかけうどん810円、同ざるうどん780円で香川県よりもやや高めである。辺境とはいえ一応は都区内なので。

「おうどん 瀬戸晴れ」には麺打ち作業スペースが設けられているが、ここはそう広いスペースを取れないようで厨房のみ。麺打ちは別の場所でしているか、閉店中に作業しているかのいずれかだろう。作り置きでは決して出せないハイクオリティゆえ、気になるところではある。

かき揚げざるうどん

暑い季節はざるうどんがお勧めである。

かき揚げざるうどん(780円)

ご覧あれ、見事なまでにエッジが立っている。温かい麺よりもさらにコシが強調されている。ざるうどんでは天ぷら用にだししょう油ボトルをつけてくれる。

野菜が入荷するとレギュラーメニューにない天ぷらも作ってもらえるそうで、訪れた日にはズッキーニの天ぷらが案内されていた。

臨時天ぷらメニュー

そして忘れてはいけない、お店の人の接客がとても温かくて好感が持てる。お会計を済ませてお店を出るときには「ありがとうございます、お気をつけて。」と声をかけてくれる。香川県のお店には失礼ながらその点どうも…というところも散見されるので、ことのほか嬉しい。

東京の北多摩郡から埼玉の北足立郡にかけては「武蔵野うどん」の文化があり、近年脚光を浴び始めている。かつて小麦の産地だったことに由来している。しかし志村は武蔵野うどんの文化圏からも外れている。それだけに、台地側に坂丸商店、坂下側にう道と、レベルの高い讃岐うどん店があることは密かな誇りである。いずれも店主の熱意により運営されているが、どうか末永く続いてほしい。さらには新たなお店の参入も期待される。「東京讃岐うどんの町・志村」としてアピールできるようにもなってほしい。

檸檬色の暖簾はおいしさの目印

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