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居心地が悪くなるニュース

まだ暑いが、10月も少しずつ進んでいる。
テレビで「あのニュース」が取り上げられる時期に入った。

ノーベル賞の受賞発表。

五輪などと同様に「日本人の受賞者はこれまでに何名」と、国威発揚式の報道をして(近年は「アメリカ国籍を取得した人も含め」とまで言っている。その人がなぜ米国人になったのかに、思いを馳せようともせずに)、著名作家が今年も選ばれなかったと、ファンが残念会を開くところまでがワンセット。ほとんど幕の内弁当である。

その味つけとして「受賞者の妻の談話」がある。
これを見せられるたびに、何とも居心地が悪くなってくる。

偉い研究者というものは、研究対象とした物に24時間365日全てを捧げる人たちである。日常生活に関することは全て配偶者に丸投げ。メンタルヘルスは酒席。下につく者を研究対象の奴隷とみなして扱い、休暇や旅行などもっての外と恫喝し、時に怒声まじりで叱咤する、パワハラ気質の持ち主である。武道の有段者も多く、スポーツ好きが自ずと集まってくる。なまじ知能が高いがゆえに、かえって厄介である。

「受賞者夫人」は、そんな夫を愚痴ひとつ言わずに毎日支え続けて、大きな業績に導いた”妻の鑑”として描かれる。たかだか150年程度の”伝統的家族観”の美風に酔いたいおじさん文化にとって、はなはだ耳ざわりのよいニュースである。

何年前になるだろうか、もうよく覚えていないが。
ある受賞者夫人が、記者会見で次のように挨拶した。

「夫は、私がいなければ身の回りのことも全然できないような人で、まわりの方々の支えがあって、ここまでくることができました。」

公の場であり、どこまで本音かはもちろんわからない。
しかし後になってこの言葉を振り返ると、額面通りに受け取るのならば、現代で言うASP気質とも考えられる。

この先生が現代の若者ならば、おそらくは結婚できなかっただろう。従って、受賞対象となる研究の道に進めなかったことになる。

そこで、私の思考は止まってしまう。
遠大な研究対象の頂上を目指す大義さえあれば、パワハラやいじめなどは当然に許容されるのか。体育会系気質の持ち主にしか、自然はその心を開いてくれないのか。

そうだとすれば、あまりにも悲しすぎる。

大学の学費大幅値上げ方針が問題になっている。学問や研究は、一部富裕層の特権に変わることを意味している。

やっていることや、示す態度はヤミ金融や特殊詐欺とほとんど変わらない、「奨学金」という名前の学生ローンに苦しむ人も増える一方である。

研究も、コストパフォーマンスが最も重視される。もとからあった狭い世界内でのスピード競争や派閥抗争に、一層拍車がかかる。研究対象について謙虚な姿勢を保っていると、ぼんやりしているとばかりにあおられる。

研究不正が生まれるのは必然である。メディアが取り上げると、世間はワッと食いつく。10年ほど前におもしろおかしく報道されたある研究不正事件は、騒動を引き起こした人が若い女性でなければ、世間の反応はかなり違っていただろう。

…と考えていけば、昔気質、パワハラ気質の偉い先生方がその寿命を終える頃になれば、日本人のノーベル賞受賞は当然減少していき、やがては滅多に出なくなると予想できる。

しぶとい残暑につきあわされつつ、どこか居心地が悪くなるニュースを聞かされるのも、あと少しの辛抱。いずれ、自ずと報道されなくなるだろう。よかった。

…いいのだろうか、それで。

<追記>
この記事の下書きを準備した数日後に、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の受賞が決定した。今年(2024年)は、例年とひと味違うノーベル賞報道がなされた。少しずつ、潮目が変わっていけばと思う。





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