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いつまでもあると思うな仏顔

8月上旬、ひとり旅の帰りに飛行機に乗った。
時節柄か、家族連れの姿が多い。
長時間のフライトとなるので、シートベルト着用サイン消灯時は私も含め、お手洗いなどに立つ人の姿もみられた。客室乗務員から買い物をする人もいる。

乗り合わせている子供たちはとてもおとなしく、ネットでよく見かけるようなトラブルもなく、平和な機内だった。

気象情報を参考にしつつ、2週間前くらいに予約したので、3人掛けの真ん中の席しか残っていなかった。残っているだけでもありがたかったので、そのこと自体に不満はない。

当日乗ってみると、窓側はひとり旅とおぼしき、わりと若い人。離陸すると窓を開けて、時折スマートフォンで「空撮写真」を撮影していた。私もそのおこぼれに預かって窓の外の様子を少し眺められた。今、大体どのあたりの上空にいるかの見当がついて、そう退屈しなかった。西日が強い時間帯なので、ブラインドを閉める人に当たっても文句は言えないところ。ささやかな幸運が嬉しかった。

対して通路側は、小学生とおぼしき少年。着席してシートベルトを締めるとタブレット端末を取り出し、コミック作品とおぼしきものを熱心に読んでいる。端末画面から全く目を離さない。

私はお手洗いが近いほうなので、シートベルト着用サイン消灯中に済ませておこうと思ったが、通路側の少年は声をかけづらいオーラを出している。それでも立ち上がって、「いいですか」と声をかけると、端末から目を離さずに細い脚を無言でずらしてくれた。お手洗いから戻った時も同じだった。保護者らしき人が近くに座っている気配もない。繁忙期なので、離れた席に座っていることも十分あり得る。

客室乗務員はだいぶ業務に余裕がある様子で、飲み物のおかわりも勧めてくるほど。私や窓側の人はありがたく頂戴したが、通路側の少年は無関心。その後も数名の客室乗務員が入れ替わり立ち替わり少年のもとにやってきて、目線の高さが合うようにかがみ、おみやげのおもちゃを渡したり、お手洗いは大丈夫か聞いたりする。

少年はあくまでも端末から視線を逸らさず、おもちゃをほとんど見ずに受け取り、声をかけられても生返事で応じる。かといって自分の世界を乱された、とピリピリする様子も見られない。

到着空港が近づき、ベルト着用サインが点灯してからも子供をお手洗いに連れていかざるを得ない親御さんがいて、ちょっとバタバタしていたが、通路側の少年は気配の変化に一切気づかず、端末画面に没入している。ここまではまあよろしい。

飛行機が着陸して客室乗務員のアナウンスが流れ、乗客が席を立ち、通路に出て荷物を取り出す。ところが件の少年は機内の雰囲気が降機モードに一変しても、全く席を立とうとしない。相変わらずコミックに夢中で、タブレット端末に目を落としたままである。さすがに、私は驚いた。

見知らぬ子供に対しては「触らぬ神に祟りなし」が鉄則の時代だが、このままでは私と窓側の人が通れない。どこかから保護者が現れて、険しい顔をされるリスクもある。内心祈るような思いで、「降りますよ。立ってください。」と声をかけて、腕で"Stand up!"のジェスチャーもした。

少年は一瞬驚いたような表情を見せたが、飛行中お手洗いに立った時と同様、自分は席を立たずに脚をずらし、私と窓側の人を通した。なおもそのまま座って読んでいたいらしい。

私は荷物を取り出し、そのまま機内を後にしたので、その後の顛末はわからないが、少年は客室乗務員がやってきて、少し強い口調で席を立って降りるように言うまで、端末を見ていたのだろうか。保護者は同乗していたのか、それとも到着空港に迎えに来る約束だったのか。

「この頃の子供は、身の回りの自然や空気感の変化に関心を示さない」という話を聞いてから十数年過ぎたが、実際にそのような子がいると、初めて体験できた。

将来が恐ろしいとか、親の顔を見てみたいなど、私の上世代の人の常套句は使わないでおきたい。それらの心無い言葉に散々嫌な思いをしながら育ったがゆえである。せっかく広い世界をリアルに見られるチャンスなのにもったいないよね、とは思うが、彼にとってはタブレット端末のコミックが今のところ世界の全てなのだろうから、考えても詮無いことである。

私がその子より少し大きかった頃、父が旅行に連れていってくれたが、父は普段使っている学習参考書や問題集を持参して、旅館で夕食が終わると「毎日少しでもやらないとダメだから」と勉強時間を設け、問題ができないと普段通りに私を怒鳴り、嘲り、殴った。それを思えば、自分の好きなコミックを好きなだけ読める旅ができることは、むしろ幸せでもある。

しかし。
少年は、今でこそ身なりが小さいから、客室乗務員をはじめ周囲の大人たちに気を使ってもらえる。優しく接してもらえる。が、いずれ背が伸び、大人の特徴が現れはじめ、脚が丸太のように太くなったとき、今の態度のままで周囲が「仏の顔」をしてくれるはずはない。手のひら返しされた時に、初めて”己が有り様”に気がつくのだろう。

いつまでもあると思うな仏顔

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