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老ける人、老けない人
大河ドラマ「光る君へ」が最終回を迎えた。
このドラマに関する問題点、不満や情けなさを覚えた点については、既に幾度か当noteで記事にしているので繰り返さない。以前述べたように、本編は第45回で実質終了したものと思っている。スケート大会のエキシビジョンを見るが如く、最終回を見て感じたことをつらつら書き連ねて、大河ドラマ卒業記念記事としたい。
”刑事倫子さま”は孤独か
最終回は、源倫子が”なりすまし藤式部”ことまひろ容疑者を召喚して、刑事ドラマよろしく取り調べを行う場面から始まる。間違いなく”クロ”と確証した上で”ホシ”をあげた倫子さまだが、まひろ容疑者の供述は、倫子さまの見立てをはるかに上回る内容だった。
道長とは9つの時に偶然出会った…
母親が目の前で殺され、道長との約束を果たせなかった…
道長の判断ミスで亡くなった友人(直秀ら散楽チーム)を共に埋葬した…
倫子さまは、自分の男性を見る目のなさを、改めてつきつけられただろう。良き夫と信じ切っていただけに、なおさら始末に負えない。亡き父母にわがままを言って申し訳なかったという思いも、脳裏をよぎっただろうか。
唖然としかけた倫子さまだが、すぐに彰子への影響について思い至り、母親としての顔を見せる。まひろ容疑者も”母”として、賢子のことだけは自供しなかった。
裁判長倫子さまは「このことは死ぬまで、胸にしまったまま生きてください」と言い渡す。為時邸に戻ってきたなりすまし藤式部はこわばった表情で琵琶をかき鳴らし、やがて弦が切れる。まひろ被告は、土御門殿出入り差し止めの刑に処されたのだろう。
この場面についてはSNSでも様々な解釈がなされている。最終回に”母親”として登場した人は皆、子供と一緒にいる場面で終わったが、倫子だけは子供が誰ひとりとして寄り添わなかった。子供を政治の道具としてしか扱わず、娘は次々入内させ、息子には妾を迎えるよう勧め…のあげく、倫子は孤独になった。因果応報である、という意見も見かけた。
現代の価値観でいえば”毒親”なのだろうが、その物差しを当時の貴族社会のトップにいる人に当てはめて、ふるまいを責めるのは、いささか酷ではないだろうか。そもそもこの物語は「藤原道長を清廉潔白、人格高潔な名政治家として描く」という、前代未聞の倒錯思考から始まっているということを忘れてはいけない。”道長ブリーチング作戦”により、倫子のふるまいが相対的に悪く見えてしまうにすぎない。
黒木さんもお話されているように、倫子さまはとても賢いお方。物語や書物にはあまり関心が向かない人として描かれていたが、情や機微に多少鈍くとも、人は生きていける。子供たちと疎遠になっても、赤染衛門がそばにいる。自分が孤独だとはつゆほど思っていないだろう。
対して、兼家を呪詛してから道長の妻となった源明子女王は兄に相変わらずの憎まれ口を叩きつつも、息子たちに「あなたたちを産んだことだけはよかった」と感謝の意を述べ、穏やかな笑みを見せる。全然因果応報になっていないではないか。愛情を受けるという点においては明子女王に軍配が上がった、とも言えるが、そもそも勝ち負けでとらえる話ではなかろう。
女院(上東門院)となった彰子は、他家の血筋が皇室に入れば、自分の家をしのぐ権勢を持ってしまうかもしれないと、警戒心をあらわにする。ようやく本性を表したか。見上さんには悪いが、このドラマの彰子はかなり粉飾して描かれていた。最初「仰せのままに」しか言えず、冴えない姫とされていたのも、なりすまし藤式部の教育の成果を強調させる作戦だったのだろう。見上さんは年末のファンミーティングにも出席して、お上の隣に座り、「仲良しアピール」をさせられていたが、私が調べた限りではあまり魅力的な妃ではなかったように思える。一条天皇が薨去する際、土葬を希望していたが、それを無視したという話にはがっかりさせられた。短命に終わった妹たちや孫たちを尻目に、長寿遺伝子の力を最大限に発揮して、白河天皇の代まで政権に影響を及ぼしていたという。「院政」本格化の端緒を開いた人だろう。
最終回ゆえ、以前から出演している人の多くは「老け役」として登場した。赤染衛門の白髪姿は格好よかった。レッド姉さん改めシルバーホワイト姉さんか。対して、刑事倫子さまとまひろ容疑者の二人だけはあまり老けていない。「今、何年の話だっけ?」と、首をかしげるほど。ゆえに上記の取り調べ場面には始終、どこか生臭さが漂っていた。
またもクローザー
中盤では菅原孝標女が登場した。為時邸に上がり込んで『源氏の物語』の解釈について、その作者が目の前にいるとは気づかず熱弁をふるう。どうもどこかで見たような人だと思っていたが、連続テレビ小説「ブギウギ」の終盤に登場した、架空の若手人気歌手役の人だと気がついた。
この人気歌手は、福来スズ子にずっと憧れていますと言いながら、紅白歌合戦で福来さんの歌を歌わせてほしいと大胆に願い出る。まだ将来ある若手俳優に、長期連続ドラマのクローザー役を次々と押し付けてよいのだろうか。
孝標女を出すのならば、「ありったけの物語が読みたい」願いをかけて等身大の薬師仏を彫ったとか、東国上総から苦労して上京したとかの話も、セリフで取り上げてほしかった。後述するラストシーンの伏線にも使える。
孝標女の辞去と入れ替わりに、ウイカ少納言が為時邸を訪ねてくる。ひざが痛んでいると言っていた。神経痛か。
「『枕草子』も『源氏の物語』も、一条の帝のお心を揺り動かし、政さえも動かしました。まひろさまも私も、大したことを成し遂げたと思いません?」
それをウイカ少納言のしめくくりとするのならば、もう少し敬意を持って描きなさいよ、全くもう。
せっかく脩子内親王の名前(実際はこの時点=1028年=には既に落飾していた)を出すのならば、ウイカ少納言に「もう熱意がない」などと言わせず、次のようなセリフを語らせてほしかった。
「脩子さまには、『枕草子』の一番よい本を差し上げましたわ。」
「まあ…」
「前に、出回っている写本をひとつ見せてもらったら、まあ間違いの多いこと。紙1枚分まるごと欠けているところもあって。なので私が写し直して、新しいお話も盛り込みました。脩子さまには『これを母上と思し召しくださいませ』と、申し上げて参りました。」
「そうでしたか。」
「まひろさまも、写し間違いにはお気をつけなさいませ。…私はこれで、もういつでも胸を張って皇后さまのもとに参れます。またお目にかかれる時が、今から楽しみですわ。」
これで「能因本の存在」と「写本の問題点」について視聴者に伝えることができるだろう。
次亜塩素酸のかおり
藤原道長の最期は壮絶なまでに悲惨なものだったと伝えられている。糖尿病の合併症が悪化して、大きな腫物がもたらす激痛に苦しみ、排泄のコントロールが効かなくなり、見舞いに来た彰子や威子も近づけなかったほどだという。もともと小心者だった道長の頭の中は自分が追い落としてきた故人たちの怨霊に占領され、死ぬことへの恐怖でいっぱいだっただろう。これこそ因果応報である。
もちろんこのドラマでは、そういう場面を作らない。放送コード的にも不適切だろう。なりすまし藤式部が毎夜枕元でオリジナルの「三郎物語」を語って聞かせていた。吉高さんは臭い消しのハイターとクレゾールの瓶を袖口に隠しているように見えた。
一度はなりすまし藤式部を断罪した倫子さまが、道長の魂を現世につなぎ留めるため、「殿に会っておくれ」と頭を下げた場面も、様々に論評されている。ドラマを好意的に見る人は「大らかな倫子さま」という受け止め方をするだろうし、批判的な人は「延命させることで、塗炭の苦しみを味わう時間を引き延ばす。それが倫子さまの復讐」とみなすだろう。ともかくも、道長ブリーチング作戦はこれで終わった。
藤原行成は、道長と同じ日に没した。それを日記に書く実資の目には、涙が光っていた。秋山さんの好演である。書き終えたら「日記にお書きなされませ」の桐子の面影を思い浮かべただろうか。
青春期から共に過ごした友人2人を一度に失った、藤原公任と斉信が歌を交わす場面も味わい深かった。公任は僧形も決まっていて、まさに「説教の法師は、顔よき。」を地で行く。
恍惚の為時家
後半で、年齢を重ねた為時家の面々が映る。乙丸は愛妻に先立たれたようで、小さな仏像を彫っている。いとは耄碌が始まり、「若様!」と、亡き惟規を呼んでいる。それを聞いていた為時は慌てず騒がず、惟規の代わりに返事をする。
脳機能の衰弱による子供返り現象は私の母も見せていたが、為時家のケースならばもっと前の時代に遡ってもよさそうなものである。
「殿様、またなつめさまのところですか?若様もお生まれになられたのですし、少しはお方さまのお気持ちを…」
「わかった。」
「若様、ようやく寝付きましたわ。殿様、今宵も…」
と、為時の隙を見てもたれかかる。
くらいの場面を作ってもよかろう。これに劇中で描かれた賢子と藤原頼宗の交際をオーバーラップさせるというアイデアはいかがだろうか。大石先生ならばこの種の下品な表現はお手の物だろう。
♪君と一緒なら、どこへでも行ける~
ラストシーンでは、平安時代の歴史攪乱ミッションを成し終えたなりすまし藤式部が乙丸を連れて、再び旅をする。太宰府行きの時から感じていたが、この二人の旅場面は往年の人形劇「プリンプリン物語」のプリンセスプリンプリンと、お供のモンキーを連想させる。改めて振り返れば、なりすまし藤式部は結構プリンプリン的な性格の人物であった。石山透さんの脚本では、プリンプリンが衝動的に身勝手な行動をした挙句窮地に陥るたび、モンキーが知恵を出して救う。生まれた時に別れた母親を探して何年も旅をしてきたプリンプリンは、最後母親の声に導かれて、モンキーとともに希望の海へ船出する。なりすまし藤式部最後の場面と、どこか重なるではないか。
なりすまし藤式部と乙丸は、武者の騎馬に追い抜かれる。武者たちは、東国で起きた乱(平忠常の乱)を抑えに行くという。その中には賢子の初恋の人、双寿丸もいた。このあたりのご都合主義も「プリンプリン物語」にそっくりである。
SNSで、以下の考察をなさる方がいらした。
為時邸でずっと吊り下げていた(50年も!)鳥籠が崩れ落ちる。この場面は「逝去」を暗示していて、それに続くラストシーンは「あの世への旅立ち」を表しているという。
まさに卓見である。その考えに立脚すれば、かなりのことが腑に落ちる。物語への憧れとときめきを胸に東国から上京してきた、若さあふれる孝標女とは反対に、老いたなりすまし藤式部は東へと向かう。西方浄土とも逆方向になる。「紫式部は物語を書いて人心を惑わせた罰を受け、地獄に落ちた」という言い伝えとも、ぴったり符合する。
…それではさすがに乙丸がかわいそうか。
紫式部の生没年については、全くわかっていない。このドラマでは970年に生まれ、1028年に58歳で没としていた。
「嵐が来るわ。」
なりすまし藤式部がつぶやき、吉高さんの顔がアップになったところで画面の動きが止まり、そのまま紀行コーナーに移って幕を閉じる。紫式部なりすまし任務を解かれた霊魂は、その罪と業を背負いつつ、永遠に嵐の吹きすさぶ時空へと飛ばされていくのだろう。
このセリフを聞いて、最初は「島唄」がパッとひらめいた。が、よく思い出してみたら第1回の冒頭で安部晴明が
「今宵が、その(凶事の)始まりだ。雨が降るな。」
と言っていたことと呼応させる演出と気がついた。制作スタッフは最初から、このラストシーンを決めていたという。
ユースケ・サンタマリアさんは、安部晴明役について「サラリーマン陰陽師」とお話されていたが、その例えを使うのならば、「社内派閥の趨勢を抜け目なく読んで、有利なほうにつき、上司にゴマをすり、おべっかを言い続けて定年まで勤めあげた社員」と言えるだろう。関白藤原道隆と面会した際に見せた感じ悪い態度は、ずる賢く立ち回るサラリーマンの姿そのものであった。思い出したら改めて腹が立ってきた。
研修を課したい
「光る君へ」が終了した今、一番の懸念は、ドラマの描写が実際の歴史を反映していると誤解する人が増えてしまうことである。視聴者のみならず、出演者にもその誤解が根付き、今後の仕事にも影響が及ぶのではないかと思う。
中関白家関係者やウイカさん、塩野さんなどは事前にしっかり勉強していて、実態をよくご存じだろうが、金田さん・矢部さん・本多さん・見上さんあたりはちょっと心配になる。次の仕事に移る前に、大石脚本と定説の乖離についての研修とペーパーテストを課したいくらいである。
岸谷五朗さんはこのドラマの縁で「越前国府大使」になったという。岸谷さん自身、越前和紙の職人さんと親しくなったと聞く。それは結構だが、福井県の人にも誤った時代認識が拡散されかねない。研修の機会は必要だろう。
そして、ウイカさんも私も熱望するスピンオフ。実現のあかつきには、「ブリーチング道長」の話はなかったことにしていただきたい。
だらだらと書き連ねた大河ドラマ所感は、これで幕とする。ご覧いただいた皆さま、ありがとうございました。
【付記1】良かった登場人物
1. 藤原定子
2. 一条天皇
3. 清少納言
4. 源雅信
5. 藤原娍子
6. 藤原惟規
7. 赤染衛門
8. 三条天皇
9. 桐子
10. 藤原斉信
11. 直秀
12. いと
【付記2】残念に描かれた登場人物
1. 藤原伊周
2. 藤原道長
3. 安部晴明
4. 周明
5. 敦康親王
6. 脩子内親王(幼少期)
7. 藤原彰子
8. 藤原妍子
9. さわ
10. 藤原行成
11. 藤原宣孝
12. 和泉式部