裏返る、ということ

 さらば青春の光のコントに『校門』というものがある。
校門のところで「はよ来いはよ来い」なんて言って教師役(東口)が、登校門限が近いことを注意する。それにも関わらず急いで通過しようとする男性生徒らしき人(森田)が彼にラリアットを食らって倒される。このやり取りが数回繰り返されたのち、教師役から突然「ここは女子高や!」と言うフレーズが飛んでくる。ここで『急いで校門を通ろうとする男子生徒と何故かそれを止める教師』という構図から『女子高に侵入しようとする不審者とそれを阻止する教師』へと認識が裏返るのである。(このような裏返りはコント『ヒーロー』などにも見られるように彼らの得意とする演出である)
 最近FGOに関して某鯖のスキル『蜘蛛糸の果て』で、味方に悪属性を付与する効果が追加されてネット上で話題になった。ある界隈での意見曰く「人間とは視点を変えれば善にも悪にもなりうるものであり、そのスキルはその認知のズレを示唆しているに過ぎない」――。
 
 前置きが長くなってしまった。今日徒然と書き綴りたいのは、この『裏返す』ということとその手法を得意とするエロゲメーカー「オーガスト」についてである。この書きごとを読んでプレイしてみたいと思う人がいれば重畳であるし、そもそもそのジャンルが苦手だという人は引き返すのをお勧めする。
 オーガストのシナリオ設計にはおおよその型がある。最初に主人公とメインヒロインとの出会いを描き、その後に舞台・物語設定を解く鍵となるヒロインルートを各章ごとの派生分岐としながら、最終的にメインヒロインとのトゥルールートで終わりを迎える。『穢翼のユースティア』では娼館の僕カイムと羽化病の少女ティアの出会いから始まり、彼らが生活していた舞台とは何なのか、そして羽化病とは何なのかが分岐ごとに明かされていく。『千の刃濤、桃花染の皇姫』では記憶を失った武人鴇田宗仁と失脚した先代皇帝の一人娘宮国朱璃の出会いから始まり、彼らがどういう存在なのかが彼らの目標の背後に渦巻く陰謀と絡められながら分岐ごとに明かされていく。
 そのように伏線を回収しながら明かされる「真実」は、実際の出来事や社会制度という前提を覆すものであり、主人公が当初認識していたような「善悪」などを全て吹き飛ばして究極の選択を主人公に突きつける。つまり裏を返せば、全ての物事が明かされるトゥルールート以外はある意味ハッピーエンドに見えながら表層的なものであり、根本的な物事の解決になっていないビターエンドに辿り着くであろう、なんて見方が出来てしまうところが恐ろしい。
 このようにトゥルーエンドまで見なければ面白さが半減してしまうオーガスト作品ではあるが、その「裏返る」過程は一読者として俯瞰して見る身としても震えがくるほどの綺麗さであるし、そのような自身の認識(あるいは思い込み)が壊れてしまった時に主人公やヒロインたちがどう行動するかを見るのもまた一興である。綾辻行人『十角館の殺人』のようなレトリックを好んでいるような人には殊更におススメかもしれない。
 

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