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「良い」も「悪い」もない、と聞くと勘違いしそうなこと

魂にも、
この世の中にも、
「良い」「悪い」はないんだよ

そんなお話を、
私は何度もしています。

ブログならこのへんとか

良いとか悪いとか、
優れてるとか劣ってるとか
正義と悪とか
そういう「二極」って、
どこから見るかで
見え方なんて全然違うからです。

こんな話をよくしているせいか、
うちの息子は
「真実はひとつじゃないよね、母さん」
などと言います(笑)
コナンくん、ごめんね(笑)

――でも!

こういう話を聞くと、
言いたくなることって
ありませんか?
気になること、
ありませんか?

↓↓↓

――じゃあ、
世の中で言われてる「悪事」、
してもいいの?
 悪い事したもん勝ちなの?


そう思ったこと、
ありませんか?
私はあります。

――「悪」ってどこから線が引かれるの?


「どこから」悪で、
どこから善なのか?

こう聞かれたときに
「法律で決まってるでしょ」
と言われる方も
いらっしゃるかもしれません。

でも、法律は国によって
違います。
時代によっても
違いますよね。

「現在の日本の法律」に
照らせばいい……?

……でもそれだって、
絶対ではないことは
皆さまよくご存知だと思います。

情状酌量とか
責任能力の有無とか
毎回議論が交わされるのは、
線引きが明確ではないからです。

そもそも、
生きていく以上、
何の「悪いこと」もしない
というのは
無理な話なんです。

嘘をついたら
地獄の閻魔様に
舌を抜かれる……

そんな話を信じるのは
子どもだけかもしれませんが、
そんな子どもでも
嘘を吐いたことは
ゼロではないはずです。

聖書の中で、イエスキリストが
マグダラのマリアへ石を投げる人々に対して
「この中で、生まれてから一度も罪を犯したことのない人間が投げなさい」
と言ったシーンがあります。
投げた人はいませんでした。
たとえいたとしても、
人を投石で傷つけてしまえば、
その瞬間に罪になるでしょう。

そう、悪に線を引くのは難しいんです。


――でも、悪事にも「重い」「軽い」があるでしょ?

正当防衛で人を殴って
死なせてしまった人と、
故意に人を殺した人では、
罪の重さは違うでしょ?

その疑問はもっともです。
個人的には、同意します。
でも、それって
「社会的には」なんです。

魂の世界では、
「行為そのもの」よりも
「罪悪感」の大きいほうが
罪を抱えていることになります。

「え!そんなのヒドイ!」
なんて声が聞こえてきそうです。
でも、実際のところ、
部分的にはそうなんです、
見えない世界では。

たとえば、
動物を故意に虐待している人。
誤って飛び出して来た野良猫を
轢いてしまった動物好きな人。
動物が大好きゆえに、
罪悪感は後者のほうが大きいでしょう。

それなのに、
罪悪感が大きいほうが
苦しいなんて。
そんなの何だか
救われないような気持ちに
なってしまいますよね。

でも、それすらも
「意味」があるからなんです。

その意味については、
こちらのブログを読むと
分かるかもしれません。

ちょっと待ってよ。
実際おこなった罪より、
罪悪感の大きさで
その魂の「重さ」が違うってこと??
それって、
罪悪感なく罪を犯した人間のほうがズルいってことじゃない?
悪いことしたもん勝ちってことなの!?

いいえ。
違います。
「部分的には」そうなだけなんです。
全体を見ると、違うんです。

――死後に行く世界で、本当の「すべて」が分かる


あなたは、ご存知ですか?

人の気持ちを思いやらず、
好き勝手に生きて、
人を人とも思わず悪事を働いて、
それを反省もせず
生きて来た人のお葬式では、
異様な雰囲気が漂うことを。

たとえば、暗い雰囲気がする。
たとえば、臭いにおいがする。
お経や祭詞がなぜかなかなか終わらない。
線香やロウソクが消えたり、
妙な動きをしたりする。
突風で物が倒れたり壊れたりする。


このとき、どんなことが
起こっていると思いますか?

亡くなった方が、
死後の世界に行きたくなくて、
行くことを拒んでいて、
ひたすら抵抗していることが
多いんです。
(絶対ではないですよ)

なぜ、行きたがらないか
分かりますか?

死にたくないから?
それもありますね。
そしてもう一つ。
「自分がこれからどこへ行くか、無意識の自分は分かっているから」です。

死後に行く世界は、
純然な魂の世界なので、
同じような雰囲気、精神の魂が集まります。

それは言い換えれば、
優しい魂は優しい魂と一緒になるし、
利己的で独善的な魂は、そういう魂と
一緒になるのです。

それが無意識に分かっているから、
死ぬのが怖いんですよね。


これで、お分かりいただけるでしょうか?

やりたい放題、悪事を働いて、
人のことを考えずに来た人が、
死後の世界で行く世界に。

最も、それを
「居心地いい」と
感じるかどうかは
人それぞれですが……。
だって、目の前にあるのは
「その人にとって当たり前な世界」
ですものね。

――罪悪感を抱えてる人のほうが、苦しむんじゃなかったの?


ちょっと待って、
故意に悪事を働く人より
罪悪感の重い人のほうが
苦しむんじゃなかったの!?

そうです、そうです。
「部分的」と言ったのは
そういうことです。

部分的とは?

それはですね、
人間個人の視線で見たときの
お話なんです。

何度も何度も言っているので
耳タコ🐙かもしれませんが、

人はこの世の体だけの
存在ではありません。
精神があり、魂があり、
大元の光と繋がっている
すごい存在なんです。
私たち、全員が。

だから、魂の状態なら
本当は分かっているんです。

迷惑をかけた相手が、
本当は自分でもある

ということを。

そうなんです。

相手を思いやらず、
独善的にふるまうことは、
裏を返せば
自分を自分で傷つけているのと
同じなんです。

たとえ罪悪感が、
生きているときはなかったとしても
本当は「よい行いではない」と
分かっているんです。

そして、
もうひとつの例のほう。

罪悪感を抱えていた方のこと。

なぜ罪悪感を
抱えていたかというと、
相手を「思いやって」いるから。
その裏に共感と尊重があるんです。

そしてそれは、
相手に向けられ、
同時に「自分」にも向いている。
(相手は自分と同じだから)

これが「救済」と呼ばれるもの
なんだと思います。

善人が損をして、悪人が徳をする、
という図式ではないということ、
伝わりましたでしょうか?

決して、
悪い事したもん勝ちじゃないんです。
(したもん「勝ち」という言い回しにも観念がありますが笑)

――つまり、こういうこと。

結局、なにが言いたいの?
と思われるでしょうか。

ここで、まとめてみます。

まとめ
○魂には「良・不良」「善・悪」がない
○罪悪感を抱くほうが、魂は重くなる
○でも罪悪感も大事な魂の成長なので、必要なこと。そして、相手(自分)への共感や尊重のエネルギーでもある
○罪悪感を抱かずに悪事を働き独善的な人間は、この世では罪悪感がなくとも、魂で抱えている。また、相手(自分)を粗末にしていることでもある
○死後は、エネルギーは調和するところへ行くので、生きているときにした経験、思いは無関係ではない

……私、いい人間じゃない。
憎んでる人もいる。
きっとこれからも、許せない人がいる。
……私も、死後、そういう世界に行くのかなあ……

「死後に行く世界」の話をしたせいで、
こんなふう↑に思われた方もいるかな、
と思ったので、
これも追加でお話しますね。

あなたは、
じゅうぶんに罪悪感を
持っておられます。

なぜなら、
そうやって「考えられる」から。
いいのかな、と「悩まれる」から。

本当の本当に自分勝手で
無責任で利己的な人は、
そんなふうに悩まないんですよ(^^)

だから、憎んでる人がいても、
許せない人がいても、
安心してください。

たったそれだけのことで、
あなたは、悪い人にはならないです。

そうやって自分のことを
省みることができるあなたは、
大丈夫なんですよ。
ちゃんと、あなたは
愛されているんです。

その愛が、ますます分かりやすく
あなたに届きますように。


最後までご覧いただき、ありがとうございます😊✨

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