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超じゃない「ヒモ理論」



物理学でいうところの「超ひも理論」ではなく(笑)
昨日、ひもにまつわる事を考えていたお話です。

子どもが「○○になりたい」と言っていて。その後から考えていたことがありまして。

「○○になった」からといって、人生はその瞬間で終わるわけではなく、その後もずっと続くわけです。
なんだか、人生って、ヒモみたいだなあ、と。

例えば…
「素敵な人と結婚したい★」と願っていたとしましょう。
そして、晴れて素敵な方と出会い、結ばれました。
けれども、人生は結婚して終わりではなく、むしろ結婚後のほうが長く続く可能性が高いわけです。

すると、
ここでいう「人生」はヒモのようで、「結婚」はヒモの結び目に似ていませんか?

で、何が言いたいかというと、あなたが「幸せになりたい」と思うこと。
それって、
「結び目」の瞬間だけが幸せになりたい!
という意味ではないですよね?

そうではなく、人生、つまり「ヒモ」そのものが幸せでありますように、と願っていることと同じだと思うのです。

けれども、人は、「お金がほしい!」とか「結婚したい!」とか「いい大学にいきたい!」とかそういう「瞬間」、つまり「結び目」に意識を向けちゃうんです

これは、「ほしいもの」「なりたいこと」だけでなく、「イヤなこと」「不幸なこと」もそうです。

「こんなイヤなこと起こった」
「お金がない」
「△△になれない」…

そういう「出来事」だけに目を向けて「なんでこんなツイてないんだろ…」と、人生そのものを悲観することもあります。

本当は、そうではないですよね。
「出来事」や「出会い」は幾つかある結び目の一つであり、私たちの人生そのものではありません
ひとつのヒモの中に、素敵で可愛らしい結び目もあれば、下手になっちゃって不本意な結び目もあります。
けれども、それはあくまで、連続しているヒモのごく一部にすぎず、むしろ全体を通してみると、素晴らしくキラキラで、綺麗な色合いで、なめらかで肌触りのいい、この上なく自分好みなヒモかもしれません。

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そうやって考えると、
人生を幸せに生きるということは
「ヒモ」そのものを俯瞰して「どういうヒモでありたいか」を自分で見つけることなのかな、と思うのです。

「一瞬」に囚われるのではなく、「自分の心のあり方」が人生そのもので、自分自身が、どうありたいか。
そしてその全体の流れの中で、いくつもの結び目ができていくのではないかな、と。

そんなことを昨日から考えていましたら、今日ふいに頭の中に

「禍福は糾える縄のごとし」

と浮かびました。
あ、何か聞いたことあるぞ。
…ていうか…そうか、昔の人は既にそれに、とっくに気付いていたのね~~~!なんて思った次第です(笑)

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