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自転車の練習は、転びたくなかったし、見られたくなかった
初めて自転車を買ってもらったのは、小学校2年生の時。赤や黄色などのカラフルな自転車だった。
最初はもちろん補助輪付き。けれど、まわりはもう誰も補助輪なんてつけてなかった。ジーゴロジーゴロといううるさい音も嫌だったし、早く走れず友人たちに置いて行かれるのも嫌だった。だから、早く外したいと思っていた。
どこで練習するのがいいだろうか。日中は父も母も仕事なので、一人で練習しなければいけない。
そこで考えたのが、倉庫での練習だった。こどもの頃、父と母が勤めていた店の2階に住んでいた。1階は店舗。店舗の裏には倉庫があった。倉庫と言うだけあって物は置いてあるのだが、空いているスペースがあったのだ。
倉庫の大きな利点は「練習を誰にも見られない」ことだった。恥ずかしがり屋の私は、上手く乗れない自分の姿を誰にも見られたくなかったのだ。
学校から帰るとまっさきに倉庫に行った。自転車にまたがり、足で床を蹴って進む。ペダルに足はかけなかった。今でいうところの「ストライダー」(ペダルがない幼児用自転車)よろしく、ひたすら床を蹴って進んだ。
小学生の私がよくこの方法を編み出せたなぁと、我ながら感心する。どうしてこの方法を思いついたかと言うと、それはもう「転びたくなかった」から。
「自転車の練習で転んだ」という話はよく耳にした。その度に「私は絶対転びたくない」と思っていた。痛いのは嫌だ。
なぜ転ぶのか?バランスがうまく取れずにペダルを漕ごうとするからだ。じゃあ、ペダルを漕がなければいい。子供ながらにそう悟ったのだ。
倉庫の奥行きは4mほどあった。その距離をひたすら往復した。
ジャーッっと進んで、ジャーッと戻って。1時間でも2時間でも。よく飽きなかったなぁと思うが、ひたすら往復した。
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どれくらいの期間、その練習をしたのかは覚えていないが、そろそろ広いところに出てみたくなった私は、店の前の道路に練習場所を移した。
はじめは例のごとく、ペダルをこがずに地面を蹴って進む。慣れたら少しずつペダルに足を乗せて進めるようになった。
ここでひとつ困ったことがあった。それは、人が通り過ぎることだ。倉庫と違ってここは道路。人通りは少なかったが、やはり誰かは通る。絶対に人に見られたくない私は次のような行動をとった。
人がやってくるのが見えると自転車を降り、電信柱の横に停める。そして、自分は隠れるのだ。
その当時、店の横にはビルが建っていた。店とビルの間には子ども一人が入れるくらいの隙間があった。私はその、店とビルの隙間に隠れたのだ。
そして人が通り過ぎるのを待つ。誰もいなくなったことを確認したら、その隙間から抜け出す。
我ながらおかしな子供だったなぁと思う。隠れるなら店の中でもよかったのでは?と思われるかもしれない。けれど、それではダメだったのだ。
なぜなら、通った人が店のお客さんだった場合、練習を再開するために外に出るタイミングで、お客さんと顔を合わせることになるからだ。恥ずかしがり屋の私は、元気に「こんにちはー」なんて挨拶できる子供ではなかった。そんなシチュエーションが怖かったのだ。
その点、店とビルの隙間であれば、人が通り過ぎるまでそこに息をひそめて隠れていることができるし、通り過ぎた後もなにごともなかったかのように自分のタイミングで隙間から抜け出し、また練習を再開できたのだ。
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子どもの行動って、大人からすれば「ん?」って思うようなことがたくさんある。けれど子供からすれば、どれも筋が通っていることなのかもしれない。
現在、店の横に建っていたビルは取り壊されてコインパーキングになっている。自転車の練習をしていたのが、ビルが取り壊される前でよかった。
横がコインパーキングだったら、今でも私は自転車に乗れなかったかもしれない。