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花の香りを嗅いでみて!

夫との初めてのデートは春だった。近くの山に桜を見に行った。

ずっと続く桜の道を二人で歩いた。

何を思ったか夫は桜に近づいていった。そして花に顔を寄せ、香りを嗅いだ。

一瞬、ぎょっとした。大の大人で、顔を近づけて花の香りを嗅ぐ人なんて、まじかで初めて見たからだ。その時はまだ、夫に対して「好き」という感情を持っていなかったので、正直少し引いた。

「リコさんもどう?」と誘われたが、「私はいいです!」と断った。

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夫は家でバラを育てている。

結婚して最初の年の春。玄関先のピンクのバラが咲いた。夫はさっそく花に顔を近づけた。

「これはちょっと弱いんだ」

次に、植木鉢の真紅のバラに向かった。そしてまた嗅いだ。

「これはとても強い香り」

「リコさんもどう?」と誘われた。またきたか、と思った。初めてのデートでぎょっとしたことを思い出した。夫婦になったのだ、確かに夫は好きではあるが、花に顔を近づけて香りを嗅ぐことに私はまだ躊躇していた。

でも、品種によって本当に香りが違うのか確かめたくなった。そして、思いきって花に顔を近づけてみた。あ、良い匂い。

バラの香りといえば、クリームの香料くらいしか知らなかった。本物のバラってこんな香りなんだ。みずみずしくて、優しくて、それでいて上品で。ずっと嗅いでいたくなるような香りだった。

「赤いほうは濃厚だね。でも私はピンクのも好きだなぁ」

ニコニコする夫。「そうでしょそうでしょ」という顔をしている。

それからは、私も「花の香りを嗅ぐ人」になった。

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新婚旅行で行ったハウステンボス。5月のバラフェスティバルの時期だった。

「これはどう?」「こっちもいいよ」なんて言いながら二人でいろんなバラの香りを嗅いだ。傍から見るとちょっと怪しかったかもしれない。

夫に誘われて、市営のバラ園にも行った。そんな場所があるなんて知らなかった。

バラの楽園だった。一口にバラといってもこんなに種類があるのかと驚いた。そして例のごとく、私たちは香りを嗅ぐ。

ふとまわりを見渡すと、同じように花に顔を近づけている人がちらほらいた。香りも楽しむ人もいるのね。同士を見つけた感じ。嬉しくなった。

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今年の春もバラが咲いた。4歳の息子は「きれいだねー」と言ってバラを見ている。そして、当たり前のように花の香りを嗅いだ。

「いい匂いだねー」と言ってニコニコする息子。

着実に「花の香りを嗅ぐ人」になっている。家にはローズマリーやミントも植わっているので、それもちぎって香りを嗅いでいる。

「ほら、お母さんも嗅いでみなよ」と言って嬉しそうに持ってくる。

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夫と付き合っているころ、「バラを育てている」と聞いてびっくりした。30代で、男性で、バラ栽培している人なんて私のまわりにはいなかったから。でも、面白い人だなぁと思った。

育てていると、自然と香りが鼻につく。そうして夫は「花の香りを嗅ぐ人」になった。

冒頭で夫は桜の香りを嗅いでいたが、桜はあんまり香りはしない。けれど花を見ると、その香りを確かめたくなるのだそうだ。その気持ち、今の私ならわかる。

夫に勧められて、私が。そんな両親を見て、息子が。そのうち娘も「花の香りを嗅ぐ人」になるだろう。なんだか不思議だ。知らなかったことを知っていくこと、それがどんどん広がること。夫婦って、親子って、面白い。

「花の香りを楽しむ家族」なんてなんだか素敵じゃないか。家族そろって花に顔を近づけている姿はちょっと滑稽かもしれないけど。



こちらの企画に参加させていただきました。






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