母がすべてだった私が、私の道を歩こうとしている
「リコは変わってしまったね」
結婚してから数年たった頃、母に言われた。
確かに私は変わったかもしれない。
それまでは、母と二人の生活で、母の価値観で私は生きていた。
それが、夫と二人で「家庭」を作る中で、私の価値観は少しずつ変化していった気がする。
母は、接客業をしているからか、”人の気持ち”に敏感だ。
"自分が我慢すること"で、物事を回していくことをやってしまうこともある。
"他者を優先させる"というところが強い。
対して、夫の両親は"自分たちが一番"という考え方の持ち主だ。
極端に言うと、「他の人はどうでもいい。自分たちが幸せであればそれでいい」という考えなのだ。
夫はそこまでではないのだが、他人軸ではなく自分軸で生きている。
夫のモットーはこうだ。
はっきり言って、夫は他人に興味がない笑
とはいえ、冷めているわけでもない。
助けを求められたらちゃんと手を差し伸べられる人だし、最低限のコミュニケーションはとれる人ではある。
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夫は、勉強熱心だし、新しいことが大好きで、好奇心も旺盛だ。
一方で、母はどちらかというと保守的だ。
「わからないことには、近づかない」という性質。
夫には「わからないなら、勉強しよう」「やってみよう」というところがある。人には興味のない夫だが、趣味はたくさんあり、どれもとことんやる人。
あれ。夫の自慢になってきている気がするが、夫はこんな人なのだ。
"ポジティブ"という言葉でまとめたくはないが、基本的に前向きで、自分を肯定できる人だと思っている。
常に冷静。いつも平常心。自分で自分の機嫌を取れる人。
そんな夫といることで、確かに私は変わった。
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母は、私が「変わってしまった」と嘆いた。
思慮深さがない。我がままになった。
母にはそう、映ってしまったようだ。
確かに、そうなのかもしれない。
けれど、それが今の私にはしっくりきているのだ。
私はずっと「私なんかが幸せになったらダメだ」と思って生きてきた。
自分を押し殺して、我慢することが美徳だと思ってきた。
でも、本当はそれが辛かったのだと、気づいてしまった。
私も幸せになってもいい。我がままになってもいい。
自分の機嫌をとれるのは、自分だけじゃないか。
もっと、自由になってもいい。
夫と出会って、私の考え方は変わった。
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子育てのことで、母にとやかく言われるのが嫌になった。
「リコは間違ってる」
私の苦労も、悩みも、葛藤も知っているはずなのに、母にそんなことを言われたくなかった。
母の言うことがすべてじゃない。
頭ではわかっているのに、気持ちが追い付かない。
でも、私は私の信じるやり方で子育てをしていきたい。
私にはそのやり方しかできないのだから。
私は私が選んだ道を歩いていきたい。
私の人生なのだから。