言葉でつらさを伝えられなかった頃の話
今回は治安の悪い話(自傷行為の話)をしてしまうので、渦中にいる方は読まないことをおすすめします。そうでない方も、気分を害してしまう可能性があります。
ただ、いつか言語化したかったテーマなので、そっと投稿させてください。
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つらい気持ちを言葉で正確に伝えられる人がどれだけいるだろう。
感覚的なものの大きさは、うまく伝えるのが難しい。
悩みを矮小化されて余計に傷ついてしまうかもしれない。
どうすれば傷つかずにSOSを出せるだろうか。
一つの方法として可視化がある。
身体が動かなくなったり、涙が止まらなくなったり、自傷行為をしたりする。言葉で伝えるよりも切迫感がわかりやすくなる。
別の方法としては切れ味のいい言葉を使うことができる。
「勉強が苦手なのにやらなきゃいけないのがつらい。」とありのままの悩みを話すと「それでも皆は勉強しているんだよ」で終了してしまう。
しかし「もう死にたい。」と言えば、詳細を伏せたままにもかかわらず、死を考えるほどつらいことが伝わる。傷つかない。
このような本質を有耶無耶にする方法でしか伝えられないのは悔しいなと思う。
高校生の時に、Twitterの病みアカウント界隈に住み着いた。
リアルの人には呆れられそうだから言えない悩みも、ネット上でなら受け止めてもらえるかなという軽い気持ちだった。
言葉で呟きたいだけだった。
だけど私が入っていったその場所は、予想していたコミュニティとは違っていた。
言葉を交わす空間ではなく、リスカの深さやODの量でマウントを取り合う戦場だった。
「おはよう」と同じ軽さで「死にたい」と書いてあって、読んでいると感覚が麻痺してくる。
そこの住人になるために、私は恐々とリスカをし、ODをした。
いいねが付くようになる。やっと息が吸えた。
徐々に自分が何に悩んでいるか分からなくなってくる。
考えるのは疲れるし時間もかかるから
「勉強がつらい」も
「友達がいなくて寂しい」も
「朝起きられない」も
「家族が喧嘩しているのが怖い」も
全部一括りに「死にたい」でいいや。
その方がみんなも共感してくれるしラクだ。
こうやって私の言語化力は退化していったのだと思う。
ついでにODすればフワフワして何でもよくなる。
勉強のつらさも感じなくなって、初めて受験生らしい勉強をできた。
エナジードリンクを飲むノリで風邪薬を乱用していた。
ODのおかげで合格した大学に入って数か月、Twitterは引退したが、その後も5年間は薬をやめられなかった。
私は大学院生になり、ニートになった。
そこでやっと足を洗うことができた。
私にとって、薬物に依存していたことは人生の汚点だ。
そんな経験ないほうが良かったと思っている。
それでも誰かに痛みを伝えるとき、薬物のことを持ち出すと話が早かった。
本質的な悩みではなく、そこに焦点を当ててもらうことで簡潔に生きづらさが伝わって都合が良かった。
現在だってそうだ。
精神科に行くと、その過去が説得力のあるエピソードとして重宝される。
もう過ぎたことなので話さなくてもよいのだけど、やはり言葉だけで感覚的なものを伝えるのは至難の業だから、つい頼ってしまう。そんな自分にモヤモヤする。
つらさを言葉で伝えないことには「恩恵」がある。
それが憎らしいところだ。
また、そこばかりに焦点を当てると問題の核心に向き合って克服することを遅らせてしまうのだ。
結局、私が本当に問題を克服するには長い時間をかけて自分と向き合い言語化する以外にない。
もしも高校生に戻れたら、次は言葉だけで伝えられるだろうか。
自分の悩みを、ごまかさずに抱えられるだろうか。
そんなことを時々考える。