見出し画像

浮いている人、文章を書いてみる

初めてノートを書きます。25歳社会人2年目女です。
5年前からつぶやきを投稿するSNSをやっていて、日々の支えになっていること、もう少し長い文章を書いてみるのも面白いかもと思ったのがきっかけです。

自分で言うのは恥ずかしいのですが、小中学生くらいの時には「よもぎさんは文才がある」とか「面白い文章を書くね」と言われることがありました。社会人になってからも、昔ほどではないですが言われます。だからありがたいことに文章を書くことへの自己肯定感は比較的高いです。もう子ども時代のように気持ちを込めて「作文」することは減ってしまったけれど、新しい趣味を始めようと思ったときにnoteが選択肢にあがったのは、これまで面白いって言ってくれた人たちのおかげです。ありがとうね。

唐突ですが、くせになる文章を書く方っていらっしゃいますよね。大変失礼なのですが、周りから浮いてしまう人が面白い文章を書くことは、往々にして見られる現象なのではないかと推測しています。例を挙げると、南条あやさんとか、メンヘラ神さんとか…ジャンルが偏っていますね(汗)彼女たちの文章を読んだのは数年前ですが、文才があるってこういうことなのだなと衝撃を受けました。(中毒性ある文章で人気を集めたゆえそのキャラクターの中に自らの人生を収束させてしまったのではないか、などと複雑な気持ちにもなりますが…)

私には彼女たちのような飛び抜けた文才はないにせよ、文章を褒められる時には「あなたは変わっているね」ということと表裏一体だったように思います。特に私の比喩表現には独特のものがあるようで、「よもぎ語録」なんて言われると悪い気もしない…当人は個性を出しに行っているわけではなく大真面目なんですけどね。外界を捉える語彙が、そもそも多数派のそれとは違うような感覚があって、伝えたいことがうまく伝えられずにもどかしい気持ちになることがよくありますが、時々面白いと言ってもらえるのは嬉しいし自信になることです。

次に自信がない私のことを書きますね。
私は友達が多くありません。学校に馴染めなかったタイプです。
会社は学校よりも馴染みやすい環境ですが、それでも同年代に対する苦手意識は持ったままなので態度が少しぎこちなくなってしまいます。苦手克服のきっかけになればと休日に同年代のBBQイベントに参加したこともありますが、終わった後にどうしようもなくつらい気持ちになりました。そんな自分を、ずっと肯定できずにいます。

最近考えた粗削りな仮説ですが、私の自信のある領域と、自信のない領域、どっちも同じ要素から生じているのはないかと思います。つまり私は浮いていて、それによってくせになる何かを生み出すことができる可能性があるという仮説です。浮きたくて浮いているわけではないし、「まともな人になりたい」って切実に思う一方で、人間そう簡単に変われないこともわかっている。だったら私は私の浮いている部分を、良い方向に使えないかなあ?自分の自信のない部分から、自信のあるものを生み出せたらいいなあ、と考えています。

最後まで読んでくださってありがとうございます。それではまた。









いいなと思ったら応援しよう!