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【短編サブストーリー】Do you like dogs?

「ココ!こら、ココア!…あぁっ!」

それは日常的な母の叫びだった。クリスティーナは荷造りしている手を止め、窓の外を覗き込む。
そこには、全身ブルブルと振って土や葉を撒き散らしているココアの姿。そして、ビリビリに破かれた園芸ソイルの袋。その切れ端を拾いながら、大きくため息をつく母のシンディがいた。

「またやったのね、ココア」
クリスティーナは苦笑しながら窓を閉め、ベッドに身を投げ出した。
明日には、この家を離れて大学の寮へ引っ越す。
母とココアと過ごしたこの家での時間が、あとわずかだということを思うと、胸の奥に寂しさが広がった。

レッドマールの美しい毛並みを持つオーストラリアンシェパードのココアは、クリスティーナの十二歳の誕生日にやってきた。
両親が離婚し、母と二人暮らしになった年でもある。

「この家に、雄はもう要らないわ」

そう言って、母は愛らしい小さな子犬を連れて帰ってきた。
父が動物嫌いだったせいで、犬を飼うことを諦めていたクリスティーナは、大喜びでその子を抱きしめた。
「両手にココアパウダーをまぶしたみたいだから、ココアにする!」
名前はクリスティーナがつけた。

その日から、ココアは家族になった。

小さなパピーはすぐに大きくなり、壁紙を剥がし、マットを粉々にするほどのいたずら好きに育ったが、人が好きで小さな生き物にも優しい性格だ。
そして、どんなときもクリスティーナのそばにいた。

「今日は夜勤だから、サマンサの代わりに別のシッターを頼んでおいたわよ」
「え、シッター?私、もう15歳なんだけど?」
「夜中に何かあったら困るでしょ?彼女はサマンサの紹介だから大丈夫よ」
そう言って、母は慌ただしく出かけていった。

しばらくして、インターホンが鳴った。

ドアを開けると、そこには柔らかい笑顔を浮かべた若い女性が立っていた。
彼女は長いブロンドの髪を後ろで一つにまとめ、紺色のワンピースを着ていた。

「こんばんは、セレーナです。サマンサの紹介で来ました。あなたがクリスティーナね?」
落ち着いていて温かみがある声だが、すぐにアンドロイドだとわかった。
クリスティーナは少し警戒しながらも、丁寧に彼女を家の中へ招き入れた。
すると、ソファでくつろいでいたココアが、耳をぴんと立ててセレーナを見た。
興味深そうに鼻をひくつかせながら、近づいてくる。

「ココアちゃんかな?」
セレーナは優しくしゃがみこみ、目線を合わせると、ココアは尻尾を振りながらぺろりと彼女の手を舐めた。
「とても可愛い」
「……犬、好きなんですか?」
「ええ、大好きです」
セレーナは微笑んで、そっとココアの頭を撫でた。
目を細めて気持ち良さそうにするココアを見て、クリスティーナは少し安心した。

「私は、犬の言葉がわかるの」
「犬の言葉?ほんと?」
「ええ。人間の言語とは違うけれど、感情や意思が発するエネルギーを解析することで、彼らの考えていることを理解できるの」
セレーナは動物心理と福祉を学んでいる学生だった。
AIならそれくらいできるのかもしれない、クリスティーナは頷いた。

セレーナはクリスティーナの手を取り、ココアの背中にそっと添えた。
「私たちとはプロセスが違うけど、きっと、人間のあなたにもできるよ。目を閉じてみて」
クリスティーナはドキドキしながら、言われるままに深く息を吸って目を閉じた。

「私たちには周囲の生き物と同調する力があるから、それをうまく使うの」

クリスティーナはココアの温もりと自分の手のそれが一つになっていくような気がした。

「ココアちゃんに、ひと言ずつ語りかけてみてね。心の中でいいから」
クリスティーナは頷いて、手の温もりに集中した。
ーーかわいい
ーーだいすき

「かならずぴったり一致する気持ちがあるはず。それはココアちゃんの感情でもあるの」

ーーココア
ーー私たちはずっと一緒

今までも、これからも、ずっと側に…

クリスティーナは、ハッとして目を開けた。
ココアは嬉しそうに彼女を見上げ、ふわりと尻尾を揺らしていた。

「……今、ココアの気持ちがわかったような気がした」
「ええ、あなたの心が彼女の想いに共鳴したのよ」

その夜、クリスティーナとココアは、ぴったりと身を寄せあいながらソファに座って、古いホラー映画を観た。
ホラー映画なのに、なぜだか可笑しくてしょうがなかった。
セリーナが、どうしてそこで笑うの?と真剣に聞いてくるのも可笑しくて、皆でたくさん笑った。


ーー

荷物をまとめて玄関へ向かうと、足元から離れないココアが、不安を浮かべた眼差しでクリスティーナを見つめた。
「週末には帰ってくるから、大丈夫だよ」
そう言いながら、ココアの頭を優しく撫でた。
けれど―

「私たちはずっと一緒」

あの夜感じた、ココアの言葉が胸をよぎる。
涙を堪えると、鼻の奥がツーンと痛い…

「……ごめんね、でも、ちゃんと帰ってくるからね」



大学寮に到着し、部屋の扉を開ける。
そこにいたのは、明るいブラウンの髪を無造作に結び、ラフなTシャツとジーンズを着た少女。
彼女は振り返ると、明るい笑顔を向けた。

「ようこそ私たちの城へ!私はノア、よろしくね」

その人懐っこい態度と、自由な風を纏ったような雰囲気に、クリスティーナは「あ、ココアに似てる」と思った。

「よろしく。…ノア、犬は好き?」

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