
「映画ドラえもん のび太の地球交響楽」を観て(第1感)
先般、地上波で標題の「映画ドラえもん のび太の地球交響楽」が放映され、
録画してみたところの第1感の感想。
まずは、自分もピアノを弾きクラシックにも興味があるゆえに
面白かったというのが第1感。
少し分析したくもあるので、
まずは感じたところだけ書き殴りたく思い投稿したい。
自分はベートーヴェン好きなのでその点でよかったが、
安易に(もしくは製作陣の思いと信じたい。)
クライマックスの曲で第9の第4楽章の「歓喜の歌」が使われなかったのは
白眉(≒流石というか、むしろ安堵に似た感情)かとも思ってしまったのである。
知名度的に抜群な「歓喜の歌」を使えば感動間違いなしの場面である。
盛り上がりに至るシーンで、バッハの小フーガ、
モーツァルトのアイネクライネナハトムジーク、
ベートーヴェンの歓喜の歌のモチーフがあって「もしや」と思った
(重要メンバーで明らかにベートーヴェンをモチーフにしたキャラあり)が
、それは杞憂に終わってよかったとも思える。
なぜか。
このBeethoven No.9 Symphony(Op.125)は
いわゆるフルトヴェングラーの有名な1951年のライブ演奏(バイロイト音楽祭)があるところである。
私はこの演奏で感動したことがきっかけでクラシックにハマったとも言える。
だが、
知っている人は知っている。
ヒトラー(Adolf Hitler)の第9(1942.4.19)がある。
時代と時代背景は語るに及ぶまい。
演奏自体(あくまで演奏自体)は凄絶で名演である。
NHKの「映像の世紀」でも一部分が映ったかと記憶している。
シラーの詩からすると全人類(=本ドラえもんからすると地球の生きとし生けるものであろうか)のためにであろうか、
映像(興味ある方は御覧ください。)は、戦時下ドイツ国民オンリー(ゲルマン民族限定?後半に傷痍軍人も映っています。)と見え、
それ以外は対象外なのであろうか?
ここは、キリスト教の救済範囲にも関わる話であり、
自分には知識が無く割愛させていただきたい。
しかし、シラーは、ベートーヴェンは、そしてフルトヴェングラーは?
彼らの言動・航跡からは差別的な考えは伺えないと思うが、
私の浅学菲才な見識では深堀できずどうであろうか。
また、本ドラえもん映画でお気づきであろう。
本映画は2024年である。
戦場でハーモニカを吹く軍人の映像があったのは紛れもない
(1時間47分32秒あたりをご覧ください。)。
何を意味するのか?
「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021」を想起するのは
浅薄であろうか?
そういった文脈で「歓喜の歌」は適切か?不適切か?
繰り返すが、ベートーヴェンの「歓喜の歌」をクライマックスで
使用しなかったのは(偶然?)英断と讃えたい。
いずれ整理したら考えをアップしたい。
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