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短編小説「確認」

母と父が離婚し3年。
18歳の僕は高校を卒業した。地元を出て大学に通っている。新たな環境、新たな人間関係、そして一人暮らし。新生活への不安や期待は不思議と薄かった。代わりに僕の中心にあったのはあの人たちの言葉は本当なのだろうか?という疑問だった。

僕は人見知りだ。何故こんなに人見知りなのかは自分でもわからなかった。コンビニの店員さんと話す事にすらいちいち緊張していたし、飲食店でメニューを注文することも億劫だった。中学の時は女子とほとんど会話をしなかった。人に話しかける事がない僕は女子に話しかけられる事もなかったのだ。ただ話しかけられる事を待ってはいた。だが話しかけてくるのは決まって男子だ。その中にはやんちゃな男子も含まれており一時期そのグループに属していた。1人とつるむ様になると芋づる式に同じ様なメンバーが増えていった。彼らは髪を染め粗暴な振る舞いをする。あえてその様に振る舞っているのかそれが素なのかよくわからなかった。彼らが近づいてくる事をあえて拒むこともなかった。家に帰りたくも無いし暇だったのだ。ただ同格には扱われない。彼らがテンションを上げるもので自分はテンションを上げれない。彼らの興味のあるものに興味が持てない。その中の一つにバイクがある。バイクと言っても原付。原付を乗り回すのが彼らの楽しみだった。僕はただの乗り物にこだわる理由がよくわからなかったし無免許で走るリスクと楽しさが見合っている様にも思えなかった。やんちゃなグループの中で初めに僕に声をかけてきたお男の子。金髪で太っているその子を僕は心の中で金髪豚野郎と呼んでいた。
その子が言う。「兄貴の原付があるからそれに乗ろう。お前を後ろに乗せてやるよ。」金髪豚野郎はいつも偉そうに兄貴分の様な振る舞いをしてくる。ただ断るのも面倒だったのでその提案にのることにした。警察が来たらどうするのか質問したところ金髪豚野郎は逃げ切る自信がある様だった。「余裕だ。余裕。お前は本当にビビリだな。」そんな口を叩きながら近所を2ケツで走り出す。まだ春先で風が冷たい。金髪豚野郎の背中から熱は伝わってくるのに一向に温まらない。左折しようと原付が停止していると後ろから原付に乗った警察が来た。やばい。僕は原付を降りて逃げようと腰を上げる。しかし警察官はもう隣に来ていた。金髪豚野郎はあれだけ自信満々だったのに全く逃げる素振りもなく僕らは補導された。パトカーに乗せられ警察署に連れて行かれる。
金髪豚野郎は補導された事が誇らしい様だった。僕はこの後父にボコボコにされる未来に何も感じない様に心の電源を落とす。体温が徐々に下がり冷たくなっていく。父親が迎えに来るはずもなく遅くまで働いている母が引き取りに来てくれるのを待つ。金髪豚野郎の母親はすぐに迎えに来た。金髪豚野郎と同じ体型の母親は警察に頭を下げる事もなく誇らしげな息子を回収していった。母を待っている間、警察官5人と取調室で待つ。警察官が質問をしてくる。「なんでこんなことをしたんだ?」言葉としては理解できたが心の電源はオフのままだ。何も答えない僕を警察官がどう思ったのかはわからなかったがそれ以上は何も聞いてこなかった。
仕事終わりの母に連れられて家に帰り、案の定父に動けなくなるまでボコボコにされた。

翌日学校で金髪豚野郎は「お前俺を置いて逃げようとしたよな?」と詰め寄ってきた。ぼくが一瞬逃げようとした事が気に食わなかったらしい。「そうだね。」とあっけなく答える僕に白けたのか僕に背を向ける。そしてその事をやんちゃ仲間に高らかに話し始めた。その後ろ姿を眺める。ダルダルになったスウェットのズボンからパンツが見えている。黒にピンクの文字が書かれたパンツ。少しハンケツになっている後ろ姿が彼の吐く言葉によく似合っていた。
金髪豚野郎達とは次第に距離を置くようになる。初対面で人見知りしていた時から最後まで彼らに一度も心を開いた感覚が無い。しかし金髪豚野郎は僕の全てが分かっているかのように「お前には度胸がない。性格が悪い。捻くれている。」と言っていた。そう言う事を人前で言う事で自分の強さを周りに見せつけている様に思え、あえてその言葉を咎める気にもならなかった。そもそも全く心を開いていない自分の何を分かっているのか不思議だった。
周りもその言葉を別に否定しなかった。ただ笑っていただけ。乾いた冷たい笑い。その様子がその言葉に同意している様で少しの可能性として本当に自分がそんな人間なのかと思ってしまう。そんな違和感は虫刺されの様にしばらく気にし出すと止まらなかった。

父は口答えをすると暴力を振るう人だった。拳骨を落とされるとかそういうレベルではなく鳩尾に蹴りを入れられる。数秒息が出来なくなる。このまま死ぬんじゃないかと幼いながらに思う。死なない。少しずつ息を吸い込む事ができる。体が一生懸命生きようとする。その場に横たわり自分の鼓動が驚くほど大きくなる。それがとても怖かった。何事もなかったかの様にテレビを見て笑っている父親。その邪魔にならない様に声を抑えつける。体が一気に熱を持って熱い。それが逆に床の冷たさを際立たせる。徐々に床に熱を奪われ体が冷たくなっていく。もう大丈夫。何も感じない。
そうやって父の顔色を窺って生活していく。
人付き合いの出来ない父はあいつらは俺を馬鹿にしているとよく被害妄想を語っていた。そんな時は父に近づかない様にしなければならない。気配を消し自分の部屋へ逃げ込む。
「あの人は友達を作れない人なの」と母は言っていた。
父によく言われていた事が二つある。
「お前は人の心を持っていない。」
「お前は俺の様になる。」
この二つだ。
父の言いつけを守れなかった時によく言われた。
父はいい人間ではなかった様に思う。毎日、母と喧嘩していたし機嫌の悪い時は話しかけただけで殴られた。父は不倫相手と子供を作り母と離婚した。特に何も思わなかった。
「お前は人の心を持っていない。」
「お前は俺の様になる。」
暴力とその言葉が父の事を思い出す時に真っ先に頭に浮かんでくるものだった。

高校は男子校に進んだ。偏差値は低い方でやんちゃな子や馬鹿で明るい子、オタク気質な子などいろんな男子が混ざっていた。そんな中、仲良くなった子がいた。彼は同じサッカー部で背は低いが顔は整っており勝気な性格だった。家も近く、隣の中学で共通の知り合いがいた事もあり行動を共にする様になった。男子校にも関わらず中学の同級生の女の子をフックにして他校の女子と繋がり、青春を謳歌していた。僕の中学の目立った女子も大体彼と関係があった。彼の武勇伝を聞き流すのが僕の役目だった。ある日の昼休み彼は「お前は人見知りだからワンナイトはできないだろう。」と言ってきた。
その頃には流石に女の子とも喋る様になり彼女の一人や二人できていたが確かにそういった経験はなかった。
本当にできないのか?試した事もなかった僕はそんな疑問を抱いたが5時間目の歴史の授業があまりにもつまらなくて睡魔に疑問が食われていった。

18歳、新生活。
僕は確かめてみる事にした。
中学の同級生である金髪豚野郎の言葉、父の言葉、高校のモテ男の言葉、自分自身が思っている、本当に僕は人見知りなのか?本当の本当は人見知りだと思い込んでいるだけなんじゃないか?僕は誰も僕のことを知らない土地で確かめてみる事にした。
大学生活を送る上で3つの目標を決めた。人見知り克服、ワンナイト、そしていい人になる。僕の大学生活最初の目標。
とりあえず一つずつ取り組む事にした。
人見知り克服の為にとにかく自分から話しかける様にした。いい人うんぬんはそれからだ。
大学の入学式。すでにSNSでグループが出来ていた。僕は軽く絶望した。マラソンの序盤で捻挫した様な気分だった。その日僕がした会話は「トイレどこかわかる?」と質問され「わからない。」と答えたそれだけだった。入学式の帰り道自分を落ち着かせる。どうせ一人で行動しない為に前もって集まったグループなんだから1ヶ月も持たないだろう。まだチャンスはあると捻挫した心に湿布を貼る。
入学式のすぐ後、新入生オリエンテーションでグループ分けをされる時があった。どういうわけか僕は筆箱を忘れ何の筆記用具も持っていなかった。配られた資料だか栞だかに名前を書けと言われてもどうする事もできずただただやる気を失っていた。そんな時ふと思う。こういう時こそ自然に話しかけるチャンスじゃないのか?と大学生活最初の目標を思い出した。よし、「ちょっとシャーペン貸してくれない?」「筆記用具忘れちゃってさ。」よし、この流れだ。...よし、よし、よし。もう一回シミュレーションしよう。「ちょっとシャーペン貸してくれない?」よし、いくぞ!
「ねぇ、ちょっといい?」よし声をかけた!
隣の黒髪ボブの女子生徒が意識をこちらに向ける。「ん?何?」
警戒も好意もない、ザ・ニュートラルな対応。
「シャーペン貸してくれない?筆記用具忘れちゃってさ。」顔が熱くなり、つむじが痒くなる。不自然にならない様に細心の注意を込める。この時の僕は爪切りの100倍の注意を払っているだろう。さながら爆弾処理班の繊細さだ。
「いいよ。消しゴムもいる?」
「うん。ありがとう。」よし、やったぞ成功だ。ミッションを達成した僕は課題をメモし、その後のグループでもそれをきっかけに会話をしていく。自由時間になる。シャーペンを借りる事に成功した僕は次なる一手に打って出る。さっきの子にお礼にジュースを奢るのだ。何という大胆な挑戦。このロケット打ち上げにも似た挑戦を前に緊張が走る。いた。あの子だ。いくぞ。
「さっきはありがとう。」よし声をかけた。
「あー、全然大丈夫だよ。」
「お礼に何か奢るよ!何飲む?」よし素晴らしい。
「えー、いいよそんなの。」
「大丈夫。お礼だから。」
「じゃあ、カフェオレで」
「わかった。」よし、月面着陸成功。素晴らしい。素晴らしいぞ。地球は青かった。お礼はオレだった。よし、よし。それから僕は無事に新入生オリエンテーションを終えたのだった。
大学である程度友達の出来た僕は夏休み、カフェでアルバイトをする事にした。結論から言うと全くダメだった。レジの声が小さくお客様に聞き取られない。人見知り克服の為に接客業をしてみたが令和に関白宣言を流行らせるが如く全く話にならなかった。
どうやら僕は本当に人見知りの様だ。ただ一つ分かったのは克服できないまでも改善はできるという事だった。良いも悪いもなくこの事実を確かめる事が出来た事が嬉しかった。
次に僕はワンナイトできるのか試してみた。大学内でワンナイトを試すのはリスクが高すぎる。僕はマッチングアプリをする事にした。マッチングアプリで人と会うのは人見知り克服にもなるいい機会だった。すぐにマッチングはしなかったが数を打てば出会えると言う事がわかった。大学生の僕はとにかく時間を持て余していた。マッチしました。「やっほー」送信。マッチしました。「やっほー」送信。マッチしました。「やっほー」送信。とにかく数を撃ちまくった。会ってもそう言う雰囲気にならず連絡が返ってこなくなる事もざらにあった。そんな中粘り強くマッチングしていると成功する時はすんなり成功すると言う事がわかった。会話の中身なんて何も覚えていない。ただこの頃には人見知りも少しはマシになっていた。ペラペラの会話にやわらかい雰囲気で家に連れ込み徐々に距離を近づけワンナイトをする。なるほどと思った。ゲーム性があり達成感があり快楽がある。楽しい。無理じゃなかったよ。彼を思い出し、人見知りでもワンナイトできると言うことを証明した事に高揚感を覚えた。

電車で大学に通う。朝の時間。東京の超満員電車とまでは行かないまでも混雑している。ドアに肩をもたれかからせ、どこを見るともなく時間を過ごす。大学の授業の事を思い浮かべたりしていると電車が揺れた。そのはずみに2.3人挟んだ対角線上にいた女性の鞄から財布が落ちる。女性はそれに気づかず周りも誰も気づいていなかった。僕は「すいません。」と言い手を伸ばして財布を拾う。女性と僕の間にいたサラリーマン達は無機質に少ないスペースに体を寄せる。半身の僕が通れるほどのスペースが空く。「落としましたよ。」と声をかける。「ありがとうございます。」と女性にお礼を言われる。それに会釈を返し元の位置に戻る。人と目を合わせるのが苦手な僕にはそれが精一杯の対応だった。
後から偶然同じ電車に乗っていた黒髪ボブがあんなにバツが悪そうに落とし物を拾う人を初めて見たと笑っていた。そしてあなたはよく周りを見てるねと言い褒美にカフェオレをくれた。
あたたかい。
確かに昔から何かと気がついてはいたが人の目が気になりなかなか行動できずにいた。プリントを目の前で落とした人がいても拾うかどうか悩んで結局無視していたし、道を聞かれてもわからないと答えて足早に立ち去る。後からこうした方が良かったなと思う事も多々あった。その人達から見ると嫌な奴だっただろう。そんな自分と比べるといい人に近付いているのかもしれない。
いい事をするにも勇気が必要なんだな。そうか。僕は今まで勇気がなかったのか。
「お前には度胸がない。性格が悪い。捻くれている。」頭の中でメタボリックな声が聞こえる。
当たっていたのかもしれないな。
そう思うと同時に少し気温が低くなっている事に気がつく。それが逆にカフェオレのあたたかさを感じさせてくれた。

3つのうち2つ、ある程度の答えが出た。
最後の一つであるいい人について考えてみる。考えるについて思い出す。金髪豚野郎の事、父の事、いい人とは何なんだろう。彼らは僕にとっていい人ではなかった。いい人ではない彼らが言った言葉は嘘なのだろうか?わからない。僕はいい人なのだろうか?わからない。そもそもいい人かどうかなんて誰にとってかで変わるんじゃないだろうか?全ての人にいい人である事なんて出来るのだろうか?
いい人について辞書で調べてみる。好感の持てる人物、性格や人となりの好ましい人物を指す語。らしい。だからなんだ?そんなのその人の好みと主観じゃないか。いい人っていい事をする人じゃ無いのか?余計わからなくなった。
辞書は当てにならない。どうするかな。
僕は友達に僕がいい人か聞いてみる事にした。

二学期。秋。僕は秋が一番好きだ。授業の合間の空白の時間。彼女は休憩スペースのベンチに座っている。紅葉したもみじに黒髪のボブとカフェオレが良く映えている。
「おっす!」彼女のつむじに話しかける。
彼女が顔をあげる。「おっす!お疲れ!」記念すべき大学の友達1号はいつもと変わらなぬ黒髪ボブでこちらを見ている。今日も彼女の黒髪ボブはザ・ニュートラル。
「ねぇ、僕っていい人かな?」
自然を装って不自然になる。
「どうしたの?急に。」
優しい間で聞き返される。こういう時彼女はちゃかしたりしない。そういう人なのだ。
「昔ある人達に言われた事があるんだ。性格が悪い。捻くれている。父親に人の心を持ってないって言われた事もある。どう思う?」それなりに勇気のいる告白だった。それだけに今日何を食べたかを聞く様に尋ねた。
「そんなふうには見えない。あなたは悪い人にはなれないよ。」
彼女は真面目に答える。まっすぐ。僕を見て。何かが救われた気がした。
彼女の言葉は思った事をそのまま言っている様にそこには何の他意も感じられない。さすが、【ザ・ニュートラル】お礼にまたカフェオレを奢りたくなる。
「ありがとう。」僕は自然に感謝を伝える。
彼女はそれ以上何も聞いてこない。そこに居心地の良さを覚える。彼女の空気感は秋の気温にとても合っている。過ごしやすい黒髪ボブだ。
そうか。そうか。なれないか。なぜだかいい人だと言われるよりも嬉しかった。怖かったのだな僕は。父の様になるのが。
彼女の言葉を確かめてみようと思う。
これから先いろんな場面で。

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