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栗原炭鉱

戦前&戦中&戦後の、徴用工の問題で
(徴用工の開始、1939年、日本の第二次大戦1941~1945年)
強制だった&強制ではなかった
人種差別があった&人種差別はなかった

などの、0か100の極端な意見ばかりだが
勿論そんな訳はない(それこそ不自然)
ネガティブオンリも問題だろうが
ポジティブばかりというのもおかしい

1990年代初め頃だったかの
元栗原鉱山の日本人鉱夫達のラジオでの座談会の
内容を、記憶のままに書いてみようと思う

この番組は、かなり反響があり、何度か再放送や
追加の内容を放送していたと記憶

炭鉱名は覚えていないが、栗原の鉱山鉱夫達
岩手の鉱山鉱夫達も加わった座談会だと記憶

朝鮮人鉱夫達は、縄で後ろ手に縛られて連れて来られたので
募集&応募で来たのではない感じだった

朝鮮人鉱夫達には、住居もスペースも用意されず
仕方がないので彼らは、鉱山から徒歩で30分程
離れた所にスペースを見付け、そこで
どこからか拾い集めてきた材料で掘っ立て小屋
を作り、そこで寝泊まりしていた

---中には妻帯者もいて(後で呼び寄せた?)
子供がいる鉱夫達もいた
子供達が、学校に通っていたかどうかは覚えていない---

そんなもんなので、冬に大雪が降った時は
潰れてしまい、生き埋めになり
日本人鉱夫達が駆け付けて救助した

そんな事を機に、日本人鉱夫達の抗議で
会社側は、やっと朝鮮人鉱夫達の為の
住居を用意した

日用品などの支給もないので、日本人鉱夫達が
差し入れ&支援した

また、会社側は、坑道の奥の掘削作業を朝鮮人鉱夫達
にのみ作業させ、日本人鉱夫達には、坑道手前の作業
しかさせなかった

それを日本人鉱夫達が問いただすと、会社側は

事故があった場合、賠償金を払わずに済むので
朝鮮人鉱夫達にのみ、採掘作業させる
のだと言ったらしい

そしてある時、坑内落盤事故が起き、掘削作業の
朝鮮人鉱夫達が生き埋めになった所、会社側は
なんと救助せずに、そのまま生き埋めにしようと
言った
ので

日本人鉱夫達が抗議し、救助作業を行い
朝鮮人鉱夫達は助かった
一緒に働いてる仲間を生き埋めにするとは、なんて事だ
と語っていたのが記憶に残る


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