【映画】空気人形

是枝裕和監督の映画「空気人形」を観た。ラブドールが心を持ったら…という話であり、明確なストーリーが有るとは思えなかったが、考えさせられる1作であった。

以下、ネタバレを含みます。

キーワードは代替可能性かなと思った。主人公は心を持ったラブドールであるが、彼女は心を持った後にラブドールの持ち主から離れていく。しかし、持ち主はまた新しいラブドールを購入する。その意味で、主人公は代替可能な、a ラブドールであったわけである。

持ち主もまた代替可能な存在として描かれている。持ち主はどこかの店でアルバイトをしているようだが、あまりうまくいっていない様子。挙げ句、「お前の代わりなんていくらでもいるんだよ」というようなことを言われる。代替可能な存在なんだろう。

主人公のラブドールが「私は空っぽ」と言うと、他の者は自らが人間であるにも関わらず「私も」と言う。ここで言う「空っぽ」というのは、単に空気でできているか否かを意味するのだろうか。それとも、代替可能な無個性の存在としての空っぽを意味するのだろうか。

派手なストーリーは最後ぐらいしかないという印象であったが、興味深い作品であった。

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