『鬱病』のテンション…。
うつ病を長くやっていると、自分の心の上下を自分でも客観視できる時がある。
勿論病気の程度で個人差は有るが、世間の人が思うほど「今直ぐにでも死にたい」等とのべつ思っているわけでは無い。これは結構誤解されやすいのだが。普通の時は結構普通なのだ。健常者と変わらないぐらい。傍目には分からないほど、普通に会話も出来るのだ(神経は使ってるけど)。
ただ、その健常者とのやり取りで話が上手く噛み合わないと『自分の伝え方が悪いのか…』と気持ちが下がってしまう事は実際多い。相手に僅かでも病への理解が有ればよいが、此方とて看板を持ってたすき掛けして歩いているわけではないので、相手側は分からないだろう。「そのぐらい分かれよ!」と心の中で強く思ってもエスパーじゃないんだから無理なのは当然。『いえ、いいんです…。』で会話は終わる。
こんな時ほど、この病の厄介さを呪うことは無い。普通に他人と「分かり合えない辛さ」は、腹にこたえるボディブローの様な痛みだ。それほど重要な話でなくても、いや、それほど重要な話じゃないからこそ後々まで余計に堪えるのだ。ほんの些細なことでも己と健常者の間に、谷底のように深い溝がある事を(考えたくなくても)感じてしまうからなのだろう。
全く逆に、噛み合ってなかった会話が偶然、最終的に一致すると、これは笑ってしまう程気分が上がる。まぁ相手からすれば些細なカン違いくらいのことでも、結果が繋がるのは何より嬉しいのだ。こんな事は滅多に無いが、その日一日良い気分で居られる。
『人の心の難しさよ…』と纏めてしまえば話は簡単だが、病を背負っていると、その上下はかなり敏感で繊細な部分なのだ。急に怒り出したり笑い出したりしない分、心の中の情緒が大きく動くので、健常者の方よりも精神的疲労やストレスは当然溜まりやすい。
でも、これをお読みの方々の周りでも、俗に『お天気屋』と言われるようなわかり易く機嫌の変わる方がいらっしゃると思うが、アレはアレで疲れないのかなと、病を持つ者でも不思議に見える。普通に外へ発散出来ていることが羨ましくもある。ま、周りの方にはお気の毒だが。
話が逸れたが、投薬を受けていれば、日々の暮らしで突然ドーンと気分が落っこちるような事は滅多に無いのだが、逆に薬効で《傍から見ればボ〜ッとしている様にしか見えない時》が有るらしい(これは自覚症状が無い時も有るので、明確に自分では分からないが)。自覚できる症状は《一時的せよ集中力が途切れる時》がある事だ。『精神疾患(うつ病)』と呼ばれる身上で「生きにくい…」と一番強く感じるのはこうした部分だ。
《「うつ病」患者の就労》
一時的にせよ集中力が途切れるのは、業務の作業効率にも影響する。
この病を背負ったまま生きていくには、この部分を克服する必要がある。ただ、克服と言っても「一切症状として傍から認知されない」様にするのは恐らく無理だから、周囲の方々の理解無くしては成り立たない。
以前にも書いた昔の職場では全くの無理解で、それが『とっとと辞めてくれ』の一番の根拠にされた。
今現在も無職で苦しんでいるが、昔よりも薬に慣れてきてそうした状態になることは殆ど無いと、自分では信じているけれど…。
「精神疾患患者の就労支援」を謳う企業やそのCMは今鬱陶しいほど多いけれど、その内情は《限りなく怪しい》 ものが多い。
誰も《腫れ物に触る様な》対応を望んでいるのでは無い。病に対する理解を持って欲しいだけなのだ。それを甘え、驕りと断じられてしまうと、行き着く先は「死」しか無くなってしまう。
世の中の理解を得ることの何と難しいことか…、いつもの堂々巡りを繰り返し、何千、何万と繰り返してきた溜め息を今日も吐きながら、答えは風に舞っている。