コトバムシ その5
すぐに落下の衝撃に身構える。だが、それはいつまでたっても襲ってこなかった。
「あ、あれ?飛んでる!?」
はるか下に、無数の赤い星が見えた。なんと、ぼくはリーダーの乗った大きなコトバムシに吊り上げられて、城の上空を飛んでいたのだ。
コトバムシの上から手が伸びてきて、首根っこをつかまれた。ぐいっと、ものすごい力で引き上げられる。
コトバムシの背には、例の金髪の女の人がいた。近くで見ると、どことなく高貴な顔立ちだった。
「偽りのコトバばかり歌うウタイビトよ。おまえたちのせいで、どれだけ人間が堕落したか知っているのか!」
偽りのコトバって。そりゃあぼくは今までさんざんくだらない歌を作ってきたけど、さっきのは心の奥から出てきたコトバを使ったんだ。いや、それよりも今はそんなことじゃない。
「君は誰なんだ!?何でこんなことをやっているんだ」
「私はラジャ。人を本来の姿に戻すもの。コトバを人の手に取り戻すもの」
「とにかく、コトバムシを操るのはやめるんだ」
「操っているのは、おまえたちの方だ。偽りのコトバでコトバムシを操り、人を操って、偽りの歴史を信じ込ませる!」
「さっきから、偽り、偽りって、なんなんだ。失われたコトバか知らないけど、コトバムシは大人しい、無害な虫だ。それをこんなふうに凶暴化させて、悪いと思わないのか!」
ラジャは、にやっと笑って言った。
「失われたコトバだと?学習する意欲がなければ、どんなコトバも失われて当然だ。真実の歴史を知ろうとしなければ、コトバの言いなりになって生きるだけだ。偽りの神話を信じ込み、コトバに操られた結果が、おまえたちウタイビトのくだらない歌だ」
「偽りの神話?あの神話が間違っているっていうのか」
あれはコトバムシの成り立ちを示したものだ。それが偽りだとすると…。
「あんたのように、人々を、上から与えられたコトバを使い、自分で考える力を失い、コトバムシの顔色をうかがって生きるようにさせるために、初代コトノハ王が、古代の科学技術を使って生み出した人工生物。それがコトバムシよ。人が作り出したものに人が支配される。こんな愚かなことがあって?」
コトノハ王がコトバムシを作った?神が創った生き物じゃなかったのか?
「知ってか知らずか知らないけれど、あんたたちウタイビトのやっていることは、いたずらにコトバムシを栄えさせ、人類からコトバを奪うこと、そのものなのよ!」
「そんな…!赤いコトバが増えれば、それだけ人の世は平和になるんだ。青いコトバが増えれば、行き着く先は戦乱の世の中だ」
ラジャに反論しながらも、ぼくはヤヤが言っていたコトバを思い出していた。考えることすらできない、話し合うことすらできない。ぼくだって、そうして自分の歌を作れなくなって、コトバムシが気に入るような歌ばかり作るようになったんだ。
「赤いコトバ、青いコトバ。コトバには本来、赤も青もないわ。コトバというのは、それを使う人に委ねられるものよ。ついでだから、教えてあげるわ。私の先祖は、コトノハ王が現れる前からこの地を治めていた王族よ。その人たちが使うコトバには不思議な力があって、コトバだけで物を動かしたり、何もないところから物質を生み出したりする力があった」
えっ、なんだって?それは初代コトノハ王が持っていた力じゃないのか?
「でも彼らは、その力を平和のためだけに使って、決して悪い目的には使わなかったわ。人々は自由な政治のもとで、自由にコトバを使って生活していた。今のように、誰の顔色もうかがうことなく、自分で自分の使うコトバを決めていたわ。でも、そんなある日、一人の科学者が現れた。コトバムシを携えてね」
それは…、その科学者というのは…。
「そのものは、コトバムシを王に献上した。コトバしかエサのいらない、手間のかからないペットとして。だが、本来の目的は、王族だけが使える特別なコトバの力を手に入れること。特別なコトバをコトバムシに吸収させ、自分のものにするつもりだった。最初はね。でも、王の力は強く、特別なコトバを使って、かえってコトバムシをコントロールされてしまった。そこで、その科学者は計画を変えた。コトバムシを改造し、神経系統に混乱をきたさせることによって、どんなコトバによってもコントロールできない状態を作り出した」
それは、もしかして。
「神の罰…」
「そうよ。その科学者、つまり、初代コトノハ王によって引き起こされたコトバムシの暴走。それが神の罰の正体よ」
なんてこったい。初代コトノハ王は、反逆者だったのか。神話では、神の血を引いているということだったのに。
「混乱に乗じて初代コトノハ王はクーデターを起こし、この国を乗っ取った。そしてコトバムシをこの国全土に放った。人々のコトバをコントロールし、人々を支配するためにね」
ラジャのコトバが正しいとすれば、ぼくは今まで偽りの歴史を信じ込まされてきたことになる。
それとも、ぼくは夢を見ているのだろうか?ぼくらは今までコトバムシとともに生きてきた。国に大きな争いがなく、平和が保たれているのは、コトバムシのおかげだ。
でも、あまりに青いコトバを使っているようだと、危険人物だと思われて牢屋に入れられてしまう。
ぼくらは自由に話すことができない。ぼくは自由な歌を作ることができない。さっきのように、もっと、自由に歌いたい。自由なコトバで、コトバを自由に使って。何物にも縛られることなく、誰の顔色もうかがうことなく。
心の奥から出てきたコトバを使って、たとえ誰にも理解されないとしても。
「私は、偽りの支配者を倒し、この地に自由にコトバを使える環境を取り戻す!」
そのとき、どこからともなく歌が聞こえてきた。
ずっと気にしていたよ
本当はどう思ってるの?
嬉しさも 悲しさも
君は全部 飲み込んでしまうから
聞かせて君の本当のコトバ
僕だけ聞いてる君だけのコトバ
無口な君から
はにかみ屋の僕に贈られた
秘密のコトバ
ぼくたちが乗っていたコトバムシは、急に向きを変えると、吸い寄せられるように歌の聞こえる方へと降りていく。
「他にもウタイビトがいたのか!」
いや、この城にウタイビトは、ぼくしかいないはず。ヤヤがやってくれたんだ。さっきのぼくの歌を、コトバイシに録音してくれていたんだ。
上空から見ると、赤い光の点の動きが鈍くなっていくのがわかった。
「ふん、余計なお喋りがすぎたようね!お遊びは終わりよ。この城を一気に落とす!
よしむ ばとこ てべす いはか せくつし!」
失われたコトバの歌で、コトバムシに指示を出すラジャ。だが。
「何をしているの!言うことを聞きなさい!」
ぼくたちの乗ったコトバムシは、狂ったように上下運動を始めると、次には急にその場で旋回を繰り返した。
「わっ、わわっ」
ぼくは振り落とされないように、必死に鞍にしがみつく。
「よしむ ばとこ きつちお さいな!」
ラジャの一声に、安定を取り戻すコトバムシ。かと思うと、一気に上空へのぼっていく。
「ど、どうしたの!?」
「コトバムシの神経系統が、おかしくなってる!」
お次は急降下だ。ギューンと落ちていって、城にぶつかるかと思った寸前、向きを変えて渦を描いた。
渦を描きながら、また上昇していく。他のコトバムシたちも、あとをついてくる。その様子は、まるで赤い竜巻が夜空に吸い込まれていくかのようだった。
「きつちお!きつちお!言うこと聞いてくれない!もう、あんたが変な歌、聞かせるからよ!」
「ぼくのせいじゃないよぉ!」
コトバムシは完全に混乱していた。だとすると、これは本当の…。
神の罰……!
「きゃああ!」
「わあ!」
ぼくとラジャが叫んだのは、同時だった。急にガクンと揺れたコトバムシの動きに、鞍をつかんでいられなくなって、宙に放り出されてしまったのだ。
あ、落ちる。
一瞬、宙に浮かぶような感覚のあと、一気に落ちる感覚がやってきた。まるで地面から手が伸びてきて、ぼくをつかまえるかのように。
思考が止まる。きっとぼくの体は猛スピードで地面に近づいていっている。でも、ぼくの目はまだ上の方にあった。黒い空には、満点の赤い星が光っていた。
ブウン、という風を切る音が乱暴に耳の中を満たした。頭の中も体の中も真っ白のまま、コトバだけが口をついて出た。嘘偽りのないコトバが。そのコトバは高らかに闇を切り裂き、歌うように夜空に尾を引いた。
「助けてーーーーーー!!!」
目がやっと体に追いつくと、ずっと上にあったはずの星たちが、ぼくのまわりを取り囲んでいた。星は手を伸ばせば触れそうなところにあって、赤く光っていた。ブーンという音は、いつまでも耳の中で鳴っていた。
「これは、どういうこと!?」
それがラジャの声だと気づくのに、少し時間がかかった。ぼくたち二人は、無数の赤い星に囲まれていた。それはコトバムシの赤く光った目だった。ぼくらの上にも下にも、コトバムシたちが密集していた。
コトバムシによって作られた球体に包み込まれながら、ぼくらはゆっくりと降りていった。やがて固い地面に着くと、球体は崩れて、力を失ったコトバムシたちがバラバラと地面に落ちていった。
「トト!」
心配そうなヤヤが駆けつけてきた。
「無事だったかい?」
「あ、うん。コトバムシが守ってくれた」
いつのまにか、ラジャはいなくなっていた。
「きっと君の心からのコトバに反応したんだろうね」
あとには、おびただしいコトバムシの死骸が残った。
「コトバムシには悪いことをしたよ。彼らに罪はないのに」
ぼくらは街道を、ゆっくり馬で戻っていた。
あのあと、ヤヤにはすべてを話した。でも、イーディ隊長らには、ラジャの言っていたことは内緒にしておいた。
コトバムシに乗っていたラジャの仲間も、うまく逃げおおせたみたいだった。
ヤヤは今回の件は、偶然が重なったものだとして報告するつもりでいる。
黒化はコトバムシにとって自然な現象であり、何十年かに一度の頻度で発生することが知られている。
今回は、たまたま何百年かに一度の大量黒化と、パロル地方の独立を望む勢力が起こした反乱が重なっただけだということだ。
「そうだね、トト。コトバムシには罪はない。彼らを人々を支配するために使うことがいけないことなんだ」
「ねえ、ヤヤ。君はこれからどうするの?」
「研究を続けるさ」
「またコトバムシが喜ぶコトバを発見するのかい?それをまたぼくが歌にする?」
「研究はそれだけじゃないさ。ぼくは思うんだけど、青いコトバがあること自体は問題じゃない。要は、コトバムシがそれを食べてしまうことがいけないんだろう。人々がどれだけ青いコトバを使ったって、コトバムシが青くならなければ、国家がそれを知ることは難しい。そんなふうにコトバムシを改良していくことも可能じゃないかって」
さすがはヤヤ。考えることが違うなあ。
「それに」
「それに?」
「たとえ黒化したコトバムシであっても、思いを伝えられるコトバがあることもわかったしね」
街道沿いのコトバイシからは、相変わらずのんきな歌が聞こえていた。数匹のコトバムシが、じっとそれに聞き入って赤くなっていた。彼らともっと、親密なコミュニケーションを取ることも可能なんだろうか。
「君こそ、どうするんだい?まさかウタイビトをやめるなんて言い出さないだろうね」
「そうだね」
実はそんな気持ちも少しあった。お城につとめてコトバムシの気に入るだけの歌を作るよりも、旅に出て自由に自分が好きな歌を作ろうかと、そんなことを考えたりした。
「いや、まだウタイビトを続けるよ。君の研究にだって、ぼくが必要だろう」
「そうだね。いつかコトバムシが、本当に人類にとっての友となる、その日が来るために。君みたいな危なっかしいウタイビトが必要だ」
「よしてよ、もう」
アハハハとぼくらは笑った。まったく、冗談じゃない。
「ねえ、ヤヤ」
「なんだい?」
「君は正直、ぼくの歌、どう思う?」
「ひどい歌だ」
「今までのじゃないよ。昨日の歌だよ」
「そうだな」
ヤヤは少し考えて言った。
「やっぱり、ひどい歌だ。お腹ペコペコのときに、ご飯の代わりに聞かされるとしたら」
アハハハハハと、ぼくらは腹がよじれるほど笑った。
「ねえ、ヤヤ。お願いだから、いつまでも正直な感想を言っておくれよ」
「その感想は、次の歌作りにいかされるのかな」
「しない、しない。ぼくはぼくの歌いたい歌を作るだけさ」
また、アハハとぼくらは笑った。
そう、自分のコトバで、自分の心の底から出てくるコトバを使って。それはとても怖いことだけど。
すっかりお腹いっぱいになったコトバムシたちが、気まぐれにブーンと通りすぎていった。