コトバムシ その1
昔々。神の血をひく王さまが、この地を治めていました。
王さまは大変徳の高い人で、人々から尊敬されていました。
人々の間で何か争いごとがあると、王さまが出ていって、それがいけないことを教えさとします。人々は王さまの言うことをよく聞いて、従いました。
それというのも、王さまには、神から授かった力があるからです。
ですが人々の間には、争いごとが絶えませんでした。彼らはすぐに汚いコトバを使いたがったからです。
「ばか」「嫌い」「汚い」「気持ち悪い」「最低」「あっちに行け」「おまえの顔なんか見たくない」
こういうコトバを口にしては、しょっちゅう争いごとをしています。心を痛めた王さまは、神さまに相談しました。どうにかして、人々が平和に暮らせる方法はないだろうか。
そこで神さまは、コトバムシを創って人の世に放つことにしました。
コトバムシとは、人の頭ぐらいの大きさの、羽の生えた、コトバをエサにする虫です。
普段は無色透明ですが、誰かがコトバを口にすると、それを食べて色が変わります。
「好き」「きれい」「美しい」「かわいい」「みんな仲良く」「うれしい」「楽しい」「ありがとう」「ごめんね」
こういったコトバを食べると、体の色が赤く変わります。こういうコトバはコトバムシの栄養になるコトバです。
逆に、汚いコトバを食べると、青くなります。そういったコトバは栄養のないコトバで、そういうコトバばかり食べていると、コトバムシはやがて弱って死んでしまいます。
王さまはコトバムシの体が赤くなるコトバを、赤いコトバと呼んで、人々に積極的に使うようにさせました。
一方でコトバムシが青くなるコトバを、青いコトバと呼んで、使うことを禁止しました。
人々は赤いコトバだけを使うようになり、世の中は平和になりました。王さまは、それを見て満足されました。
コトバムシは神の使いと崇められ、大事にされました。王さまは国の名をコトノハ国と改名し、国旗にコトバムシの図案を入れました。
しかし、平和は長く続きませんでした。人々の中に、こっそり青いコトバを使うものが現れたのです。
死んでしまうコトバムシが多くなり、争いごとが増えました。王さまが出ていって教えさとしても、言うことを聞かなくなりました。
そして、神の罰が下りました。あるとき突然、コトバムシたちが暴走を始めたのです。
真っ黒に変色した、コトバムシの大群が空を覆い尽くしました。
コトバムシは作物や家畜に襲いかかり、すべてを食い尽くしました。中には、人を襲うものまでいました。そうして一昼夜にして、国は焼け野原同然になりました。
コトバムシたちは食べるものを食べ尽くすと、バタバタと地面に落ちて死んでしまいました。
人々は大いに反省し、生き残ったコトバムシを大切に育てることにしました。もう二度と神の罰が下らないようにするために。
これが、この国、コトノハ国に伝わる神話だ。ぼくはトト。この国のウタイビト。ウタイビトというのは、コトバムシの栄養になるようなコトバを使って、歌を作る人のこと。
別に歌じゃなくてもいいんだけれど、一匹一匹のコトバムシにエサをやるのは大変なんだ。
神話の続きによると、数が少なくなったコトバムシを効率的に増やすために、歌によってエサをやるのがいいと、当時の人たちが発見したらしい。
そのおかげで、今じゃそこらじゅうにコトバムシが飛び交っている。昔の人、様様だね。
コトバムシに向かって「ありがとう」「大好き」なんて、赤いコトバをかけたとしても、エサをやれるのは一番近くにいるコトバムシだけだ。
でも、赤いコトバを使って作った歌を聞かせれば、一度に大量のコトバムシにエサをやることができる。だから、ぼくの仕事はこの国になくてはならないものなんだ。
今日もぼくは栄養たっぷりの歌を作る。例えば、こんな感じだ。
空は青く 鳥は歌い
風は爽やか 陽は優しく
手と手を取り合い 明日に向かう
ぼくらはみんな 繋がっている
どうかな?傑作とは言えないけど、いい感じじゃない?
こういう歌を聞かせると、コトバムシは喜ぶんだ。それは彼らが赤くなることでわかる。
ぼくはだいたい、一日に一つの歌を作る。昨日作った歌は、こういう歌だった。
海は青く 山は高く
風は心地よく 太陽暖か
恐れないで 一人じゃないよ
手を繋ごう みんな味方でいるからね
えっ、よく似てるって?それはまあ、ぼくもそう思うけど。
でも、ぼくの身になって考えてもみてほしい。この国には何千何万というコトバムシがいるんだ。人間よりもずっと多い。それに毎日エサをやり続けるというのは並大抵のことじゃない。
だから、まあ、似たような歌が多くなるのは、仕方のないことなんだ。
そりゃあ、ぼくだって芸術家の端くれだよ。もっといろんな歌を作ってみたいさ。自分の心の底から出てきたコトバを使って、自由に歌いたい歌を歌ってみたいと思うこともある。
実を言うと、昔はそういう歌を作っていた。ウタイビトになる前のことだよ。でも、だんだんと作らなくなっていったなあ。だって、コトバムシが食べてくれない歌を作ったって、しょうがないじゃないか。
ぼくが新しい歌を作ると、それはコトバイシという円盤状の石に録音されて、国のあちらこちらに運ばれる。それをコトバムシのいそうなところに持っていって、再生するんだ。
するとしばらくの間、ぼくの作った歌が流れる。もちろん歌っているのはぼくだ。ウタイビトだからね。
コトバムシたちは、ぼくの歌が聞こえてくると、みんなコトバイシのまわりに集まってくる。じっと耳を澄ませて、ぼくの歌に聞き入っている。
それでお腹がいっぱいになると、またどこかに飛んでいってしまう。コトバムシは気まぐれで、人には馴れない。
コトバイシに録音された歌は、毎日一定の間隔を置いて再生される。でも、そのうち使いものにならなくなるから、結局、ぼくは毎日一つずつ歌を作っている。
この国にはぼくみたいなウタイビトが何人もいて、みんな歌作りにいそしんでいる。
ぼくはなるべく子どもたちが覚えやすいような歌にすることを心がけている。コトバイシから流れてくる歌を覚えて、近くの子どもたちが口ずさんでくれるようにね。
そうすれば、ぼくたちウタイビトが歌を作れないときでも、コトバムシにエサをあげることができる。
ただ、コトバムシもあんまり同じエサばかりやっていると、食べてくれないときがあるから、できるだけいつも新しい歌を作っておく必要がある。
この国の平和はコトバムシによって保たれていると言ってもいい。彼らが赤くなっていれば、それは人々が平和なコトバを使って平和に暮らしているということだ。
反対に青くなっていると、要注意だよ。近くに悪いコトバを使っている人がいるということだから。
もしかしたら、国を滅ぼそうなんていう、恐ろしいことを話し合っているのかもしれない。
そういうときは、すぐにお城から兵隊が出ていって、取り締まるんだ。
だから君も、青いコトバは使わない方がいい。下手したら、反逆者と思われて牢屋に入れられてしまうよ。
さて、説明はこのくらいにして、ごはんでも食べようかな。ぼくたちはコトバだけでは生きていけないからね。
ウタイビトはお城で働いているんだ。例の神さまの血を引く王さま、初代コトノハ王が建てたお城だよ。
ウタイビト専用のエリアがあって、そこで各人に一部屋ずつ割り当てられている。みんなと同じ部屋で歌を作ることはできないからね。集中して仕事に取り組める環境が必要なんだ。
ごはんはお城の食堂で食べる。今日はもう一仕事終えたから、これからお昼を食べて、あとは自由に過ごそう。
ウタイビトの中には、夜にならないと仕事ができないなんて人もいるけど、ぼくは朝に仕事をする。
その方が爽やかな気分で歌作りができるし、赤いコトバも出てきやすい。
「やあ、ヤヤ。元気かい」
食堂に着くと、友達のヤヤがいた。ヤヤもこれからお昼ごはんなんだ。
ヤヤはコトバムシ学者で、コトバムシの研究をしている。コトバムシの生態を研究して、どんなコトバを与えたときにどんな影響があるか、とかいったことを研究している。
ときどき新しく効果があるコトバが発見されると、ぼくたちウタイビトにもそのコトバが書かれた紙が回ってくる。
逆に、今まで効果があるとされていたコトバが、研究の結果、そうでもなかったことがわかると、それも回ってくる。
それを見て、あ、このコトバはもう使わない方がいいな、とか、今度はこのコトバを使おう、とかやる。
ぼくたちウタイビトは、いつも最新のコトバムシ研究の成果を参考にしながら、歌を作るんだ。
ヤヤは浮かない顔をしていた。
「ああ、トトか」
「あいかわらずだね。また難問に頭を悩ませているのかい」
「うん」
コトバムシ研究には、未だ解明されていない最大の謎がある。神の罰と言われる現象についてだ。
どうして突然、真っ黒に変色したコトバムシが現れたのか。どうして普段コトバしか口にしない彼らが、家畜や作物を食い荒らし、さらには人間まで襲うようになったのか。
それがそのときだけ新種のコトバムシが現れたのか、それとも従来のコトバムシが突然変異を起こしたのか、それすらわかっていない。
「あんまり悩まない方がいいよ。神話なんていうものは、所詮物語なんだから」
「それが、そうでもないかもしれない」
「どういうこと?」
ヤヤの顔は、いつになく深刻そうだった。ヤヤは聞かれてはまずいといったように、ぼくに顔を近づけて言った。
「実はね、ここ最近、黒いコトバムシが目撃されているんだ」
「なんだって!?」
ぼくは思わず身を乗り出した。
「シーッ、声が大きいよ。まだ公にできないことなんだ」
「ごめん」
何が起きたんだ、とこっちを見てくる人に、なんでもないといったように笑顔を振りまく。
「落ち着いて聞いてほしい。実はそういった目撃情報は、これまでもごくたまにあったんだ。何十年かに一度だけど、そういう記録が残っている」
「え、そうなの?全然知らなかった」
「ぼくたち研究者だけが知っていることだよ。それはコトバムシにとって自然な現象だと考えられている」
「コトバムシはコトバをエサにしているだけの、大人しい虫じゃなかったの?」
「普段はそうだよ。でも突然、黒くなって凶暴化することがある。ぼくたち研究者はこれを黒化と呼んでいるけど。ただ、それはめったにないし、記録によると局地的に黒いコトバムシが発生して家畜や作物を食い荒らしたんだけど、すぐに収まって死んでしまったみたいだ。神話にあるような、神の罰と呼ばれるほどの大規模なものは、有史以来一度も起こっていない」
「な、なあんだ、おどかさないでよ。もう、びっくりしたじゃないか。神話というのはきっと大袈裟に言っているんだよ。コトバムシにはそういうときがあるから、注意しなさいという意味も込めてね」
ぼくは自分を安心させるように言った。でも、ヤヤは深刻そうな顔のままだった。
「違うのかい?」
「うん。ここ最近、それがよく起こっているんだ。君もラング地方で起きた暴動のことは知っているだろう」
「軍が出ていって鎮圧したやつだね。大きな反乱にならなくてよかったけど」
「実はあれは、コトバムシの暴走だったんだ」
「えっ、なんだって!?」
「シーッ、落ち着いて!最近、ラング地方を中心としてコトバムシの黒化が多数報告されていたんだ。最初は小規模なもので、すぐに収まっていた。これは天変地異か何かの前触れではないかと思われて、ぼくたちの中から調査隊が派遣された。ところがだんだん規模が大きくなっていき、とうとう大掛かりなものになって、軍が出動したというわけさ」
「じゃあ、軍とコトバムシが戦ったのかい?」
「いや、軍が到着したときには、コトバムシはすでに全滅していたんだ。ラング地方はほとんどが砂漠だから、食べるものがなかったのだろう。あちこちに黒化したコトバムシの死骸が散らばって、それはそれは無残なものだったみたいだよ。おそらくあそこのコトバムシは、ほとんど死に絶えてしまっただろうと思われる」
「なんてこったい、かわいそうに。コトバムシは人類の友なのに」
「そう思わない人たちもいるよ」
「どういうこと?」
「ぼくたちはコトバムシが赤くなるか青くなるかで、コトバ使いを決めているだろう」
「それの何がいけないっていうの?コトバムシが赤くなるコトバを使ってさえいれば、平和は保たれるし、人間関係も良好だ。もしこの世からコトバムシが消えてしまえば、また神話にあるようにコトバが乱れ、国が乱れてしまうよ」
「それが嫌だという人たちもいるんだ。自分が使うコトバは自分で決めたいという人もいる。コトバムシにコトバをコントロールされたくはないという人たちが」
「コントロール?その人たちはどうかしてるよ。コトバがコントロールされなくては、世の中はうまくいかないよ。あっちこっちで争いばかりになる」
「それは君の言うとおりだ。でも、これはあくまで研究者としての意見なんだけど」
と、ヤヤは声をひそめた。
「考えることすらできない、話し合うことすらできない、というのはどうかな。ぼくたちはもう長いこと、コトバムシの顔色をうかがいながら暮らしている。今ではもう、青いコトバを使う人たちも少なくなった。それとともに、多くのコトバが失われてしまった」
「青いコトバなんて、失われたってかまわないじゃないか」
ぼくも声を小さくした。ヤヤは首を左右に振った。
「青いコトバだけじゃない。その昔は、もっといろんなコトバがあったらしい。その中には、初代コトノハ王が使っていたコトバも含まれるという。ほら、神話には人々の間で争いごとがあると、王さまが出ていって教えさとしたとあるよね。実はそういうとき、王さまは特別なコトバを使っていたという説もあるんだ。そのコトバは、それを聞いた相手をそのとおりに従わせる不思議な力があったという。ぼくたち研究者は、そういったものも含めて、現代に伝わっていないコトバを、失われたコトバと呼んでいる」
「失われたコトバ…」
ぼくはしばらく考え込んでしまった。ぼくもウタイビトだ。コトバには人一倍敏感なつもりだ。
失われたコトバか。いったいどういうものなのだろう。がぜん、興味がわいてきた。もし歌作りにいかせるものなら…。
「ねえ、トト。ぼくはしばらく旅に出る。調査旅行だ。今度はパロル地方で黒化したコトバムシが発見された。その調査にぼくが向かうことになった」
そう聞いたとき、ぼくは間髪入れずに返事をしていた。失われたコトバ。この響きに、何かロマンのようなものを感じていたのかもしれない。
「ヤヤ、ぼくも連れてってくれないか」
ヤヤは驚いたような顔をしていた。
「連れてくって、君、何日もかかるよ。君の仕事はどうするんだい」
「あんな歌、誰が作ったって一緒さ。ぼくも飽き飽きしていたんだ」
うまくいけば失われたコトバを使って歌が作れるかもしれない。久しぶりにぼくの中で、芸術的野心というものが、ふつふつとわきあがってくるのを感じた。