鉱山つながり
高田渡の「鉱夫の祈り」。この映像音源は「Best Live高田渡」二枚組に収録されている音源で、97年の録音。
大好きだった酒をやめ見違えるほど元気になり当然ステージも見違えるばかりになった頃のキャリアを代表する素晴らしいアルバムである。子供でマルチ弦楽器奏者の高田漣は売れっ子のミュージシャン。
アルバムには石原吉郎、山之口獏、マリー・ローランサン(堀口大学訳)、黒田三郎、ラングストン・ヒューズ(木島始訳)、木山 捷平しょうへいなどの詩に高田が曲をつけた楽曲も歌われている。
田川律によるライナーノートから⇒
また彼ほど言行一致、いや歌う歌と暮らしが一致している男はいない。まさに真のシンガー・ソング・ライター、吟遊詩人だ。その意味では彼はボブ・ディランの子どもではなくウディ・ガスリーの子どもだ。
列車にただのりはしないが、精神的には立派なホーボー(Hobo米で不景気な時代に働きながら方々を渡り歩いた移動労働者)である。~~あの60年代70年代の時代の洗礼を受けてそれをそのまま生活にしてしまったのは、歌手では渡ちゃんだけだ、といえるだろう。まさに「食えないジジイ」だからこそできることだ。どの世界でもホンモノは本人がそういうのではない。ただ生きているだけなのだ。
生前に一度だけライブをみたことがあり。「鉱夫の祈りがききたいっ」と叫び声を届けたら、なにも言わずに数曲後に歌ってくれて。
鉱山つながりで、「ストーニーエンド」ローラ・ニーロ。
ヘレン・メリルが伯母でピアノのセールスマンでジャズトランぺッターだった父とクラッシックに造詣の深かった母と恵まれた環境で育つ。幼い頃からいつも自分のピアノに向かい部屋いっぱいにイマジネーションをふくらませ、若かりし頃、流行りのポップソングの歌詞を作り変えて歌い楽しむのもひそやかな楽しみとしていた。
ドラムがとてもいいんだよねっハル・ブレインが叩きそうな。サウンドと残響もよくってポップなんだなあほんと。
世界屈指のジャズビッグバンドアレンジャーであるマリア・シュナイダーがインタビューで、若い頃によく聴いていたアーチストは?について彼女の名前を挙げている。(ふたりの名を答えたのだったと思うが、もうひとりはドニー・フリッツだったような。ハース・マルティネスのような括りの名前だったので。そこは記憶あいまい)
ストーニーエンド日本語訳
わたしは愛によって生まれ
あわれな母は鉱山で働いた
わたしはイエスの聖書を読んで大きくなった
行間を読み取るまでにね
もう私は朝を迎えたいだなんて思わない
石のような(冷たい残酷なこわばり無表情な)終局への落下の道
残酷な終局へは落ちてゆきたくなかったのに
ママ わたしをやり直させて
わたしを寝かせあやして
ママ わたしを抱いて もう一度
わたしは彼を憶えている
目に愛の光をたたえた彼を
でもその光は揺れそうして散ってしまったの
日が昇るときのようにね
もう私は朝を迎えたいだなんて思わない
石のような終局への落下の道
残酷な終局へは落ちてゆきたくはなかったのに
ママ わたしをやり直させて
わたしを寝かせあやして
ママ わたしを抱いて もう一度
天気予報なんて気にしないわ
もう空の秩序は乱れてしまったんだもの
激しい怒りと雷が鳴り響く
荒れ狂ったこころに相応しいように
もう私は朝を迎えたいだなんて思わない