見出し画像

初めての短編小説① : 生焼けの鶏胸肉


僕は都内の大学に通う大学二年生だ。高三の夏まで遊び呆けており、勉強にはあまり身が入っていなかった。夏が終わって初めて受験を意識するようになった。

僕は東京での一人暮らしに憧れていた。一刻も早く、島根の狭い実家暮らしから抜け出したかった。実家はあまり裕福ではなかったが、兄弟もいなかったので子供一人を東京で一人暮らしさせてあげられるだけのお金はあった。

しかし流石に東京の私立大学となると経済的な負担が大きすぎる為、親には

「東京に行きたいならせめて国立大学にしておくれ」

と頼まれた。なので夏以降必死に受験勉強をして何とか東京の国立大学に入った。

東京での一人暮らし生活も、はや二年が経過した。初めは狭く感じていた、僕が住む学生マンションの部屋に対しても、慣れてきて何も感じなくなった。一年生の頃は、朝は食べず昼は学食、夜は外食かインスタント食品で済ませるという生活を繰り返しており、自炊の「じ」の字も知らなかった。知ろうという気も無かった。

二年生になり、自炊を全くしないのは良くないと思い始め、少しずつ自炊をするようになっていった。ある日、筋肉をつける為に効果的な食材をネットで調べていた。筋肉をつけたらモテる、とどこかで耳にしたのだ。あるサイトに、「鶏胸肉」は高タンパク質である且つ経済的にも優しいと書いてあった。僕は

「今晩は鶏胸肉を食べよう」

と思い、大学の授業終わりに近くのスーパーへ寄った。

スーパーの肉売場を訪れ、お目当ての鶏胸肉を発見した。どれも値段もサイズもバラバラで、どれを買えばいいのか見当もつかなかった。実家暮らしの時は物の値段なんて気にしたことが無かったが、一人暮らしを始めてドケチになってしまった僕は躊躇なく一番安い鶏胸肉を手に取った。

家に帰るや否や、ネットで 

'' 一人暮らし 鶏胸肉 簡単レシピ ''

と検索した。家に調味料があまり無かったので、出来るだけ少ない材料で作れる鶏胸肉のレシピを探し、一つだけ良さげなものを見つけた。

早速レシピに従い調理を始めた。フライパンの上に買ってきた鶏胸肉を乗せ、塩胡椒を振った。肉を柔らかくする為に酒が必要だったが、無かったので生姜とハチミツで代用した。そして蓋をして弱火で七分間焼いた後、蓋を外し強火で一分焼いた。包丁で食べやすいサイズに切り、遂に完成した。

芳ばしい香りと肉肉しい見た目が、以前実家で食べた鶏肉の記憶を海馬から呼び起こし、脳が唾液核に指令をした。そのせいで涎が止まらない。

たまらず食らいついた。少し生姜とハチミツの味がきつい気がしたが、美味しかった。テレビを見ながら、さっき炊いた白米と一緒に食べた。

「ん?何だこれ?」

テレビ画面には、とある生物学に関するニュースが映っていた。それは、近年、世界的に菌や細菌の生命力や知能が急激に高まっているというものだ。そのニュース番組にゲスト出演していた細菌学者によると、コロナウイルス対策により消毒液の使用が増えたせいで、菌や細菌がその致命的な環境に適応しようと変異しているらしい。

「なんか怖いなあ」

少し恐怖を感じたが、そろそろ好きなアニメが始まる時間である事を思い出し、すぐリモコンを手に取りチャンネルを変えた。もうニュースのことなんて微塵も頭に残っていない。

鶏胸肉を半分食べたあたりで、恐ろしい事に気がついた。鶏胸肉の内側が生焼けの状態だったのだ。テレビに夢中になっており全く気付かなかった。鶏肉と豚肉はしっかり中まで火を通さないといけないと聞いた事があったので、一気に血の気が引いた。急いでスマホを手に取り、

''  鶏肉 生焼け 食べた ''

と検索した。生の鶏肉はカンピロバクターなどの菌で汚染されており、生焼けの鶏肉を食べてしまうと食中毒を起こす事がある、ということを幾つかのサイトを見て知った。

「やべぇ、やっちまったよ...」

つい心の中の焦りが声となって出てしまった。明日は必修の授業があり、よりによって出席が必須の授業が二つもある。明後日も同様に、休んではいけない授業がある。休むと成績に響いてくる。より高いGPAを獲得し、成績優秀者限定の給付奨学金を狙っていた僕にとってはかなりの痛手だ。

食べかけの鶏胸肉は冷蔵庫に戻し、シャワーを浴び、寝床に入った。ベッドの上で目を瞑りながら、食中毒になりませんようにと、心の中で何度も祈った。

昨晩の祈りも虚しく、激しい腹痛によるモーニングコールが僕を目覚めさせた。痛みのせいで動くのも辛く、何もする気が起こらなかった。流石にこの状態では大学に行って授業を受けるなんて無理だ。

そんなことより、頭が痛い。今まで感じたことのない痛みだ。それに、意識が朦朧としてきた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

彼は意識を失い、床に倒れ込んだ。そして30分後、ゆっくり起き上がった。

『ス....ヤ......フマカ..........ナ』

訳の分からない事を呟きながら、彼は側に置いてあったノートパソコンを開け、noteのアプリを開いた。そして、

'' フライパンで焼くだけ! 簡単に作れる鶏胸肉料理 ''

という題名で、彼は黙々と調理方法についての記事を書き始めた。一つの記事が完成したら、別の鶏胸肉料理についての記事も書き始めた。

アカウントを五つに増やし、自らを ''専業主婦'' や ''料理人'' と偽りながら次々と鶏胸肉料理の調理方法の記事を書いて行った。

Xや他のSNSでも自作の鶏胸肉の調理法を書き込んだ。更に、日本語だけでなく英語や中国語に翻訳した記事も作った。

これらの記事の中の、鶏胸肉の加熱時間は全て、正常な加熱時間よりもかなり短かった。つまり、これらの記事を見て記事の調理法通りに作ったら、生焼けになる確率がかなり高くなるのだ!こんなものを食べたら皆、食中毒になってしまう。

もう既に彼は彼ではなくなっていた。彼の脳はカンピロバクターによって蝕まれ、操られていた。

カンピロバクターが人間の脳を蝕み、意識を操作する事なんてあり得ない。いや、あり得なかった。今までは。

近年の、菌や細菌の生命力・知能の急激な向上は、これらの事を可能にするまでになっていたのだ。

彼の脳を蝕んだカンピロバクターの目的は仲間を増やす事だった。

そして、彼は自室に引きこもりSNSで 
"   生焼け " の鶏胸肉の調理法を世界に広め、ひたすらカンピロバクター食中毒の患者を増やすマシーンと化していた。

もしかしたら彼が最初に見た、鶏胸肉の調理法の記事も、菌に脳を支配された人間が書いた記事だったのかもしれない。


ーーーーーー数年後ーーーーーーーー


続いてのニュースです。ここ数年で世界的に、食中毒の患者数が急増しています。現在、原因の究明が急ピッチで進められています。また、一部の患者には、日常会話が出来なくなり、自室に引きこもりがちになるという症状が見られています。未知のウイルスの可能性もあるので、皆様どうかお気をつけ下さい。





いいなと思ったら応援しよう!