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人のため。

昨日の投稿でハルハルで思い出した事。


私の人生は

人の為に生きてきた。

でも、それは全て自分へとかえってきている。
良い事も悪い事も全て。

全てが学びだとそう受け止めていけるようになるにはまだまだ時間はかかりそうだ。


生きてきた中で
人を支える為にとしてきた事が多いけど
頼まれ事とか。
今思い返してみればパパもそうだったなぁと
思っている。
【ほっとけない】のだろう。わかる。

呼ばれれば日本の端から端まで移動しながら。

娘の私をほっといても全国各地を飛び回る。
忘れた頃にしれっと帰ってくる。
知らない人達を引き連れて。
【ほっとけなかった】行く場所のない若者やおじさんを引き連れ、良くしてもお金をもって逃げられたり。
そんな姿を幼少期から嫌ってほど見てきたのに
なぜだろうか。
パパが大好きというやつ笑。

私も人に助けられ支えられ守られて今も生きているがいつの頃からか、それも負担に感じてしまう事があった。
お世話をしてもらったから裏切るわけにはいかない。いやでもノーは言えない。

人と人との縁で私はパパと生きていたら
到達できないような経験をさせてもらってきた。

20歳の頃メンタルが病み、日本から離れハワイに少し休養をしに行った。東京の父と母のお陰でその時間も滞在費も与えてもらった。
大事な友人家族に頼まれ、パリに少しだけ娘といた事もある。
韓国にも20代後半は少しいた事もある。

東京の父の仕事で一緒に海外に連れていってもらっていた事も度々あった。


全て携帯電話📱がなければ何も出来ない。

ある国にいたとき
英語でも話さないので何を言っているのかわからなかった。
人助けで決心して行ったけど
日本から1人、その地にいたが
全ての人に受け入れてもらえるわけでもなく
上部だけで良い人を演じ、周りが居なくなれば
受け入れられない人達は一斉に母国語で私に話かけてきた。話かけたというよりは
投げかけてきてみんなが笑っている。
という光景だった。

知らぬが仏。

わざわざその投げつけられた言葉を調べてしまう必要もないように感じた私は敢えてわからないまま過ごした。
それをいい事に何も言わない笑って過ごす私に
毎日、同じ言葉を投げかけ笑っていた。
さすがにここまで言われると覚える。
調べたらそれはそれは酷い言葉だった。
意味を知ってしまった私は滞在期間までの時間をどう過ごそうか試行錯誤した。

頼んできた知人たちはまだ来ない。
sosも出せない。
部屋に引き篭もるようになった。
日本人ってわかるとバカにするからだ。
買い物もきちんと出来ず、必要なものも買えず
。何とかやり過ごそうと自分なりに過ごしたが
ふとある日、自分の髪の毛がごっそり抜けたのだ。
その恐怖に毎日、生きていくのが怖くなった。

【私は一体、どーなっているのだろう】
なんでこんな思いしてるの。

自分の姿が自分じゃなくなっていく恐怖。
周りに【気持ち悪い】と言われ。
【誰のせいだよ】と心で悪態ついても
あっちも日本語がわからないのだ。
それでも私は日本語で相手に酷い言葉は言わなかった。
自分がそれで辛い思いを今してるのだから。
そしてそれをしたら同じだと思った。
そんな人間にはならないと、その人達をみながら思ったのだから。

何とか、ニット帽を買ってそれを被って外出したりするようになった。
でもオシャレもできない。
どうにもならない。肌もガサガサになっていった。

知人たちがくるのをひたすら待って。

ようやくsosを出せた。

その時の安堵感は忘れてないよ。

暫くはその国もその国の人達を怖くて名前を出されるだけで涙がでた。

今は全くだけど。

その人達がたまたまそうだっただけで
全てが悪いわけじゃない。

それすらも学びで
人間として成長するのか。
しんどいなぁ。

と思い出したハルハル笑

メンタルを乗り越えるのも
自分自身と周りの理解が必要だよね。


Omiのこの曲流れてきた。

君はありのままでいい。

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