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幸せの定義

美しいものに囲まれて

美味しい食事をいただいて

ワクワクするような出会いを

沢山経験すること。

私が存在することで、笑顔になる人が居ること。

心許せる 友人がいて

お腹の中を見せ会える人がいて

人生の一瞬一瞬に感動していて

楽しみを中心に生きること。

それが、私が2013年に定義した幸せの光景。

正解や不正解など無いとしても

私にとって 美しさは正義、

それは変わらない。

毎日が新鮮であってほしいし、

人と人が化学反応を起こした瞬間の感動ったら
無い。

美しさは、

五感が満たされる という

身体が無ければ

感じることが出来ない美しさと

思想や哲学など、

その人が生きるを通して魅せてくれる
美しさがあるけれど

美しさに触れて 感動していたいと思っている。

そういう意味で

美しさは 魂にとって

死活問題だと思う。

美しくあるためには

余力が必要なんだと思う

余力を生み出すには?

全部を一人でやろうとしなくてもいい

得意なことを担当すればいい

美しく在るためには

反応が必要だ。

それは

誰かの視線かもしれないし

それは心の琴線に触れるような出会いによって
もたらされるかもしれない。

どちらにせよ

人が人と出会えば 反応が起きるのだ。

私は 反応をハーモニーという形で
おこしたいと思うから

自分の色や音色を探っている。

自分の 脳味噌が 高速に動くとき歓びを感じる。

ノロノロとした

予測できるような
動きではなく

歩幅を合わせるような動きではなく

お互いがお互いに

今 この瞬間に 「気づき」を掴んでいくような

引き出しあうような 会話に興奮する。

静かでも 深く しっかりと 反応が起きるのは

内面の対話をしっかりしてきたから
できること。

それって 脳や魂が とても 歓ぶこと。

歳上だとか歳下だとか 関係なく

手加減なく対等に、

内面や本質を観て 付き合ってくれる人が
いることが財産だなと

ありがたく思う最近。


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