ジョエルについて
最近、ラストオブアスパート2をやり直しました。
そこで2周目で初めて感じたことを書いていきます。
あくまでも一個人が思っただけのこと、文章をろくに書いたことのない人間が書く文なので何言ってんだこの人とか、脳みそホコリで出来てるんじゃないのとか思って読んでいただけたらと思います。
ここからはネタバレ注意です。
ここからネタバレ
題名にあるとおりジョエルのことなんですが、ジョエルは果たして本当に悲惨な最後だったんだろうかという話です。
まぁ確かに死に方はかなり酷い死に方でした。
初見時には作者さんどうなってんの?と言いたくなりました。
1周目をクリアした時でもその考えは固まったままでした。
ですが2周目をやった時、最後のジョエルとエリーの最後の会話のシーンを見たときにこう思いました。
ジョエルはもしかしたら悲しい最後ではなかったんじゃないだろうか
そう思ったのはジョエルがエリーに「もし神様がもう一度チャンスをくれたとしても同じことをする」
と言いエリーはそれに「それについては許せない、
でも許したいとは思ってる」と返した時、ジョエルの顔をよく見ると泣きそうになってます。
ていうかもう泣いてます。
ジョエルがラストオブアスのシリーズの中で泣いてる姿が描写されたのは2回です。
前作の冒頭、死にゆくサラを抱きながら泣いているシーン
そして2のラストの回想シーン
この2つです。
人間は感情豊かな生きものです。
泣くという行為にも様々な感情が現れます。
そしてジョエルの涙にも前作と今作では感情が全く違います。
前作の涙は喪失や絶望が混じった負の涙だと思います。
そして今作の涙は救いや希望などの陽の涙だと思います。
真実を告白してからの2年間はエリーにとっても、
そしてジョエルにとっても辛かったんだと思います。
そんなモヤモヤした毎日の決着をつけてくれたのがあの会話でした。
その次の日には二人で映画を見る予定でそこから徐々にお互いのモヤモヤをきれいにしていくはずでしたが、ジョエルは殺されてしまいます。
殺されてしまって後のエリーとの日々が奪われてしまったのは確かですが、ジョエル自身もきっとろくな最後じゃないと思っていたでしょう。
でもエリーとの関係がこじれたまま最後を迎えるのは嫌だなぁとも感じていたと思います。
そしてその関係が最後の会話で一歩進んだだけでもエリーとの楽しい未来が待ってる希望を得られたと思います。
そう考えると死に方は最悪でもラストの回想シーンを見るとジョエルの死は決して見放された死ではなかったんじゃないかと思います。
このゲームはラストの回想シーンが全てだと思います。
あのシーンがなければエリーがアビーを見逃した理由やラストのエリーがどこかに去っていくシーンの意味などが全くわからなくなってしまうかもしれなかった
ジョエルがただただ死んだ復讐の動機に使われただけになっていた
そもそも続編を作る意味が分からなくなっていたと思います。
あのシーンがあったからこそこのゲームがラストオブアスの続編である意味を持てたと思います。
最後に
このゲームは賛否真っ二つなゲームです。
このゲームはゴミだと言う人もいれば、傑作と言う人もいます。
僕はどちらの意見も正しいと思います。
ですが、このゲームを分からないなんてお前はバカだとかこのゲームを傑作とか言ってるのは意識高いアホばっかりと意見の違う他人を口撃する人がちらほらいます。
ゲームは映画や音楽と同じでアートだと思います。
そして人間にはそれぞれ感性があります。
みんなこれはクソゲーだとかひどい映画とか言ってる中、自分はすごい楽しめたんだとなるのはよくあることです。
アートは勝敗ではなくその人の心の重量を良くも悪くも重くすることが役目だと思います。薬みたいなものです、合う合わないは人それぞれです。
だからその人の感性などを否定して人間性までも否定するのは薬が頼りになっている患者さんから薬をむりやり奪うみたいなことです。
その人の個性を殺すのです。
そして周りに流されていってしまう
その人が面白かったというのだからそれでいいじゃないかと思います。
頭の中ではどう思おうが構いませんが、言葉に出すのはどうかと思います。
長くなってしまいましたが、こんなひどい文章をここまで読んでいただきありがとうございます。
さようなら
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