2022.4.15 空也上人
東京国立博物館で開催していた特別展『空也上人と六波羅蜜寺』に行ってきた。
この日、上野は曇天だった。
雨がぽつぽつと降っていた。
平日はガランとしているのかと思いきや、意外にも結構な人が並んでおり、15分くらい待ってから入場した。祝日に来なくて良かった。
空也上人を見たいと思ったのは、栗原康の『死してなお踊れ』を読んだから。
鎌倉時代に踊念仏を広めた時宗の開祖・一遍の生涯が熱量たっぷりハチャメチャに描かれている。この本のあとがきに、空也上人像の話があった。
栗原さんは京都の六波羅蜜寺で空也上人像を目の当たりにしたとき、そのインパクトに落涙したと言っていて、どんなものか私も見てみたくなった。
今度京都の六波羅蜜寺へ行ってみようと思っていたところに、向こうから東京にやって来てくれたのはラッキーだった。
鎌倉時代に踊念仏を広めたのは一遍だが、平安時代に踊念仏をはじめたのは空也である。
とにかく踊って踊って踊りまくって極楽浄土を願う。
チケットを見せて中に入ると、空也像の周りには人だかりができていたので、遠目でもあそこに空也上人がいるのだなとすぐにわかった。
思っていたよりもずっと小柄だった。
目がうるうるしているのが印象的だった。博物館の薄い光が目の切れ込みに溜まって、溢れる。
首からチンドン屋みたいな太鼓を下げ、右手にばちを、左手には鹿の角を刺した杖を持っていた。
ふくらはぎは引き締まり、草履は履き潰されていた。
彼には、主体と客体の境界を溶かす力がある。
時間が経過していく中で、私が彼を見ているのか、私が彼に見られているのか、わからなくなった。