ふっ、と煙のように
従姉妹の祖父が亡くなった知らせが届いた。
毎年、夏休みは従姉妹の家へ遊びに行っていた。
従姉妹の家から近いこともあって、何度か、従兄弟の祖父の家へお邪魔させてもらっていた。
ふくよかで背も高く、眼鏡をかけていて、紙の煙草を吸う、やわらかい雰囲気を持った人だったと思う。
子供たちがボードゲームに夢中になってるのを、少し離れたところから目を細めて、見守るような方だったからだろうか、あまり会話をした記憶がない。
数年前にその方の奥さんが亡くなった。
何かの病気で、声を出せなくなって、ジェスチャーと頷きと微笑みで会話をしていたが、彼女をその状態にした病魔で亡くなったと記憶している。
その病気になる前、きっと、私は彼女と話をしたことがあるはずだがまるで記憶がない。
話した回数の少なさなのか、声が出せなくなったことがそれまでの記憶を消すくらいの衝撃だったのか、彼女と話をした時の私があまりに幼かったのか、きっと全部が重なって、記憶が消えたのだろう。
知らせを聞いて、一番に思ったのは、お世話になったなあ、だった。
次に思ったのは、「ふっと、亡くなるのだな」だった。
鋏で切った時、テレビを消した時の「ぷつり」ではなく、「ふっ」とを思い浮かべた、その言葉がでてきた。
彼の象徴が煙だったからだろう。
煙のように、まだうっすらとその残り香のように彼が残っているように感じたからだろう。
私と彼の距離が煙のようだったからだろう。
人はいつか死んでいくのだなと、久しぶりに感じた日だった。
そして、関係値が浅い人間の記憶から徐々に消えていく。
煙はまだ残っている