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vol.021|「リベラル・アーツ」とは

こんにちは、りーのすけです。

先日、国際教養大学・教養学部を卒業しましたが、私にとって「リベラル・アーツ」とは何かについて言及しておきたいと思います。


私にとって「リベラル・アーツ」とは、

いろんな学問の扉を開く「鍵」と一つの物事をいろんな観点からみる「メガネ」を持つこと

だと思っています。

鍵について

議論を基盤とした授業や、広く浅く学問を学ぶことでいろんな世界が開けるのだと確信しています。

確かに、長い時間をかけて一つのことを学んで来た人や習得して来た人には敵わないこともあるかと思います。

例えば、4年間会計をみっちり勉強してきた人と一学期会計をかじった私は絶対的に知識量が違うし、同じ仕事はできない。決して学問に限った話ではなくて、例えば馬に一回乗ったことがあるだけでは競技として馬に乗ってきた人とは戦えない。

でも、会計や乗馬についてのちょっとした知識や経験があると、共通の話題ができるんです。

馬に乗ったことがある経験が、馬に乗っている人との会話の切り口になったりするわけです。

メガネについて

まず教養で得た鍵を使っていろんな扉を開いたら、今度は一つの物事をいろんなメガネで見ることができるのだと私は思っています。

例えば、環境科学。

環境化学について学ぶと、地形の話や生物の話にもなったりするわけです。大気汚染がどのようにおきていて、今まではこうで現状はこうだ〜、
生き物はこのように進化を遂げて今の環境ではこのように生きている〜、という具合に。

でも、実は環境汚染って貧困も絡んでいたりするわけです。
お金が必要だから、密漁・密猟・密林をする人たちがいる。
それが環境破壊、そして環境汚染に繋がっていることもある。

貧困だけじゃない。
経済学とも絡んでいて、会社がよく行なっている「社会的活動」というのは環境汚染や環境破壊を未然に防ぐまたは進行の速度を落とすためということかもしれない。でもそれって表向きの口実であって本当は社会的活動をすることによってお金を名声を得たり、支持率をあげて利益を生んでいるのではないかという疑問が生まれたりするわけです。

こういう感じ。

貧困というキーワードは、経済学でも社会学でも登場する。
環境破壊・環境汚染というキーワードは生物学、科学だけではなく経済学、社会学、といろんなところで登場する。

とにかく、リベラル・アーツっていうのは、一つのことをいろんな観点から、いろんな角度からみる力を養うのです。

専門性を極めるのは、リベラル・アーツという教育を経てからでいいと思います。いろんな経験をしたり知識を得たりするという意味では日常生活でもある程度はできるけれど、リベラル・アーツを通して学ぶ「考え方」については難しい。

だから中嶋嶺雄学長は「リベラル・アーツ」の大学を作ったのだと思います。(著書にも書いてありました)


締め方が悪いけれど、今回はこんな感じで。

私にとっての「リベラル・アーツ」に言及しましたが、人それぞれの定義があってもいいものだと思っています。なんせ、リベラル、自由なのだから。

もしかしたら、自分なりの定義を見つけることも「リベラル・アーツ」教育の一つなのかもしれませんね。


りーのすけ
29.03.19

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