沼の淵。【出会い①】
彼と出会ったのはある秋の終わり。
暖冬のせいか、もうすぐ12月だというのに軽装でも十分だった。
たまたま彼が昔住んでいた場所と、私が結婚前に住んでいた場所が近くだった。
お互いの土地勘が一致した場所のカフェでお茶でもしようと話した。
お互い会ったこともない、今までの人生で一度も接点が無い人なのだから。
もし、話が合わなくたって、記憶に残す必要もない。お互いに興味がなくても、友達になることもなく日常に戻っていくだけだから。軽い気持ちでお茶でもしようかとなった。
いわゆる、出会い系アプリというやつがきっかけだった。
しかし、ヤルが目的ではない、表向きは「お友達を作れるかも」アプリである。
不純異性交遊は禁止されている。『ヤるなら個人の責任でね!うちはトラブっても知らないんだからね!?!??』って都合のいい解釈のアプリだと思う。潔くない悪あがきアプリ。
私は実年齢よりサバを読んでいた。三十路の女性にはよくあることだと思う。
本当は10才も歳上なのに、彼は5歳か6歳程度上だと認識していたはずだった。
まだ20代の彼にとっては10歳も6歳も対して変わらないだろうと都合よく考えた。
しかも、三十路の人妻って分かってて会うんだから、そんなの問題ないだろうと訳のわからない言い訳で自分を納得させていた。
彼に最初に話しかけられたとき、何度か遊んでた大学生との束の間のアバンチュールが終焉を迎えようとしていたところだった。だから、誰かに愚痴りたかった。そんな時話しかけてきてのが彼だった。出会い系のアプリで先に出会った別の男の話をするのだから、相当悪趣味だと思う。
アプリには色んな男性がいる。きっと私が想像する何倍も悪意を持った人も存在するんだろう。だから私なりの牽制だったし、別に自分の愚痴を誰かが聞いてくれたらそれで満足だった。
でも、そのハードルを越えてきたのが彼だった。
会うまでに1度電話で話した。
彼は綺麗な関東弁と、俗に言うイケボというやつだった。声がカッコイイ。
予想に反したキャラで、会う前にから軽率にときめいてしまった。
でも、会わないとわからない。こんな少しの会話で相手が自分にとっての王子様かどうかなんてわからない。期待して痛い目に会うのは分かってる。声がカッコイイのは認めるよ。
でも、でも、でも。期待はしてないよ。会ってがっかりするのは慣れてるんだ。少しの期待と抑制。それを反芻させて、そんな事を考えていた。
当日。待ち合わせの場所に、彼より先についた。
彼がどの方向から来るかわからない。
遠くからすでに私のこと見てるかもしれない。
何度経験してもこの、初対面の緊張はなれないだろうなと感じながら彼が来るのを待った。
「リィさん?」
そうやってよそ見をしていた私に悪戯っぽくぶつかってきた人が彼だった。
初対面の印象は『すごくデレデレしてる』だった。
彼は全身全霊でデレデレしてた。
普段からやたら、にこやかな人って確かにいる。そのタイプなんだろうか?
正直、ここまでニヤニヤしてると、怪しい人なんだろうか?って思うくらいデレデレしていた。
初対面の緊張もあり、挨拶もそこそこにお互いが知ってるカフェに足を運んだ。
彼がランチした?
そう聞いてきたから、まだって答えた。じゃあ、お茶の前にランチしようかとなった。
彼とはお茶をちょっとするが約束だったのに、早速ランチが追加された。
対面に座った彼はずっとデレデレしていた。さらに落ち着かないのかソワソワもしてた。
注文したご飯が目の前に並んでも、彼のデレデレは止まらず、とにかく彼は食べるのが遅かった。
当たり障りのない会話をした後、彼が我慢の限界だったのか「ちょっと散歩しません?お店出て他のとこでお茶しましょう」と提案してきた。
ランチの後にそのままお茶を同じ店で済ますものだと思ったから、予想外の展開に少し驚いた。
知ってる場所を、知らない人と歩く。
特殊な状況はそれはそれで良かった。
彼と歩いている時、すごく視線を感じる。
彼の方を見ると視線を外すのに、私が他に視線を外すと顔をガン見しているのがわかった。
流石にこの頃には、彼が出会った瞬間からずっと挙動不審だったのがなぜなのか理解していた。
後に彼から出会った瞬間の話を聞いた時。
「好みのタイプ過ぎて、リイハの事が一目惚れだった」そう語っている。
彼の行動はわかり易すぎて、えらく気に入られたんだなぁ。そう心に中で感じていた。
でも、私はこの時点では『10歳年下の男性にすごく気に入られた』その認識でしかなかった。『私もこの人のことが好きかも』まではなっていなかった。
お茶をしようと入ったお店で、ケーキとスパークリングワインを飲んだ。
お茶のつもりでランチになり、そのまま茶のつもりが散歩になり、ついにはお茶の予定がお酒とケーキになって、全部が予想外の展開だった。
お酒とケーキが運ばれてるのを待っている間に、彼が急に核心に触れてきた。
「りぃさんの名前教えてよ」
彼はずっと顔を見てるときはデレデレしていた。
デレデレしながら本名を知りたいと言い出した。
この先仲良くなる可能性のある人にしか本名は教えてなかった。
彼は、これからも会いたいって意味で言ってるんだなというのはニュアンスで分かった。
正直動揺した。今ここでこのタイミングで自分の個人情報を彼に晒して大丈夫なのか?流石にまだ早くないか…。
ただ、彼のデレデレした顔を見ていたら、きっと悪い人はないのだろう。そう感じて少し心を許していた。
「り・・りいは」
「そっか。リイハさんか」
ずーっとデレデレの彼は、その後もずっとデレデレしていた。
他愛もない話をする中で二度目の核心に彼が触れた。
「でも俺、他にもリイハさんの秘密知ってるんだよ」
「え?」
彼が一層ニヤニヤしてた。
「リイハさん、本当の年齢違うよね?」
「…(ん????え????!?は????」
「本当は俺の10個上でしょ」
脳天に稲妻が突き刺さった瞬間だった。
20代の独身の彼には三十路の人妻が何歳でも関係ないは、私の勝手な解釈だった。
彼は私の少ない情報の中から、実年齢を計算してはじき出してた。
そこから、驚くくらい二人の関係が急接近することになった。
今思えば、この二度目の核心に彼が触れた時、彼が私の特別な人に格上げされた瞬間だったのかもしれない。