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春日五大龍神めぐり 辰年の締めくくり

辰年も終わりに近づいたので、春日大社の『五大龍神めぐり』の話で締めくくりたいと思います。



参拝したのは、7月の話。

⓪夫婦大黒社にて受付


初穂料を払って祈願符を受け取り、お願い事・氏名を書く。
あとは祈願符を手に持ちながら、地図通りに五か所をお参りする。

①まずは金龍神社から

  御祭神:金龍大神

昨年、金の狛龍が新しくされてイヤに金ぴかなのが気になる。
いかにも金儲けの神様かと思いきや、
金龍神社は後醍醐天皇に由緒を発する長い歴史を持つ。

南北朝時代、後醍醐天皇が笠置潜幸の途中に立ち寄られ、宮中の御鏡を1枚奉納された。それから宮中の名称である禁裏から禁裏殿と呼ばれた。

かつては天皇のしるしは龍であり、そこに春日龍神信仰とが重なって、金龍神社として創建された。

開発・開拓を発展させ、金運をもたらす御神徳あり。
(やっぱり、金運の神様やった!)


②次は龍王珠石

  御祭神:善女龍王

奥の院道と呼ばれる一番山側に近い道を行くと紀伊神社に着く。
その手前にあるのが、龍王珠石。
龍王の強い霊力を持つ尾珠が収められているところらしい。

八大龍王の三番目である娑伽羅龍王の第三王女である善女龍王、最近めっちゃ遭遇する。

猿沢池に住んでいた善女龍王が春日大社経由で室生龍穴神社へと飛んだという話は、前に書いた。↓

「日本における龍神信仰の起点は善女龍王である」と書いてある。
なるほど、それであちこちでお見かけするのね。

この「奥の院道」、とても気持ちがいい。
インバウンドでごった返す本殿あたりと違って、ここまで来る人も少ない。
春日山原生林と同じ叢生が点在し、手軽に神聖な空間を味わえる。

③そして、鳴雷神社(香山龍王社)

  御祭神:天水分神(春日龍神)

道を本殿の方へ戻り、若宮の前を通り過ぎて御間道。
正式には、(鳴雷神社)遥拝所である。
鳴雷神社とは…

神山春日山の水源地に御鎮座され、奈良時代はもとより平安京遷都後も宮中の水神として大切に祀られていた。御社殿から階段を下ったところには龍王池があり、神様はそこで春日龍神様へと化身された。この池はどんな干ばつの時にも多くの水をたたえている。

能にもなった日本を代表する春日龍神様のおられる龍王池、ここから境内各所や猿沢池へと遷られ、人々の願いを叶え幸せへと導くために強い霊力を発せられている。

春日大社HP

頭がこんがらかってきた。

整理すると、

春日山の奥にある龍王池で神様が春日龍神へと化身された。
そこから、猿沢池へと移った。
でも、采女が身を投げて猿沢池が穢れたので、龍王池に戻ろうとした。
途中で春日大社の一の鳥居で休憩した。
その時、尻尾がこそばゆいと言った。

となるか…

④本殿回廊から八雷神社(八龍神社)を参拝

 御祭神:八雷大神(八大龍王)

こちらも(八雷神社)遥拝所となる。
本殿西側の回廊の一番奥から参拝する。

御本殿の鬼門をお守りし、八大龍王の御力により、雷と黒雲を自由に扱う神様。昔、この一帯で日照りが続くと雨乞が行われ、それでも叶わない時は八大龍王へ祈りを捧げた。最後の切り札ね。

奈良は米作りが盛んだったので、雨乞はとても大切な神事だった。

⑤最後は龍王社

  御祭神:龍王大神

元興福寺の祈祷所である安居屋があった場所に最近、再興された。

安居屋には鎮守として春日山山中にある香山龍王社が鎮座されていたが、神仏分離令の時に総宮神社に合祀された。

大変重要な御社であったので、第60次御造替時にこの地に再興されたということらしい。


⑤龍王社


⑥春日龍神(能の演目)

何回も出てくる「春日龍神」という能の演目が気になったので調べてみた。
演目事典によると…

京都、栂尾に庵を結ぶ明恵上人は、入唐渡天(中国、インドに渡り、仏跡を巡ること)を志し、暇乞いのため、奈良の春日大社に参詣します。春日大社で、明恵は一人の神官と思われる老人に出逢います。明恵は老人と言葉を交わし、このたびの参詣が、入唐渡天のための暇乞いであることを明かします。すると老人は明恵に、日本を去ることは神慮に背くことになると言い、引き止めました。明恵が仏跡を拝むためだから、神慮に背くはずがないと反論しますが、老人はさらに引き止めました。今や仏も入滅されて時が経ち、天竺や唐に行くのも御利益があまりないことで、今や春日山が霊鷲山と見なされ、天台山を擬した比叡山があり、五台山になぞらえられる吉野金峰山もある、というように日本に仏跡と見なされる場所がたくさんあって、仏教も広まっている、と他国に行く必要のないことを強調します。ここまで言われて、明恵も心を改め、これを神託と受け止めて、入唐渡天を思いとどまりました。老人は、入唐渡天をやめるならば、三笠山に天竺を移して摩耶(釈迦の母)のもとでの誕生から仏陀伽耶での成道、霊鷲山での説法、沙羅双樹の林での入滅まで、釈尊の一生を見せようと告げ、神託を授けに来た時風秀行という者だと言って消えていきました。

神託の霊験はあらたかであり、早くも光が射し、春日野の野山は。あたり一面、金色の輝く世界となりました。草も木も仏に変わる不思議な光景が現れたのです。そこに龍神が姿を見せました。釈尊の説法を聞こうとやってきた八大龍王が、眷属を引き連れて法華の会座に座りました。そのほか多くの神々も現れ、同じく会座に座りました。やがて龍女が舞を舞い、三笠山では釈尊の一生が映じられ、明恵も入唐渡天をすっかり思いとどまりました。どれだけ尋ねようとも、この上はないと、そう言って龍女が南へ去ると、龍神は猿沢池に飛び入り、消え去りました。

the 能.com 演目事典から


春日大社と言えば鹿と藤を思い浮かべるが、龍神とも深い関係があった。

それは、春日山が平城京の水源地であったからだろう。
農耕には水が欠かせないので、雨を降らせる雷や黒雲に神を感じて龍神として崇めた。

私は辰年生まれでもなく、特別に龍が好きでもなかったけど、今年は龍についてよく学ぶことになった。

さて来年は巳年。
次は大神神社か…

知らない事を知るのは楽しい。
点と点がつながって線になる楽しさ。

ではまた来年もよろしくお願いします。

#龍神
#春日大社
#春日五大龍神めぐり
#善女龍王
#春日龍神

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