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家族-火事の事

あれは確か僕がもうすぐ18歳になる頃だったかな。

当時、うちの家族(父母僕弟)は横浜市の某区に一軒家を借りていた。
おふくろと親父はまだ離婚しておらず、なんとか夫婦を保っていた時だった。

一軒家と言っても平屋の小さな家で、部屋も少なく僕と弟は同じ部屋で寝起きしていた。

その部屋で、僕が寝ていた場所の左側には大きな窓があり、家族の中で僕が1番早く太陽に照らされる場所だった。

ある日の夜、いつもよく寝る時間に寝た僕は、寝返りをした時に少しだけ目が開いて、窓が視界に入り、小さなオレンジ色の光がぼんやり映っていたので朝焼けだと思った。

“なんだもう朝か、なんか早いな”

と思って、寝た感が全くない気だるさを覚えながら、本当に朝か?という思いで起きて少し窓を開けると、目に入ってきたのは、眩しく爽やかな太陽の光じゃなく、2軒向こうの家が燃え始めていた炎の明かりで、僕が寝てから1時間か2時間後のことだった。

僕はびっくりして、親が寝てる部屋に行き

「火事だ!火事!」

と寝てる親父とおふくろに大声で言い、その後、弟も起こした。
(親父は起きてから、喋る度にずっと九州弁だったけど標準語に変える)

親父は布団から出て、部屋とキッチンを見回し、

「火事?どこが燃えてるんだよ?どこも燃えないぞ。寝ぼけるな」

と言ったので僕は

「うちじゃねーよ!そこの家だよ!」

と窓を指差すと親父はびっくり顔で、ぱっくり口を半分開けたまま窓を見ていた。

おふくろも起きて窓を見て、“あららら!”と言って、弟は親父と同じように口をぱっくり開けて黙って窓に寄って外を見ていた。

親父はオロオロしながらも服を着始め、おふくろは寝間着のまま御本尊をお巻きし袱紗に収めていた。

僕も弟も服を着ながら窓の向こうに揺れる炎をチラチラ見ていた。

おふくろが「うちまで火がくるかわからないけど、とりあえず外に出るからね」と言い、親父も頷いていた。

僕と弟が服を着終わった頃、
親父が部屋に入ってきて

「早く大事な物を持って外に出ろ!」

と言ったので、僕は、コンポの脇に並べていた数十枚のLPレコードをスポーツバッグに入れ始めた。

すると入れてる最中に、いきなり親父は僕の頭を後ろからバコーン!と引っ叩いた。

僕は親父を見上げ
「痛てーな!」と言うと

「お前は何をしてんだよ!大事な物って言ったら、銀行の通帳とか服だろが!何を考えてんだよ!こんな時にレコードなんか!このバカが」
と怒った。(九州弁が炸裂)

あの時の僕にとって、大事な物は確かに音楽、つまりレコードだった。あの頃は自暴自棄っぽかったし、自分の将来や命がそれほど大事なものとは思えてなかったのだから仕方ない。

僕ら家族はそれぞれ大事な物を持って外に出て、路地を少し歩き道路に出ると、近所の人達も外に出てきていてざわついていた。

僕ら家族が外に出る間に、2軒先の家から、僕の家側の隣のアパートに引火したようで煙がアパートの玄関から少しだけ出ていた。

引火したアパートは2階建ての古い木造アパートで、共同炊事場、共同トイレ、玄関の向こうに中廊下を挟んで部屋が並ぶという、昭和時代にはよくあった集合住宅だった。

やっと消防車のサイレンの音が遠くから聞こえた時、近所に住むおふくろと同年代のような婦人部員さんがおふくろに声をかけた。

「そこのアパートに住むAさんがまだ避難してないようなんですが!Aさんの部屋真っ暗で!辺りを見てもいないし、寝たままかもしれない。消防車がもう少しで来そうですけど心配。」

Aさんは高齢の婦人部員さんで、そのアパートに一人で暮らしていた方だった。

おふくろはキョロキョロしながら僕に言った。

「家から風呂に残ってる水をバケツいっぱいに入れて持ってきて」

「おふくろ!バケツリレーじゃ消えるわけないじゃん、消防車も今来るよ」

「いいから!早く!」

僕は家に戻って浴室に行き、バケツで浴槽に残っていた水を満タンに掬い、おふくろの元へ持って行った。

僕はバケツを持ちながら、まさか!と思ったが、黙っておふくろに渡した。

すると、おふくろはバケツの水を頭からジャバっとかぶり、親父に向かって

「部員さんがアパートの中にいるから助けてくる。消防車が来るまで待てない」

「大丈夫か!もう煙出てるぞ」

さっき話しかけた婦人部員さんも、危ないからやめた方がいいですよと言ったが、おふくろは毅然と

「人が生きるか死ぬかって時に関係ないの!」

僕はおふくろに、俺が行くよと言ったが、「勝手がわからないお前が行ったらケガをする」

おふくろはそう言って、アパートの中に入って行った。

まだアパートは引火したばかりで、2階から大きな煙が出てただけで、1階は少しだけ煙が出ていた状況だった。

僕の“まさか”は当たったが、それよりもこの時は、おふくろが心配で、僕と弟と親父はアパートの玄関の奥をずっと見ていた。

おふくろが中に入って5分ほどした時に消防車が到着した。
そして、僕は消防士に「うちのおふくろがアパートから避難してない人を助けに行ったんです!」と言った後すぐに、アパートの玄関から、Aさんを背負ったおふくろが出てきた。

おふくろは消防士からAさん共々にケガはないか聞かれ、自販機のそばに腰をおろし、Aさんは目に涙を溜めておふくろに、すみませんね、ありがとう、と言い、おふくろは笑顔で息を切らしながら黙ってAさんを見ていた。

僕ら家族は消防士に促され、少し離れた場所で消火活動を見ていた。

アパートの玄関からは、先ほどより多くの煙が出始めていた。

すると今度は違う消防士がやってきて、消火活動を見ている人達に向かって、「そこのアパートの隣に住んでる方いますか?一軒家です!いますか?」

と言い、親父が
「うちの家ですけど」と言った。

「すいません!ちょっとこちらに来てもらえますか」

と言われ親父は消防車の近くに連れていかれた。

親父が話を終えて帰ってくると、
おふくろは「何を言われた?」と聞き、親父は残念そうに

「風向きがうちの家の方だから、消火活動はしてるけど、きっとうちの家は引火して燃えるかもしれないって言ってたよ。大事な物は持って来てますかと聞かれたから、持って出てますと言った」

おふくろも残念そうな顔して、
僕も弟もそれを聞いてガックリした。

そのうちにおふくろは、公衆電話で隣町に住む叔父や叔母に連絡していた。

それからおふくろは消火活動を見ながら小さな声で真剣に題目を唱えていた。僕も親父も弟もおふくろの題目の声を聞いて、一緒に小さな声で題目を唱えた。

最初に燃え始めた家はほとんど全焼、アパートは半分も燃えようとした頃、叔父や叔母がやってきた。

みんなで消火活動を見ながら、もうあれじゃうちもダメだなと僕が思っていた時だった。

消防士がやって来て
「風向きが急に変わりました!まだ安心できませんが、お宅はもしかしたら大丈夫かもしれません、火も収まりそうなので。しかし、風向きがこんなに急に変わるなんて不思議です、運がいい」
と1番前に立っていたおふくろに言った。

おふくろは安心したのか、消防員の言葉をきいた途端に涙を溜めて
「あらーっ!功徳だよ功徳!こんなこと!良かった!」
と言って僕や弟の背中を叩いた。

アパートも鎮火して消防士から許可が出たので、僕ら家族と叔父や叔母は家に入り、みんなでお茶を飲みながら改めて喜んだ。

予めうちに引火しないよう、消防士のポンプ隊はうちの外壁に水をかけていたようで、台所の窓から入った水で家の中も少しだけ濡れていた。

助けられたAさんは、おふくろが助けに行った時、寝ていたようで、おふくろが起こして背負って出てきたということで、Aさんは息子さん夫婦のとこへタクシーで行った。

そして親父が、僕のレコードの話を熱く呆れ顔で叔父や叔母にしだして、叔父や叔母は笑っていた。

すると叔父が
「若い者は、いつでも楽しみが大事なんだよな。仕方ないよ」と九州弁で言って僕を笑いながら見ていた。

僕のレコードのことは、その後、親戚が集まると暫く語り草だったが、おふくろが勇敢に部員さんを助けた話が出てくることはなかった。

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