爪痕

 雪で塗りつぶされた大地が、春の日差しを浴びて色を取り戻そうとしている。木々を覆いつくしていた白い雪は、すでに色のない水に変わり、ほとんどが姿を消していた。広大な景色の一方の端には針葉樹の森が果てしなく続き、もう一方の端には岩山の断崖が天を衝いている。ぽつりぽつりと解け残った雪は灰色の岩肌に紛れながら、朝日を跳ね返すことで控えめに存在を主張していた。そんな無彩色の隆起の中腹、山の表面が削れたくぼ地に、半球形に枯れ枝と枯葉を編み込んで作った鳥の巣があった。

01

 巣には2羽の雛鳥と1羽の親鳥の姿があった。雛とはいえ、その毛の大部分はもう柔らかな雛鳥のものではなく、彼らと親鳥の違いはうなじにわずかに残る温かそうな産毛だけであった。
 そんな大人びた佇まいの雛たちであるが、飛翔は目下練習中のようである。少し羽ばたいて飛び上がっては、自分の頭の高さも飛べないまま巣に落ちてきていた。
 親鳥は巣の縁に立ち、雛の様子を静かに見守っていた。
 何度目か、あるいは何十度目か、片方の雛の羽が空気を捕まえることに成功し、今まで飛べなかった高さまで体を持ち上げた。親鳥は身を捩って首を伸ばし、自身のうなじを雛に差し出した。

02

 差し出されたうなじは、鳥というには少し変わった質感を持っていた。そこには羽毛が全く生えず、蛇の鱗のような皮膚に覆われているのである。
 雛はそんな親鳥のつるりとした首に躊躇いなく2本の鉤爪を食い込ませて飛び乗った。親鳥は自分の首に雛の体重がしっかりのしかかっていることを確かめると、そのまま自分の首を上に振り上げ雛を投げ上げた。雛は親鳥の首の力に乗ってさらに羽ばたき、ゆっくりと巣の中に着地した。
 ほんの瞬きの間ではあったが、雛にとってはそれが初めての飛翔であった。

03

 空気を捕まえるコツを覚えた雛の飛翔訓練は、親の首を借りてより高く飛び上がる練習に移った。
 巣の中で羽ばたいて親のうなじを掴み、首の力を借りて高度を上げて巣に着地する、そんなことを昼まで繰り返したころ。何度も繰り返した動きをなぞって雛はうなじに軽く着地したが、親鳥はそこで動きを止めた。
 雛は飛び上がる準備をしていただけに拍子抜けを食らい、よたよたとその場で足踏みをした。
 突然、親鳥は大きく両翼を羽ばたかせて空に舞い上がった。雛の飛翔とは比べるべくもない、大気を切り裂く躍動であった。
 あっという間に親鳥は高度を上げて、雛とともに森の上、空の真ん中に移動し、そこで羽の動きを変えて器用に空中に留まった。雛にとって、それが初めての空だった。周囲には親鳥のうなじを除いて自分を支えてくれるものは何もない。自然と鉤爪に力が入り、鱗のような皮膚に食い込んだ。

04

 親鳥はその場に体をとどめたまま、軽く首を振り雛に飛ぶように促した。
 雛はその期待に応えようと体を動かすが、翼の動きに足が連動しておらず、不器用にバランスを崩しては一層強くうなじにしがみつくのであった。
 そんな挑戦ともいえない動きを七度ほど繰り返しされたあと。親鳥の動きが俄かに変化した。それまでは軽く首を振って飛翔を促すだけだったのが、ゆっくりと上下の運動を繰り返すようになった。
 規則的な動きはすぐに雛の小さな体にも伝わり、ほどなく両翼と足のリズムが揃うようになった。
 雛はいよいよ自分が飛び立たなければならないことを理解した。上下の動きに自身の羽ばたきを合わせてタイミングを計る。
 鉤爪がこれ以上ないほど強くうなじを締め付けた。鱗のようになっているとはいえ、柔軟に動く首はそれほど硬いわけではない。親鳥の嘴からは、かすれた呼吸音が漏れ出ていた。
 親鳥は首に力を込め、嘴を引き結び、ひときわ大きく首を上に持ち上げた。

05

 頭上で大きな羽音が響いた。
 振り上げた勢いのまま首を上げると、そこには空を掴んで飛び立つ我が子の姿があった。
 うなじには2本の爪跡が生々しく引かれていが、それを知ることはなかった。

あとがき

この小説はdesigning plus nineアドベントカレンダー4日目の記事です。
アドベントカレンダーは基本的にWeb記事を載せるものだと思うのですが、小説を出してもいいのでしょうか。今さらダメと言われたところで直すつもりはありませんが。
昨日の記事でこのアドベントカレンダーは縛りが緩いといわれていましたが、ここまでくると存在しないというほうが正しそうです。
しかも内容は、架空の生物の観察記風、ジャンルは謎。しいて言えばファンタジーっぽい。あるいは書き手の自己満足独自の世界観を追及しているので純文学……?
web上の文章なんてものは8割方なんの責任もないので、読み手を満足させることは権利であっても義務ではないわけです。
これから執筆する皆さんにはこれくらい自由に、読み手なんて考えずに書けるものを書いてほしいなと思っています。
いい感じに先輩風を吹かせたところで、このままだと本当に内容が謎めいているので少し解説をば。
本作は子の踏み台になることの悦楽をテーマに書きました。
私は現在教育業界で働いているですが、子どもの成長がかかわることに対してどんな痛苦であれ引き受けられるようなマゾヒズムを感じることがしばしばあります。
…………記事を書くよりもよっぽど業の深い自己紹介になってしまったかもしれません。
もう一点、作風としてはメイドインアビスのような物語を創りたいという思いがありました。
メイドインアビスの良さは語り尽くせないほどあるのですが、一つにはよくわからないものがよくわからないまま提示されるという物があるのではないかと思います。
よくわからないからこそ、その存在に対して畏れと期待を抱くことができるのでしょう。

明日からはきっともっとためになる文章が並ぶはずなので、期待し直してお待ちください。


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