病み上がり、フランス菓子
本当だったら、今頃僕は、パティスリーオーサワのカヌレを食べているはずだった。往復30分の道のりを自転車に走らせて、帰りには赤みがかったピンクの紙包みをかごに入れて、家についたら紅茶を淹れる。そんなふうにして、ここ数日の風邪で損した分の満足を取り返しすはずだったのだ。しかしながら今の僕は、体調はそろそろ回復しそうだというのにも関わらず、相変わらずベッドの上で潰れた布団に見をくるんでいる。病み上がりの一口目を何で浪費してしまおうかと決めあぐね、白湯を啜っている。とはいえそれも仕方がない。なにせ緊急事態宣言が出て世では自粛が叫ばれているのだ。こんな、どんな病原菌を抱えているのかもわからない半病人を中目黒の駅前に解き放つわけには行くまい。
僕は3年前に大学入学とともに上京して、駅から少し遠い今の家に住み始めた。それからというもの、オーサワには幾度となく足を運んでいた。僕は大の甘党で、この中目黒駅から少し小道を入ったところにある家族経営のフランス菓子専門店が僕の舌をこれ以上なく満足させたからだった。店長の大沢雄大氏の作り出すスイーツはどれも絶品だ。そして、それらの絶品スイーツの味を150%まで引き出す瞬間というものがある。それが病み上がりだ。生まれつき体が弱い僕は度々風で寝込んだ。寝込んでいる間はレトルトのお粥やらゼリー飲料やらスポーツドリンクやら、とにかく味気のない栄養分しかとりえのないようなものばかりを食べることになる。そのうえ風邪をひいていると舌がバカになる。ただでさえディストピアのような栄養食品たちが湿った灰のようになる。だからこそ僕は小さいころから、病み上がりには決まって大好物を食べるという習慣があった。病み上がりの一口目は、それまでの限界まで地に落ちた分、満足度が数十倍にもなるからだ。空腹は最高のスパイスということわざがあるが、むしろ僕たちは病み上がりは最高のスパイスというべきなのではないだろうか。
そしてこの度の風邪からの復帰を飾るのは、カヌレにしようと決めていた。頭痛とダルさにより回転速度が落ちた脳みそではっきりと、あの口に入れた瞬間に歯に当たるサクッとした焦げ目を、噛むほどにバターの香りとともにほどけていくシフォンを、復調の喜びとともにかみしめようと空想していたのだ。しかし、体調が戻り冷静になってしまえばそれが世相から見て如何に歓迎されない行為であるのかを自覚してしまった。もちろんこんな状況で外出する人もいるのかもしれないが、僕がパティスリーオーサワに迷惑をかけてしまうかもしれない行為に手を出すわけにはいかない。だから僕は、一歩たりともこの家を出ることができないのだ。いずれは空腹に負け、買いだめしておいたくだらないレトルト食品を食べてしまうだろうこともわかってはいる。しかし今は、判断を少しでも先延ばしするために味のしない白湯を胃袋にため込んでいる。本当だったら、今頃僕は、パティスリーオーサワのカヌレを食べているはずだったのに。
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