泡立つ
渋谷の一角にあるその場所は、いつでも芳醇な香りが満ちている。その匂いはまるで、僕のような一見の素人を威圧するかのようだった。それでも彼女のために意を決して某石鹸専門店に足を踏み入れる。店内を満たす香りはますます強く、質量を持って僕を追い立てた。店に入るとすぐに店員の一人が声をかけてきた。物言わぬ匂いと違って、店員の眼差しは僕にここに存在することを許してくれるかのような慈愛に満ちていた。店員の質問に答えていくと、店員が一つのおすすめを持ってきてくれた。「この石鹸はラベンダーをベースにしているので、リラックス効果があるんです」そう言って店員は手元で石鹸と白いネットを擦り始めた。今まで様々な石鹸たちが互いに主張し、カオスが生まれていた空気に、一つの支配的秩序が生じ始めた。擦るほど、徐々にその石鹸の匂いが強まってきた。
どんどん、どんどん匂い立つ。
それと同時に少し紫を帯びた石鹸は体積を増やし、どんどん、どんどん泡立つ。
匂い立つ。泡立つ。匂い立つ。泡立つ。泡立つ。
私にとって風呂は決まって1日の汗とストレスを洗い流す場所だ。シャンプーで埃を落とした髪に、丁寧にコンディショナーを染み込ませながら、私は今日あった嫌なことの一つ一つを思い出していた。電車ですごい勢いでぶつかられたこと。クラスの男子が授業中うるさかったこと。歴史の先生にセクハラまがいのことを言われたこと。雨に濡れたアスファルトに足を取られて尻もちをついた。一つひとつ丁寧思い出していく。コツは、その時の負の感情まで欠かさず思い出すことだ。そうして掘り起こした記憶を、今度はシャワーですべて洗い流せるようにボディタオルに揉みこんでいく。記憶が一つ思い出されるごとに、私の心はさざ波をたてる。
どんどん、どんどん苛立つ。
それと同時にたっぷりとられたボディソープは、どんどん、どんどん泡立つ。
苛立つ。泡立つ。苛立つ。泡立つ。泡立つ。
貧乏旅行だからと言って、ホテルの妥協をするべきではなかった。あるいは、中途半端におしゃれな宿にせず、寝ることだけに特化したようなモーテルにでもすればよかった。なんにせよ、後悔先に立たず。このガサガサした布団の寝心地は変わらない。寝苦しくて寝返りを打つと、さらに不快な感触が肌を撫でる。この布団は、僕が使うことによって現在進行形で劣化しているのではないだろうか。そんな気がするが無意識のうちにまた寝返りを打ってしまった。繊維の一つひとつが顔に、腕に、脛に刺さる。
どんどん、どんどん毛羽立つ。
それと同時に、燻ぶった不快感と眠気は溶け合い、夢と現のはざまで気泡となって泡立つ。
どんどん、どんどん泡立つ。
毛羽立つ。泡立つ。毛羽立つ。泡立つ。泡立つ。
湖で休む水鳥は、リーダーが羽を広げるとと今までの優雅な姿が嘘のようにバタバタと音を立てて水面を蹴った。あっという間に空高く舞い上がり、もうどれが先陣を切ったリーダーかは区別ができない。群れは青い空を大きな翼で押しのけて、ますます高度を上げた。
どんどん、どんどん飛び立つ。
それと同時に青い空に浮かぶ黒い粒は揺らめき、つかず離れずを繰り返して泡立つ。
どんどん、どんどん泡立つ。
飛び立つ。泡立つ。飛び立つ。泡立つ。泡立つ。
コンロの火は鍋を経由して中の水に伝わっていく。そうして、液体の水は水蒸気になり、鍋の外に出て大気に溶けてゆく。
どんどん、どんどん沸き立つ。
それと同時に水面は、どんどん、どんどん泡立つ。
沸き立つ。泡立つ。沸き立つ。泡立つ。泡立つ。
今この時も、どこかで何かが小さく生まれている。それは風に吹かれながら揺らめき、あるいは儚く立ち消え、あるいは誰にも気づかれずに透明になっていき、あるいはそこではないどこかでまた揺蕩う。生まれたものは常に新しい世界に向かっていく。
どんどん、どんどん旅立つ。
それと同時に、また新しいものが生まれこの世界を満たすためにどんどん、どんどん泡立つ。
旅立つ。泡立つ。旅立つ。泡立つ。泡立つ
泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。泡立つ。
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