おまえのD.N.A.が知っている話―リヒャルト・ゲオルグ・シュトラウス "英雄の生涯 作品40"
「英雄の生涯」はリヒャルト・ゲオルグ・シュトラウス(1864-1949)の交響詩。「交響詩」とは音楽を「使って」詩(文学)を表そうという作品ジャンル。今でいう小説やマンガの映画化のようなものと捉えて良いと思います。
本作はこの交響詩という"メディアミックス"の最高のクリエーターであったリヒャルトの最も大規模な作品となります。SF超大作だ。VFXだ。そういうやつです。必要人数は100人を越える大規模オーケストラの圧倒的な音圧の下、馴染みやすい(でもめちゃくちゃ難しい)メロディで模す登場人物描写と楽器配役の匠の技を堪能できます。
シナリオはこういった感じ。
《英雄》第一部
出掛けから低弦とホルンによる圧倒的な上昇音形が聴衆をノックアウト。主人公堂々の登場です。主人公は登場に勿体ぶったりはしない。正攻法で骨太のテーマは間を置かずこれまたゴリゴリの行進へ。このまま勇壮と曲が進むのかというタイミングで突如ストップしカメラが引きます。なんだなんだ何事だ。
《敵》第二部
カメラがパンするとそこへ現れたのはせわしない耳障りな木管楽器たちとテューバのブーイング。《敵》の登場です。上から嘲笑するようなフルートとオーボエ、高音用の短いクラリネット(クラリネットらしからぬすごい甲高い音が出る)と地の底から半音階の粘着質な悪意を振りまく低音セクションに囲まれ英雄は苦しみますが、凱旋のテーマで一喝しその場を切り抜けます。すると…
《伴侶》第三部
戦闘を切り抜けたらロマンスと相場が決まっている。ここでヒロイン登場。優美なヴァイオリンソロが現れます。その美貌に打ちのめされ声も出ない《英雄》がウブでkawaiiであり、これまでとは打って変わった弱弱しい歯切れの悪いテーマによってコミカルに演出されます。それを見てからかうように(超絶技巧で笑)跳ねるヴァイオリン。エスカレートするお姫様。すると《英雄》の怒りを買ってしまいます。お姫様も買い言葉で激昂しますが、すぐに弱々しくなり反省。しおらしく身を寄せると《英雄》もこれを受け入れ、オーケストラ全体が愛のテーマで満たされます。ついに結ばれた二人...しかし、幸せもつかの間、忍び寄る影。
《戦場》第四部
物陰に潜むように《敵》のテーマがちらりと現れると舞台裏からトランペットのファンファーレ。これに英雄も応え戦闘の合図となるスネアドラムの行進が始まると《敵》はトランペットの切り裂くような音に姿を変え、襲いかかります。激しさを増す敵の咆哮(ここは通常の倍以上の5本のトランペットで襲いかかるのですが、まあ壮絶)《英雄》との激しい衝突、シンバルが打ちならされ、それぞれのテーマが細切れとなり乱れ飛びます。
《伴侶》も《英雄》と共にテーマを奏で闘いを共に。強い女性だ...。絡み合う三者の旋律、しかし《英雄》を象るホルンとチェロ、そして《伴侶》たるヴァイオリンも合わさった英雄のテーマのうねりがつんざくような闘いの音楽を次第に圧倒、そして高らかに凱旋のテーマを奏でます。勝った...!そして宿敵のトランペットも壮大な凱歌!オーケストラ全体がハッピーをふりまき大団円...
さて、「交響詩」と銘打ったもののこの作品には文学における「原作」が存在しません。原語を逐語訳するとタイトルは「ある英雄の生涯」とあり、具体的な文学作品の名を指していないのです。ではいったいこれは何を「音楽化」しているのか…それは第五部《業績》まで聴くことで初めて明らかとなります。I am your father...
第五部は闘いに勝利した英雄の回想録…そこに引用されるメロディはこれまでのRシュトラウスの作品群…ドン・ファン、ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら(のだめで出た)、ツァラトゥストラはこう語った(2001年宇宙の旅のやつ)…音楽界を駆け上ってきた自身を象徴するような名旋律のリレー。
つまり「原作」とはRシュトラウスその人。この曲は「自伝」だったのです。な、なんだってー。
そうなるとこれまでの闘いは!と世界が開ける感覚。長編活劇でどんでん返しを食らったような衝撃。原作はなくともまぎれもなく音によるシナリオであり、交響詩なのです。
《敵》は批評家の批判や無理解、《伴侶》はリヒャルトの奥さんということだったのですね。《英雄》を圧倒するわ共に闘うわで男勝りな感じのするヴァイオリンでしたが、実際の奥さんも将軍の娘さんで非常に勇猛で、夫に「さあ作曲だよ!」とまくし立てる恐ろしい(笑)婦人だったそうです。
まどろみのような音楽のなか、第六部《完結》で《英雄》はひなびたコールアングレに。老境に差し掛かり、余生を緑豊かな土地で穏やかに暮らします。時折闘いを回想し、《敵》の復活を暗示させる陰が差しますが、《伴侶》の暖かなテーマにつつまれ空想は破かれます。そして残された日を慈しむようなホルンの《英雄》とヴァイオリンの《伴侶》の対話...そして静寂...《英雄》はその生涯を終え、金管の聖なるハーモニー(E♭、最高すぎる)で天に召されたのでした。
こうしてみれば、ストーリーは非常にシンプルでDNAレベルで知っている話です。しかし、だからこそ、大伽藍のように壮大かつ緻密に組み上げられた音楽の力によって聴くものの心をわしづかみにしガタガタと揺さぶってくるのでしょう。作家リヒャルト・シュトラウスの集大成。痺れました。