山あり谷あり、ネオン道③ -ルディさんの祈り-
ここまでで、「ネオンの歴史」のお話はおしまい。
"このような問題にもかかわらず、アーティスト、建築家、インテリア・デザイナーたちは、ネオンのエキサイティングな可能性を発見し始めている。彼らの数は少ないが、その影響力は大きい。"
1950年代には、ルーチョ・フォンタナやスティーヴン・アントナコスのように、『アーティストが作品の中にネオンを取り入れる』という新しい取り組みもはっきりと見えはじめた。
⚫︎ルーチョ・フォンタナ
1899年〜1968年
イタリアの美術家、彫刻家、画家
空間主義という芸術運動の創始者
1951年 ネオン管を用いた環境芸術作品を制作し、ミラノのトリエンナーレ会場の天井に展示する。
⚫︎スティーヴン・アントナコス
1926年〜2013年
ギリシャ生まれのアメリカ人彫刻家
1950年代後半から工業的な素材だったネオンを作品に取り込んでいく。立川駅前にも作品がある。
"都市計画者たちは、都市の活力の要素としてネオンの価値を認識する日が来るかもしれない。
現在の都心部の殺風景な空洞は、ネオンの不在が一因であることに気づくかもしれない。"
ルディさんは、よき日のタイムズスクエアを想っていたのかなぁ。。
"かつてニューヨークがそうであったように、今日、ネオンは東京が大都市のダイナミズムを表現するのに役立っている。"
1970年代当時、確かに東京の街はネオンで輝いていた。でも、1973年のオイルショックから、日本のネオンも同じように衰退していく。まさに、その入口に入っていくところだったんだよなぁ。
そして、歴史話の締めくくりは、こんなことば。
"この原稿を書いている時点では、ネオンというメディアは再び生まれ変わろうとしている。"
⚫︎この本のタイトル『Let There Be Neon』の意味は、「ネオンがありますように」
⚫︎序文でルディさんが書いた、"ギャラリーもこの本も、ネオンの過去と未来をつなぐ試みである。"
⚫︎そしてこの章の最後に、"ネオンというメディアは再び生まれ変わろうとしている"
これが、彼の祈りであり、彼自身が思うとおりの現状じゃなくても、ガッカリしないで希望をカタチにしよう。と努力していたんだ!
私は、"黄昏のビギン"という歌が好きだ。
ネオンは日本の戦後を灯した復興のあかり、でもあると思う。
人生復興中の私たち夫婦も、恐れず新しいことに挑戦していかなければいけないなぁ。と思う。
※ 引用部分については、Let There Be Neonさんのご厚意により、直接許可をいただいています。
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