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わたしがパンを焼くとき

 パンを焼いた。この小麦で今年収穫した麦を使い終わることになる。私のパンは、私が昨年の晩秋に種を畑に撒いて、収穫して、石臼で挽いた小麦粉を使う。
 品種は「ゆきちから」という品種。秋、麦を蒔いて、厚い厚い雪の下で冬を越し、春になったらぐんぐんと伸びていく麦の芽たち。
 石臼は、近くの石屋さんに特別に作ってもらった、墓石のように磨かれた石臼だ。石臼でゴリゴリ挽くときは、麦の種が少しずつしか挽けなくて、ひとつのパンの小麦を挽くのに1時間くらいかけてゆくっくり、私はぼんやりとしながら石臼を回す。

 麦を巻く様子


  私がパンを焼くのは、自分が食べる時も焼くけれど、友人に食べてもらいたくて焼くことが多い。
 パンの生地をこねているときは食べてもらう友人のことを考えながらこねて、焼き加減を見る時も、この人はどれくらいの焼き加減が好きなんだろうと考えながら焼いていく。そこには会話がなく、ひとりの訥々とした時間だけれど、昔にあった色々を思い出す。

 切って食べるとあっという間になくなってしまうパンだけど、いろんな人にまた食べたいって声をかけてもらえるから、送り出したひとつのパンは、私にとってかけがえのないひとつになる。単純に「つくってよかったな」と思ってしまうのだ。

 私のパンの作り方は、パンを焼くことを仕事にしている人が見ると、きっと間違いだらけなのかもしれないけれど、本で読んで調べた方法で作るパンが、ちゃんと膨らんで、やわらかいものから手でつかめるくらいの硬さのものになることは自分の中で小さな成功体験になっていって、少し自分の自信につなげちゃったりする。

 いつか自分のお店をもって、お店にきてくれる人に、ありがとうのパンを食べてもらいたい。〇〇屋さんと決まった形の持たないお店ができたらいいなと今は思っている。
 色々な勇気とか、自分自身を肯定してあげられる心をくれたたくさんの人たちのようになれたらいいなと思う。

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