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悪いお酒はひとつもない

Lighthouse Brewingです。
みなさんの思う悪いお酒ってなんでしょうか?

飲みすぎると悪酔いするもの。味や香りが独特なもの。アルコール度数の高いもの。などいろんな側面で考えられると思います。

しかし、私は「悪いお酒」なんてものはそもそも存在しないと考えています。
もちろん、密造酒のような一部の例外的なものは除きます。市場に流通しており一般的に入手できる物の中には存在しないという意味です。
それはなぜか、ひとつずつ考えていきます。


①メーカーは不味いものを作らない。

まず、一般的に流通しているという事は、製造免許をもち、販売することを許されたメーカーが存在するということ。
少し性善説っぽくなりますが、作り手側が不味いと思うものを作っているはずがないということ。
もちろん、資本主義社会なので、利益をあげ、市場の中で生き残っていく必要があります。それを考えると儲けと美味しさのバランスは存在するはずですから、利益に応じた美味しさの限界点はあると思います。

さらに、メーカーにとっても不味く作るという事にはインセンティブがないはずなんです。
なぜかというと、不味いものを作ることでメーカーの価値を著しく下げる可能性があるからです。特にSNSが普及しているこの時代ですから、悪い口コミはすぐに広がります。わざわざそんなリスクを背負ってまで不味いもので利益を得る事はコスパが悪いのです。
しかし、限られた資本やリソースの中からやりくりをするという事でおそらく、品質の限界は訪れます。その上で出来上がった製品が口に合う合わないという事が考えられます。ですがこれは個人の嗜好の範疇であるため、次章で後述します。
以上の理由から、メーカーが意図的に不味いものを作るはずがないという事は言えそうです。


②「良い、悪い」ではなく「合う、合わない」

さて、前述したとおり、メーカーは不味いものを作らないというのはご理解いただけたかと思います。
次に現れるのは飲み手です。私たち消費者ですね。
お酒の良い、悪いを考える上で非常に厄介なのが私たち消費者だと考えています。

というのも、
お酒の「良い」「悪い」を決めるのは消費者の主観であり、それが何によってジャッジされているかは人それぞれです。
味に注目する人もいれば、香りに注目する人もいる。プレミア価値などの値段で判断する人もいるかもしれません。この辺りは少し前に触れた通り、個人の嗜好の範疇です。
ということを考えると、すべてのお酒を定量的に評価することは難しいということになります。なぜなら評価軸が個人によって変化するし、たとえ評価軸を「味」や「香り」で揃えたとしてもそれを感じ取る主観は人それぞれだからです。

では、「お酒を評価する事は困難であり、意味がないのか」という声が上がってきそうですが、そんな事はありません。
皆さんがもつお酒への評価軸はいわゆる「価値観」です。お酒を飲む上で大切にしている判断材料と言ってもいいかもしれません。
その価値観は皆さんがお酒を美味しく、楽しく飲むために必要な価値観です。むしろその価値観がなければお酒を嗜む事は難しいとさえ言えるかもしれません。

しかし、ここでしっかりとお伝えしておきたいのは、その価値観とお酒本来の価値は切り離して考えるべきであるという事です。
お酒が本来もつ価値と個人の価値観が必ずしも合致するとは限らないからです。

例を挙げましょう。
「リキュールベースのカクテルのような甘いお酒が好き」なAさんがいたとします。
Aさんに、ビールのような苦味の強いものや、ウイスキーのロックみたいなハイアルコールのものを勧めたとします。
おそらくAさんは、ビールやウイスキーにネガティブな感情を持つと思います。
普段甘いお酒を好んで飲んでいるので無理もありません。さらに飲酒体験の悪さから、ビールやウイスキーに「悪いお酒」というレッテルを貼ってしまうかもしれません。

ですが、このケースでお酒はなにも悪くないんです。もちろんAさんも悪くありません。ただ単純にAさんの口に合わなかった。という事実があるだけ。ただそれだけなんです。

自分の口に合わなかったというのは、そのお酒が悪かったからという事ではありません。凸と凹の相性の話なのです。
子供の頃は食べられなかった薬味が大人になると美味しく感じた経験はありませんか?同じように、合わなかったお酒もあるとき突然その美味しさに気づくことがあるかもしれません。

要するに、評価の対象が、主語が変わるんです。
そのお酒が良い、悪い。ではなく、私に合う、合わない。なんです。


③「お酒」 「人」 「環境」

さて、ここまででお酒に悪意がない事はかなり伝わってきたかと思います。メーカーも悪いものは作っていませんし、私に合うか合わないかであるということも説明してきました。

ここまでくるとお酒は数学で言うところの正の定数であることがだんだんと見えてきます。

実はここで重要な事は、お酒が正の定数であると言う事です。
ここでいう定数とは、コントロール不可能な数字のことを指します。
ではなぜ正の定数であることが重要なのでしょうか。

まず、お酒を飲む、すなわち飲酒体験がどういった要素で成り立っているかを考え、それぞれについて考えていきたいと思います。
私は飲酒という行為が 「お酒」 「人」 「環境」 の3要素でできていると考えています。
そしてこの3要素の「かけ算」が飲酒体験を良いものにも悪いものにもする。

「お酒」×「人」×「環境」=飲酒体験

このような式から導き出される数値が飲酒体験の良し悪しを決定する。
というのが私の主張です。

ここまでで、お酒が正の定数である理由が少し見えてきたでしょうか。
では、3つの要素について具体的に説明します。

「お酒」
製品となったお酒に悪いものはない。と仮定しているため、正の定数が代入できる。
既に製品となったお酒は私たちの手によってコントロールする事はできません。仮に外的要因によって粗悪なものに変えられた場合、それは介在したものの影響を反映します。そのため後述する「人」や「環境」のマイナスを反映していることになります。したがってお酒自体にマイナスの符号はつかないのです。

「人」
ここで言う「人」とは自分も含む、飲酒をしているヒトを指します。
飲み会などの場合、自分以外の周囲のヒトの影響も受けます。
例えば、「体調が悪い」「お酒が口に合わない」という自分の問題や、「無理やり飲まされた」「説教された」という様な体験は、他者の介在によって、マイナスの数字をとってしまう可能性もあります。

「環境」
どこで飲んでいるかということも重要です。場所と言い換えても良いかもしれません。単純に場所としていないのは、季節や(お店であれば)来店人数など、飲酒をしている自分を取り巻く環境の影響を指すからです。
ここで留意しておきたいのは、いわゆる高級なお店で飲む事が必ずしも自分にとって良いとは限らない点です。夕暮れ時に公園で缶ビールを飲んでいる方が飲酒体験として良い場面もあるのです。

また、静かにゆっくり飲みたいはずなのに騒がしい。
なんてことになるとその日はあまり良い飲酒体験にはならないかもしれません。
反対に、普段は騒がしい店が苦手でも
「今日は気兼ねなくワイワイ飲むぞ!」というモチベーション(人の影響も含むため、やや複雑ですが)なら、その日はきっと良い飲み会です。


まとめ

ここまで、3つの要素とその中身を説明してきました。
それぞれに「0」を代入することも可能ですが、それはすなわち飲酒を意味しません。3つの要素はどれが欠けても成立しないのです。

飲酒体験を正の体験にするか、負の体験にするかは「」と「環境」の影響に依ることがわかったと思います。
これが正と負のどちらに転ぶかで、その日の満足度は大きく変化することも同時にわかるかと思います。
それ故に、お酒が私たちの飲酒体験に影響を与えていないこともわかったと思います。そもそもお酒を飲みに来ているのですから、お酒のせいでどうのこうのというのはお門違いもいいところです。
私たちはついつい、飲酒時の嫌な記憶をお酒と結びつけてしまいがちですが、大抵はお酒以外の諸要素によるものなのです。


だから「悪いお酒はひとつもない」のです。

ここで義務教育を無事に修了している方はお気づきかもしれませんが、マイナス×マイナスは解がプラスになります。
非常に脆弱な理論ですが、ここでは気にしないことにします。なぜなら多くの場合「人」と「環境」はどちらかしかマイナスにならないはずなのです。というのも極端な話、負の感情を抱く人と、負の感情を抱く環境で飲むということがそもそも少ないと思いませんか?


最後に

ここまでの説明で「悪いお酒はひとつもない」ことは、なんとかギリギリわかっていただけたかと思います。
お酒というものは私たちのそばに既に在るものです。
そしてお酒と私たちとの関係を決めるのはいつだって私たちです。いま在るお酒を私たちが変える事はできません。であるならば、私たちがお酒に歩み寄ることが、両者の関係を良好に保つ唯一の手段です。「これは悪いお酒だ」「このお酒はまずい」と決めつけるのではなく、自分に合ったお酒や飲み方を探すことが、お酒をもっと美味しくもっと楽しむために必要な心構えではないでしょうか。

人の数だけお酒との付き合い方も多種多様です。飲みたい人がいれば、飲みたくない人もいる。飲める人がいれば、当然飲めない人もいる。
自分の飲み方を他人に提案こそしても、強要することはまさに愚の骨頂です。自分の身勝手で他人の飲酒体験を悪いものにしてしまう可能性が大いにあります。そして人間は悪い飲酒体験を得てしてお酒と結びつけがちです。これでは業界にとってもその人にとっても些細かもしれませんが、機会損失であることには変わりありません。
せめてこれを最後まで読んでくださったみなさんは、自分とその周囲の飲酒体験を良いものにしてくれるはずだと信じています

これからみなさんにとって最高の飲酒体験が訪れることを心より願っています。


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