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認知症になったお父さん①


はじめに

私の父親は認知症を患っている。
日中は母が父の様子をみているが同居している私も関与しないということはできず介護者となった。
「いずれは親の介護をするときがくる」
覚悟はしていたが突然訪れるとわからないことだらけで誰に頼ってよいのか相談していいのか不安に苛まれることばかりだ。
そんな私の体験談がだれかの役に立てればと思い、記録としてnoteに書くことにした。
体験ごとに書いていくので時系列はバラバラになることをご了承いただければ幸いである。

父が認知症に

今から5年ぐらい前の話、いやもう少し前からかもしれない。
アルツハイマー型認知症、しかし父の場合はアルコールが起因となっているようだった。

69歳で勤めていた会社がなくなり、同時に父も引退した。
定年まで働くつもりが解散により引退。「勝手に会社をなくされた」そんな思いが強かったのだろうか、普段から飲酒はしていたが引退が決まったころから飲酒量が増えていた。それからおかしくなっていった。

私の思いとしては、毎日朝から晩まで働いてきたからこれから残りの人生は好きなことをやってのんびり母と一緒に暮らしてもらいたいと思っていた矢先、父は認知症を発症させ、母と私は父に振り回される生活となった。

最初の「違和感」は「道がわからない」

父の仕事は営業職。車に乗ってお得意様に回り注文を取り、納品する。そんなお仕事。幼稚園に入るまで父の仕事に一緒についていくこともあり仕事の様子を見てきたから覚えている。
車の免許を取得してからずっと仕事で、プライベートで運転をしてきた。大きな事故は起こしたことはない。ナビもない時代、地図を片手に自分の勘をたよりに知らない道も走ってきた。

そんな人が普段よく走っている道がわからないと言い始めた。今になって思えばこの時にはもう認知症の初期症状が始まっていたのだと思う。

釣りが趣味だった父は車でどこでも好きなところに釣りに行っていた。釣りも対象とする魚によって釣り場所が異なるが、夏になると鮎を狙って隣県に釣りに行っていた。そのいつも行っていた場所がわからず引き返して帰宅したことがあった。
それ以降、鮎釣りには行かなくなった。
行けるのは自宅から車で15分程度にある池だけ。
認知症初期のことはその池で釣りをすることはあったが、認知症の症状が進んでしまった今はその池に行くことすらできなくなり、今はもう釣り竿すら出さなくなった。

「免許は無くたって近くのスーパーまでぐらい運転しても大丈夫だ!」

道がわからなくなり、遠くまでの運転への自信を徐々に無くしていったものの、「自分の車への執着」「運転への自信」はかなり強めにこだわりをもっているのが父の認知症症状の一つ。
そんな父に対し、認知症と診断された日からずっと私たちは免許の返納をお願いしてきたが、その話をすればするほど執着を強くさせてしまったのかわからないが一向に返納はしてもらなかった。

ニュースで高齢者の運転する車が事故をしたことが流れる度に「免許返納する」「運転はしない」というが、話題が切り替わればすぐに忘れてしまう。そんな日々が続いてた。

だが、認知症は確実に進行しているのである。

どうやって免許返納させるか?生活が不便になるがいっそのこと車を売却してしまい物理的に運転できなくしてしまうか?と頭を悩ませてたある日、徘徊したことがなかった父が深夜1時に車に乗り家を出たまま朝になっても帰宅しない出来事があった。朝一度だけふらっと帰宅したが、数分もしないうちにまだ車に乗って出てってしまった。
そこから10時間後警察から父を国道沿いの側道で車がエンストした状態で保護しているという連絡があり、迎えにいった。

この出来事をきっかけに車の免許を返納させることがようやくできた。
が、認知症である父は自分でサインをして免許を返納したことを覚えていない。調子が悪い日は免許返納し運転はできないことを母が丁寧に説明すると「お前らが勝手にサインして免許を奪った」と言い出す。
またとある日は「免許がなくたって(みつからなければ)運転していいんだ」と言い出す。

認知症は「やってはいけないこと」までわからなくさせる怖い病気である。



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yucca
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