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外伝「15歳の転校生」

いきなりですが、↓ 二編の動画をご覧ください。音源を聴いて頂くためではありません。そうではなく、拙稿「15歳の転校生」に登場する、K内さんT家さん、をそれぞれイメージしやすいように。要は、二人によく似た当時の芸能人 (そっくりさん) ですね。

K内さんは、藤谷美和子、に似ていました。「不思議ちゃんキャラ」ではありませんが、顔の造作がそのままでした。一方のT家さんは、コマネチの雰囲気を持つ、西洋風の面立ちでした。コマネチ以外にも、アニセー・アルビナ、ナスターシャ・キンスキー、など当時のブラウン管を賑わせた外タレ美女には、必ず例えられました。もっと卑近な例でいうと、ハーフ・モデルのシェリー。好みがどうのこうのではなく、顔の系統の話です。

正直、二人ともメッチャ美人でしたよ。ぼくの人生最良のモテ期かもしれません。で、彼女たちの各々と、ぼくは中3時 (15歳) の春と秋に親交を深めますが、その半年のあいだには、見過ごせない大きな経験があったように思います。すなわち、モントリオール・オリンピック。体操競技で史上初の10点満点を出したナディア・コマネチの存在は、ぼくの美的感覚を根底から覆しました。並行して、テレビで露出するアグネス・ラムの肉感的魅力にも、悩殺されました。つまり、思春期の成長に欠かせないフィジカル面の充実/リビドーの醸成は、二人の女性を隔てる重要な要件だったのではないか、と現在では思うのです。春はまだホルモン・バランスが十全でなかった、もっと言うなら、リビドーが発動する手前の段階だった、と。

これ、男にはけっこうシビアな説得力 。プラトニックな関係でいうなら、K内さんが人生のボーダーラインだったのは事実です。

本編「15歳の転校生」に書いたとおり、K内さんと付き合っている、という意識がぼくには徹頭徹尾ありませんでした。N口くんE口さんたち外野が囃しただけで、告白したわけでもなければ、手を繋いだわけでもない、それが中二病のぼくの自己弁護/アリバイでした。ただ、状況証拠的には、春先の一ヶ月、毎朝の逢瀬をK内さんが交際だと思い込んだのは、むしろ自然だったでしょう。あの期間以外に、直接ぼくらが話したことはありません。

そして、少なくとも彼女と話したことだけが二人の真実なら、ぼくの知るK内さんは必ずぼくに同意してくれました。しっかりした自分の意見を持ちながら、それを先に言うことはなく、常に三歩下がってぼくの背中を押すようなタイプでした。精神年齢も大人で、おそらく中二病のぼくの行動原理は全部お見通しだったはず……。そんな彼女が、転校前にぼくに書き残そうとした手紙、一体、彼女は何を伝えたかったのか……。

なんとなく、もしぼくが最後の手紙を読んでいれば、つまり、彼女からのラスト・メッセージをきちんと受け取っていれば、彼女は卒業文集 (住所録) にあの県外住所を載せることはなかったような気がします。当時の警察学校の住所をそのまま記載しただろう、と。

転校生の経験値というものが、K内さんにもあったはずです。おそらく、それは回数に比例して豊かになります。幼い頃から転校を続けるうちに、彼女なりの防御本能は培われていたでしょう。新しい土地土地で、傷つくことを怖れた行動パターンに籠ってもおかしくはなかったのです。しかし、現実のK内さんは、ぼくとの関係を囃されても恥ずかしがらずに毅然と応える女性でした。まず間違いなく、ぼくと過ごせる時間に期限があることも悟っていました。なんなら、とぼくは妄想に耽るほどです。陰でE口さんがぼくのことを罵ったりディスったりしても、K内さんは懸命に庇ってくれたのかもしれない。にもかかわらず、結果的にぼくが取った仕打ちは? 手紙を拒否されたと知ったときの彼女の気持ちは? 

さすがに年をとって少しは分別がつくと、自分の愚かさに苛まれます。相手の立場になって考える、という当たり前ができなかったのですから。みんなと一緒に卒業できず、卒業文集にたった一人だけ、転校生としての宿命を記さねばならない中学生の心の内は、どんなものだったのでしょうか。同窓会があるなら、数年おきに引越を繰り返す転校生にその連絡は届くのでしょうか (堂々巡りを続ける煩悶/反問)。

誤解のないように付言しますが、それほど好きだった、ということにいまさら気づいたオチではありません。T家さんと比べれば、ぼくはK内さんを好きだった、とはとても言えないでしょう。ただ、K内さんとは何もなかったからこそ、それを象徴する「読まれなかった手紙」が空白だからこそ、その一点においてのみ、とても気になるのです。空白の喪失イメージ、そんな言葉があるなら、ぼくはその重さを実感しています。

現実の出来事は、時間の経過とともに色褪せます。年をとればとるほど、あのときのおもいでは現実だったのかなあ、と回想と空想の区別がつかなくなります。ところが、もとより空白のおもいでは、逆に可能性の空想を膨らませてリアル感を纏わせるのです。おかしな話ですが、ぼくは受け取らなかった手紙の後悔が、現在では特定のイメージと結びついています。ドラマや映画で何百回と流される紋切型の、恋人同士の別離のシーンです。地方の高校生が就職/進学で都会へ出ていくときの、発車ベルが鳴る、鄙びた駅、恋人が現れるかどうかの緊張のラスト。あのシーンの、車内で覚悟を決めている女性が、100%ぼくにはK内さんに見えます。男性は間に合うのか、なぜ来ないのか、意気地なしのぼくはエンドロールを迎えられないままです。

そのとき、BGMで流れるのは決まって「ぼくがつくった愛のうた」。情景的にこんなパラドックスがあるでしょうか。

ぼくは、やはり、最後の手紙を受け取るべきでした。見送りの駅には行くべきでした。そこで何を言えばよかったのか、「ごめん」なのか「またね」なのか、正解は分かりません。しかし、それだけでも、卒業文集をめくるたびに胸が締めつけられることはなかったでしょう。

K内さんの住所が載った一行は、47年間ずっと泣いています。謎を解いてくれ、と手招きをするようです。

いまでは Google Map があります。ぼくの中学時代には存在しなかった文明の利器です。本編の投稿直前に、ぼくは Google Map でK内さんの住所を検索しました。和歌山県新宮市△△-○○、ストリート・ビューに写しだされたのは、ごく典型的な田舎の平屋でした。2021年12月の撮影で、履歴写真はありません。軽自動車が一台ぎりぎり通れそうな坂道、掘立小屋と変わらないトタン壁の駐車場。角度を変えても表札は見えません。どう見たって警察学校の宿舎には見えません。それどころか、おそらく戦後このかた変わらない周囲の空気が、過疎地の寂しさを伝えています。咄嗟に思ったのは、ここはK内さんの祖父母の家ではないか、ということ。思慮深い彼女のことだから……。新しい引越先もどのみち……。

その可能性は大いにあります。ぼくの街から転出したところで、また数年後には新しい街へ越していく、その宿命が、卒業文集の有する時間感覚とは相容れないことを彼女は分かっていたと思います。根拠はもちろん、彼女のパースペクティブ。そのうえで、それでも自分の居場所を知らせたい、と願った中学生の少女に、ぼくはなんてことをしてしまったのか、まるで二度目の死刑判決を受けるようです。

追記――。ぼくの家から和歌山県新宮市までは、車で3時間ほどです。地方の村落にありがちですが、もしその場所がK内さんの祖父母の家なら、その地に住む代々の情報は周辺住民が知っているでしょう。ほぼ確信めいたものを感じます。数ヶ月後に「15歳の転校生」続編がアップされるときは、その遠征記/ルポだとお考えください。その前に、ストーカー容疑で逮捕されるかもしれませんが。



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