Spotify「Camel 20」
1970年代、プログレ5大バンドに次ぐグループの常連として必ず名前が挙がった Camel。ぼくの「プログレ四天王」でも最終席を競った、愛すべきバンドです。「なにかちょい足りない感」が最後まで付きまとったのは、ぼくの思い違いだったのか、別の原因があったのか、そのあたりを再検証してみたいと思います。そして Camel といえば N川くん、キャメル・サウンドの本質を授けてくれたのは彼だったので、はじめに謝意を表します。
「師匠にそんなこと言われたら、なんか小っ恥ずかしいなあ」「誰が師匠やねん、微塵も思てないくせに」
1974年「Mirage」
1973年、Camel はMCAから 1stアルバムを発表しますが、翌 74年にデッカへ移籍後リリースした「Mirage」が実質的なデビュー盤だと見做すファンは多いようです。そこには、レーベル・リセットといった意味合いもあるでしょうし、「Mirage」の出来栄えを讃えたいファン心理もあるのでしょう (本稿では ↑ Discogs に従います)。いずれにしろ、デビュー時点でそこそこ完成されたサウンドだった点は特筆に値します。ギター Andy Latimer とキーボード Peter Bardens がともに屋台骨を成す、リリカルでメロウな音楽性をすでに構築していたからです。
時はプログレがピークアウトした頃、続けて 75年「Snow Goose」を発表すると、このコンセプト盤のレベルの高さに多くのプログレッシャーは Camel への期待値を上げずにはいられませんでした。ポール・ギャリコの同名小説をモチーフにした本作はそれほど完成度が高く、「藍から出た青」よろしく原作の世界観を超えたかも、といった声まで聞かれました。このステップアップは、当時のプログレにあって王道です。さらに翌 76年、最高傑作の誉れ高き「Moonmadness」を発表するに至っては、もう多くのファンが Camel 時代の到来を予感したことでしょう。
ここまで 4年連続のアルバム・リリース。プログレ・ブームでの出遅れを一挙に取り戻すような、精力的な活動です。しかし、Camel が現実にシーンを塗り替えることはありませんでした。頂点に立つどころか、5大バンドにイマイチ足りない次位グループに甘んじ続けました。
「最後の二文、相変わらず手厳しいな」「事実やろ」「Andy はたぶん何も考えてなかったと思うわ」「時代の流れに任せてただけってこと?」「根がブルース寄りのギタリストやんか、泣きメロ弾けるだけでもう幸せやったんやで」「成長はなかったな」
拙稿「ぼくのプログレ四天王」でも触れましたが、Camel がイマイチだった理由はぼくなりにふたつ考えられます。ひとつがヴォーカルの脆弱さ、もうひとつが思想/哲学の借物感。前者は額面どおりで、インストのテクに比べてヴォーカルが見劣りました。しかも、その歌詞世界がどうにも浅薄な感じがして、これが後者の思想/哲学の借物感に繋がりました。借物感というのは、他人のフンドシのことです。早い話、「Moonmadness」のコンセプトは Pink Floyd「狂気」のパクリだと言われましたから (そのあたり当時のプログレは喧しかったのですね)。また、完全なインスト・バンドとして歌モノを排してもよかったのに、そこまで振りきることはなかったのです。中途半端というか、自己改革に及び腰というか。
Mel Collins
面白いのは、Mel Collins の加入によってその現実がより明らかになったことでしょう。77年「Rain Dances」から正式メンバーに加わった Mel は、前期クリムゾンにおける活躍ですでにサックス奏者として名を成しており (スタジオ・ミュージシャンとしての信頼も厚く)、Camel の絶頂期に一役買います。その一役の中身が、つまりキャメル・サウンドの本質を良くも悪くも丸裸にした、ということ。それが現在地点から見たぼくの見解なのです。
Mel のサックスやフルートは、見事に Camel の音楽性に嵌りました。流麗なメロディラインに華が加わり、甘美な抒情性はさらなるレイヤーを増しました。ファンは改めて認識したことでしょう、やはり Camel にヴォーカルは要らない、むしろ完全インストのほうが聴き易い、と。あるいは、思想/哲学やらコンセプトやらのプログレ的しがらみから解放され、いっそフュージョン路線で行ったほうが未来があるのではないか、と。たぶん、それが正解だったのだと思います。当のメンバーに、もっとはっきり言えば Andy Latimer に、その気さえあれば。
「そりゃ殺生やわ、せっかく Richard Sinclair も入ってくれたのに」「でもヴォーカルあんまり変わってないぞ」「前任者に寄せてるからやん」「なに唄ってもヴォコーダーにしか聞こえへん」「もともと歌は添えものやと思てくれ」「うわ、それ言うか! このときのイメチェンの機会、もっと大々的にアピールしてもよかったんやで」「それはキャメルらしないわ」「キャメルらしさって何よ?」
脱線しますが、1979年の初来日コンサートには Mel Collins も参加していました。当時高校生だったぼくらがいちばん感動したのが、「Snow Goose」からの抜粋「ラヤダー街へ行く」でのツイン・フルートでした。ギターやドラムのツイン・プレイはよくありますが、まさかのツイン・フルートですよ。Mel Collins はもちろんですが、ギタリスト Andy があれほどフルートがうまいとは (Peter Gabriel や Ian Anderson より上手でしたよ)。振り返っても、Mel Collins が在籍したこの時期が、実質的な Camel の黄金期でしょう。78年に発売された「A Live Record」がその総決算――。
もうひとつ「A Live Record」の素晴らしい点は、2枚組 LP の C面 D面すべてが「Snow Goose」に当てられていること。75年のロイヤル・アルバート・ホールにおけるロンドン交響楽団との共演ライブで、音源的にも公式録音盤より断然すぐれています。Camel 未聴者にフィジカルを薦めるとき、ぼくはいつも「Mirage」「Moonmadness」「A Live Record」の三枚を推してきましたが、今も変わりません。Mel Collins のパフォーマンスも聴けるので。
1978年「Breathless」
そして1978年、「A Live Record」と同年にリリースした「Breathless」を最後に Peter Bardens は Camel を去ります。この一報を聞いたぼくの正直な感想は、キャメルも実質的に解散だな。それほど Peter のキーボードは Camel を支える大黒柱であって、代替可能とは思えませんでした。翌 79年には 7th「リモート・ロマンス」を発表しますが、デビュー以来ここまで一年一作のペースで走り続けてきた Camel の失速ぶりは明らかでした。
「いや、そもそも 7年で 7枚も公式アルバム出すほうが異常なんやで」「それはそうやな、せやけど、この間パンク・ブームとかジャズ・フュージョンの台頭とか、いろんな動きはあったやろ、なにも影響を受けないって」「みなまで言うな」「なにも影響を受けないほうが、むしろおかしいぞ」「みなまで言うな」「化石化してたんやで」「それを言っちゃおしまいよ、キャメルらしないやろ」「だから、キャメルらしさって何?」
本稿冒頭でぼくは「デビュー時点でそこそこ完成されたサウンド」と書きましたが、まさしく Camel は当初のタレント/ポテンシャルだけで、まるで雑巾を絞りきるかのように、ひたすらアウトプットに追われ続けたのだと思います。確執も良し悪しです。異なる意見が存在しないところに新たなイノベーションは生まれません。Peter Bardens が抜けた Camel に解散危機を感じたのは、そういった背景があったからです。
その見方を形成できたのは、もちろん N川くんのおかげでした。彼は、ぼくらの仲間内では Camel と Caravan の第一人者でした。冗談半分で「キャラメル担当」と自称していたので (キャラバン + キャメル = キャラメル)、現実に 78年 Peter の脱退後 Richard Sinclair に続いてキャラバンから Dave Sinclair と Jan Schelhaas が加入したときは、地で行くような「瓢箪から駒」。嬉しそうにニンマリしていたのを覚えています。
Ton Scherpenzeel
その N川くん発信ではなく、ぼくが個人的に関心を寄せたキャメル情報が、ひとつだけあります。それがすなわち、1984年の Ton Scherpenzeel の参加。Ton はオランダのプログレ・バンド Kayak の創設メンバーであり、コンポーザーであり、キーボードでした。クラシックテイストを活かしたカヤック・サウンドの中心人物が Camel に加わると聞いて、ぼくは一縷の望みを持ちました。というのも、この時期の Camel はもうボロボロで、79年には Caravan 再結成のため元キャラバン組はすべて抜ける、81年にはアル中で Andy Ward も脱退する、というふうに、もはや Andy Latimer のソロ・プロジェクトと化していたからです。起死回生にふさわしいタレントが見つかった、と以前から Kayak ファンだったぼくは掛値なしに喜んだものです。
そしてリリースされた 10th「Stationary Traveller」。しかし、皮肉にもこのアルバムがデッカ最後の録音となり、Camel は活動を休止します。期待した Ton とのシナジーは見られず、彼はキーボーディストとして演奏に専念するだけでした。たとえば The Enid の Robert Godfrey のように、全体的な総指揮をとるコンポーザー的な立場で Ton が参加していれば、また結果は違ったろうに、とぼくは臍を噛みました。
そうです。Mel Collins のときと同様、またしても期待の裏返し/倍返しで喪失感を味わう、必殺パターン。
「もうコンセプトアルバムの時代じゃなかったわな」「『ヌード』もそうやけど、結局なんか薄っぺらかったし」「お約束の泣きメロだけは健在やったけど」「それがあかんねやん、新しさがなくて」「あの Andy の陶然とした顔みてみ、駱駝そのものやんか」「たしかに似てるけど」「まんま駱駝やろが」「え? まさか?」「キャメルらしいやんか」「え? ひょっとしてこれがオチ?」
結局、キャメル・サウンドは Andy Latimer の音楽嗜好が示した限界領域、ってことになるのでしょう……。デビュー以来、自身のスタイルを貫き、芸術的止揚を産むための相克者を排し、アップデートに尻込みしてトレンドにも乗らず、頑なにギブソン・レスポールを泣かせることだけに専念……。と、ここまで書きながら、後を続けるのがいかに無意味で虚しいか、読者諸賢はもうお気付きですよね。ぼくが Camel を通じて N川くんから教わったのは、まさにそういうことなのです。大阪弁のノリなのか、はたまた「本物の知性」なのか、判断はお任せします。しかし、〜そこに愛はあるんか〜、あの大地真央のCMを見るたび、ぼくは決まって Camel を思いだします、彼らのオアシスのない長旅を。
「あかん、その決めの引用で元も子もないがな」「すまん、絶対やめとこう思てたのに、つい手が」「それが性 (タチ) やろ」「ほんまや、性 (タチ) なんやな」「分かってはいても、どないしょうもない」「うん、Andy に謝っとくわ」「ほな、飲みに行こか」「喜んでぇい」
それでは、また。
See you soon on note (on Spotify).