かわいそうな象のはなし
このタイトルから、戦争中の上野動物園が舞台の有名な童話を思い浮かべた方も多いと思います。
でも、実はもうひとつあるんです...🐘
今回の記事はそれ!☝️
その、もう一つのあまり知られていない、江戸時代にあったそんな象にまつわる実話をご紹介しようと思います。🤲
ではここから ↓ ↓ ↓
従四位(じゅしい)になり天皇と将軍に拝謁(はいえつ)した象
1729年5月、江戸の町は騒然となりました。
象がやってきたからです。🐘
江戸っ子はこの珍獣を一目見ようと周囲に群がりました。
町では、象を題材とした錦絵(にしきえ)や人形、双六(すごろく)などが飛ぶように売れたんです。
ちなみに江戸に象を呼んだのは八代将軍吉宗。
この将軍は、外国の珍獣に興味をもっていて、以前にもオランダからアラビア種の馬を輸入していました。
そんなこんなで、ベトナムからはるばる長崎にやってきた象は、オスとメスの2頭でしたが、メスのほうは間もなく死んでしまいます。😢
そして同年3月、象は江戸へ向けて長崎を発つのですが、途中、前代未聞のことがありました。
どうしても象を見たかった中御門(なかみかど)天皇は、象を宮中に招き入れるため、なんと従四位(じゅしい)に叙(じょ)したというのです(無位無官では参内できない)。
従四位といえば当時の国持ち大名に匹敵する地位ですから、全くたいした象ですね...
その後、将軍吉宗に拝謁を終えた象は、浜御殿(はまごてん)で飼育されることになりましたが、吉宗は13年間飼われていたうち、わずかに3度しか象のもとを訪れていません。きっと飽きてしまったんでしょうね...
大食いの象は飼育代がバカにならなかった。💦
倹約をとなえていた吉宗にとっては都合の悪い存在だったわけです。
結局、象は手放されることになり、1741年4月、飼育係の中野村の農民源助に下げ渡されました。
この源助、商魂たくましく、象を見世物にして拝観料を取り、象のフンを麻疹(ましん)・疱瘡(ほうそう)の薬だといって売りさばきました。
ついに象は翌年12月に死んでしまいましたが、驚くことに源助は象の頭蓋骨や牙を象骨と称して展示し、またまた拝観料をとったのです。
将軍の象はじゃまものにされて追い出されたうえ、見世物となり、死んでからまで利用され尽くした。
まさに「骨までしゃぶられる」という表現がぴったりの、哀れな末路だったといえますね...
江戸時代の珍獣、終わりなき利用に哀歌を捧げる...…